Naoqki Doodah

『人間を体現する音色、Naoqki Doodah という音楽家』


※ページ毎にご本人の作品をお聴きになれます

“doodah(何と呼んだら良いか判らない何か)” と自らを称し、音楽を探求する Naoqki Doodah さん。
2018年に彼はバンド『dADaPhONiCS』を結成しました。実験的でダイナミズムのあるその音楽は一言では形容できません。


(–ここに、ご本人がこのバンドを表すキーワードとして挙げられた言葉を置いておきます。)
社会派音楽実験体, 即興演奏(作曲的即興/即興的作曲), 調和/未調和, 多楽器主義, 状況主義, punk, dépaysement, dada, jazz, blues, rock, reggae, hip hop, musique concrète, noise, 現代音楽, 民族音楽。

アーティストが自らの表現を確立していく裏には何があるのでしょうか。研ぎ澄まされた直感力、積み重ねによる技術の習得、世界に対する価値観、生まれ育った環境、様々な要素が絡み合い現在の表現に繋がっているはずです。またそれらの要素を表現に落とし込んでいくには、”自身で考え抜くこと”が必要になりそうです。

そうしたプロセスを経て成立している表現に触れた人が新たな視点を得る。言葉といった形を取らずとも、その視点を得た人がさらに別の人に影響を与える、それはコミュニケーションのひとつのあり方です。その根本にはあらゆる状況・感覚を鑑みて自身の頭で考えている人が存在しています。

自らおよび世界に眼差しを向け続けて生きていくことはそう簡単ではありませんが、その姿から学べることはたくさんありそうです。

表現と向き合い、試行錯誤を繰り返し、意味作用をも超越しようとする音楽家。
枠に縛られずに、未開の音を追い続けるその姿勢に迫りました。

<インタビュー>

『選択して来た物には、通底する”自分自身”が有るはずなんで、それを探求して行く』

1.近況の活動について教えてください

Naoqki Doodah:2018年に始動した”dADaPhONiCS”の初アルバムの為のレコーディング(※本記事が公開された2023年12月にアルバム『dADaPhONiCS』リリース)、そして、”Club CACTUS*1″にて第2第4水曜に開催している”DADALOGUE LOUNGE”の主催、そこでのdADaPhONiCSのライブ及びfreestyle jam session “DADALOGUE COLLECTIVE”で様々なアーティストを招聘しての集団即興演奏、そして日常的には作曲活動、芸術、音楽の研究、フライヤーなどのデザイン、などなど。

「1st Album『dADaPhONiCS』」

(こちらから CD をご購入いただけます)

-アルバム『dADaPhONiCS』の収録曲について、録音時に意識されていたことはありますか?

Naoqki Doodah:兎に角、良い音で録る!って事に尽きます。自論ですが、楽曲の内容云々以前に、先ず、良いサウンドで有る必要が有ります。良い音は美味い飯と一緒で、またリピートしたくなるでしょ?(笑)。

「dADaPhONiCS (L to R) Nasty Nana, Koichiro Abe, Naoqki Doodah, Moofire」

-おっしゃる通りですね。
主催されているイベント「DADALOGUE」はどのようなイベントでしょうか?

Naoqki Doodah:先ずダダフォニックスのライブ拠点で有ると同時に、各ジャンルからユニークな素晴らしいアーティストらが集まり、フリースタイルで即興ジャム(DADALOGUE COLLECTIVE)を演っていて、非常に稀な、形容し難い美しい音楽が毎回産まれていますね。
また、ユニークなゲスト・アーティストを御招きしたライブも有ります。
Club CACTUSには巨大なスピーカーを積み上げた、ジャマイカン・スタイルのサウンドシステムが有り、音が素晴らしく良く、DJのみならず、生楽器鳴りも最高で、様々な音を混ぜやすい、素晴らしい贅沢な環境で、何か新しい音楽を追求、創造する最高の実験場になっています。

「DADALOGUE vol.1(June 26, 2019) のフライヤー」

「DADALOGUE(August 10, 2022)のライブ音源」

–DADALOGUE COLLECTIVEには自分(インタビュアー)も参加させていただいておりますが、改めて集団即興演奏にはどのようなアーティストが参加されていますか?

Naoqki Doodah:jazz, blues, punk, reggae, hiphop, electronicaなどの各領域で活動するアーティスト達が横断的に集まっています。これまでに参加されたアーティストは、先ずはレギュラー陣として、TETSU MOLOTOV (voice, effector), MOOFIRE (electronics, megaphone, percussions, voice), OBJECTIVE-SAW (poetry, electronics, guitar, recorder), DJ ASTERIX (turntables, mixer, electronics), DULL (trumpet, electronics), WHR ∞ BON_APPETITS (inventioned electronics), GANE SAN (contrabass), NAOQKI DOODAH (drums, guitar, trumpet, clarinet, etc.)。

ゲスト陣には、佐伯 武昇(percussions, trombone, etc.),阿部 光一郎 (contrabass, bass guitar), TOMOAKI MAESHIMA (keyboards), CHAN-YAMA (keyboards, wind instruments), 秋廣 シンイチロウ (guitar), 稲田 INATCH 貴貞(tenor sax), A-WIRE (voice, tracks), ORIENTAL LOVE (electronics), DJ KOU (turntables, mixer)などのアーティストです。

「DADALOGUE COLLECTIVE on June 8, 2022」

-自分の音を持つアーティストが集まっていて、とても創造的な場だと思います。
現在、主体としてやられている dADaPhONiCS はどういった音を志向されていますか?

