『知りたいと思うには全部違うと知ることだ』
表現は心理が反映したものであるのか、という初期のような問い。結びつけるそのものが音楽であったり絵画として。自然を愛でた詩も自然へ心理を投影したものか。自然は当たり前のように、多くの人の主題となる。普遍的な存在なのか、同じ世界にいるからなのか。同じような現象を、言葉を言い換えて説明する、それは無駄なことのようで、新しいものへの探求とも思える。
—
知りたいと思うには全部違うと知ることだ
—
星野源さんの”くせのうた”の一節。知りたいというあからさまな欲求は不安を抹殺するために生まれてくるのだろうか。ひとつを知るために、そこから少し外れたものを知っていく。遠回りのようであり、探求する行為には深い愛情があると思う。
何事においても「好きが伝わる」とすごく良いなあと自分は思う。そこから少し外れたものをたくさん知っている人は魅力的にうつる。そういうものを含蓄というのだろうか。
(2020年05月12日 心象記より)