Naoqki Doodah:10代から始まった自身の音楽活動の総括って位置付けです。パンク・ロックに始まり、様々な音楽を自分也に演って来て、それらを別々に演るのでは無く、融合するとどんな音楽になるのか?って所です。それは’90年代にExpressionで始めた事ですが、それからまた生き延びたので、更に引き出しも技術も増えています。で、選択して来た物には、通底する”自分自身”が有るはずなんで、それを探求して行く。どんな音になるかは判りませんね(笑)。

-自分自身のことが分かりきらないように、完成する音もそうなのかもしれませんよね。
質問の最初におっしゃられた芸術、音楽の研究というのは具体的にどのようなことをされているのですか?

Naoqki Doodah:実質的な楽器演奏に関して、ギター、鍵盤を中心に様々なハーモニー、メロディ、そして、ドラム、パーカッション、サンプラーを中心に様々なリズム、そこから派生してトランペット、クラリネット、グロッケンなども使いますが、それらを操り、求める音を如何に鳴らすか?など、色々研究しています。あとは様々な書籍、インターネットなども参照して、音楽や芸術の歴史を掘って来ています。
他にも、人文系、科学、歴史、政治、詩集、小説、エッセイ、解説書、画集、映画、漫画、何でもかんでも、ピンと来たら直ぐに取り組みます。バイクで街を流したり、散歩したり、クラブに行って音を浴びたり、様々な人々との接触なども全て表現活動のヒントになります。

-あらゆるインプット、行動が表現に昇華されているんですね。
イベント名、バンド名にそれぞれ”DADA”という文字が入っておりますが、こちらは1910年代半ばに起こった芸術運動の「DADA」から来ているのでしょうか?

Naoqki Doodah:そうです。パンクのルーツを辿った先に有ったものがDADAで、常に新鮮な自然を感じさせる言葉なので採用しました。
Tristan Tzaraの”ダダ宣言*2″にも書かれている一番有名な一節、”ダダは何も意味しない”が表している様に、第一次世界大戦と言う非人道的な悲劇を引き起こした、それまで芸術を保護もして来たブルジョワ層への反動から、西洋文明のそれまでの様々な常識や価値観や権威に対し、芸術家達が”反芸術”を標榜し、それらの物事から意味を剥奪し、”全く関係無いもの”、”何だか判らないもの”にしてしまう行為ですね。

-当たり前と思われている価値観を見直してみる目があるからこそできる行為ですよね。

Naoqki Doodah:ちなみにDOODAHとは”何だか判らないもの”を意味する言葉です。Bonzo Dog Doo-Dah Bandと言う、英国の変なバンドが居ましたが、当初、Bonzo Dog Dada Bandと名乗っていた所、人々から”Dadaとは何か?”と散々質問される事に嫌気が差し、”Doodah”に替えたとか。まあ、彼らコックニー訛り*3の発音だと、ダダはドゥーダーみたいな発音になるのかも知れないですがね…(笑)

「Bonzo Dog Doo Dah Band – Jollity Farm」

「Bonzo Dog Doo Dah Band – Equestrian Statue」

-Naoqkiさんは「DOODAH」という名をどういった経緯でつけられましたか?

Naoqki Doodah:個人的には、二十歳になる時に自分がそれまで当たり前に使って来た姓名が変わったんです。玉の輿の婿養子になったとかでは無くて(笑)、血縁の無い養父との長年の確執から、その家と完全に離縁する事になり、法律的事情から、全く面識の無い産みの親の姓名に自動的に替わりました。その時以来、自分は何処の家の者でも無い存在、1代目として生きて来たので、ダダフォニックス結成時、ナオキの後に、名字の様にして付けました(笑)。

-そういう事情があるのですね。

『身近な街中の何気無い風景の中に、何とも言えない、心に迫り来る詩情の様なものを感じていました』

2.創作はいつから始められたのでしょうか

Naoqki Doodah:幼少期から絵を描く事が好きで、毎日の様に色々描いていました。音楽を演ろうと思い立ったのは14の時にSex Pistolsを聴いてからで、翌々年に地元仲間とパンクバンドを結成したのが最初です。

-幼少期から様々な絵を描かれていたとのことですが、どういったものを描かれていたか、いくつか例を挙げていただけないでしょうか?

Naoqki Doodah:一番古い記憶では、人、動物、特撮や漫画のヒーロー、怪獣、乗り物など、普通に。その後は何処にでも有る普通の家の絵です。私が子供だった1970年代は三角屋根が主流で、屋根裏を換気する為の通気孔が、建物の前面、屋根の少し下辺りに必ず付いていたもので、それがまるで眼の様で、ジッと見ていると様々な顔に見えて、それに非常にハマって、あちこち回って観察し、帰宅後にそれらを一気に藁半紙に何枚も描いたりしていました(笑)。

-着眼点がとてもいいですね。

Naoqki Doodah:あと何故かは全く解らないですが、踏切と看板に魅せられていた時期が有り、近所の踏切の警笛機や遮断棒、踏切付近に有る信号機、電柱、線路、そして踏切に差し掛かる電車、運転士、踏切待ちの車、周りの建物、様々な塀、様々な看板などを、かなり細かいディテールまで一枚の絵の中に、望遠レンズで観た様な、遠近感が無い構図で全て描き込む、という事を来る日も来る日もやっていた時期が有りました。中でも看板には何故か解りませんが非常に魅せられました(笑)。

-看板、いいですね(笑)。小さい頃から無意識に俯瞰的な目を持って描かれていてとても感性の鋭さを感じます。

Naoqki Doodah:小学校高学年から中学1,2年の頃は、漫画的にデフォルメした友人の似顔絵を描いたり、空想した架空の街の地図を描いたり。大抵は退屈な授業中に…(笑)。
音楽を始めた頃にはすっかり絵は描かなくなりましたが、フライヤーのデザインなどは続けて来ています。

「ZINE『HERE TODAY*4』8号の表紙・ページデザインを担当 – 1988年5月(20歳)」

-現在から振り返ってみて、幼少期の絵を描く行為は現在の創作や音楽の演奏にも通ずる部分はありますか?

Naoqki Doodah:有るんじゃないかと思います。身近な街中の何気無い風景の中に、何とも言えない、心に迫り来る詩情の様なものを感じていました。それは現在にも連なる感覚として、ずっと持続していますね。

-“心に迫り来る詩情”、興味深いです。
「街中の何気無い風景」以外に、日常を通してどういった場面で詩情を感じられますか?

Naoqki Doodah:あまり大きな出来事などよりは、やはり何気無い物事に感じる事が多いですね。例えば、忘れ去られて誰にも気付かれず、ずーっと昔から長い事そこに有ったので有ろう、かつては何かだったが、今は無用と化した物とか、そんな物を発見すると、思わず立ち止まって見入ってしまう。旅などの非日常では無く、日常という事になると、やはりそれは街中で暮らしているので、全て”街中の何気無い何か”に、という事になりますかね。

-先ほどの姓名の話以外にも、ご自身のアーティスト名に“doodah(何と呼んだら良いか判らない何か)”とつけられている理由が少し見えた気がします。

また Sex Pistols を聴いて音楽を始められたとのことですが、当時 Sex Pistols に触れてどのように感じられましたか?

Naoqki Doodah:反抗期真っ只中で、家庭や学校で大人達との関係が緊張状態に有り、苛々していた時期で、友人宅のテレビでたまたまピストルズを観て、たったの2,3分の間に、詳しい事は判らないが、兎に角これだ!って直感、いわゆる雷に打たれた様な、ってやつで、怒りを中心とした感情の爆発なのに非常にポジティブなバイブスも感じました。俺にも何かやれる!って思わせてくれた。正にアイデンティティ確立の第一歩でした。それが無ければ音楽なんて演って無かったと思います。

「Sex Pistols – God Save The Queen」

-実際に音楽を始められて当時の心境に変化はありましたか?

Naoqki Doodah:有りました。しかもとんでも無い手応えです。毎日空いた時間を全てギターの練習や曲を聴く事に明け暮れて、血も流しながら少しづつ上達して行き、更にやって行くと、ある時点でビッグバンと言うか、音楽の神様からの御褒美なのか?!とすら思える様な奇跡が起きる事が有りますよね。それまでのペースとは明らかに違う光の様な速さで、それまで出来なかった事が急に出来る様になる瞬間とか。そして、ライブを演って、客が(当時は殆どが仲間達ばかりでしたが)明らかに喜んでいる様を見て、やはり心底嬉しかったですよ!


*1 Club CACTUS…乃木坂にあるクラブ。TAXI HIFIのサウンドシステム「DOSS BASS」が据え置きされている。
*2 ダダ宣言…7つの断片的な宣言の総称。「ダダは何も意味しない」はチューリッヒのマイゼ会館で読まれた第2宣言。『ダダ』誌第3号に「ダダ宣言1918」として掲載された。
*3 コックニー…東ロンドンの労働者階級が話す方言として生まれたアクセント。下町言葉。
*4 HERE TODAY…1983年、新宿LOFTで行われたイベントMODS MAYDAYの3回目に合わせて創刊されたZINE。


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