20190226

『表現からみる「自己の最適解」』

聴覚、視覚、知覚、何に訴えかけるか。興味を持つこと、すでにその時点で自己を投影している。枯渇し次に投影するものに目移りするのか、視点が溢れて他の方法へと動くのか。それらは同様に動的な行為だが、次への布石、膨らみがまるで違ってくる。

日常生活において、表現方法(この場合、ツールとして)にどのくらいの時間を割いたのか。案外、シンプルにその現れてくるものに自己を見出そうとしている、と理解できる。レベル感ではないが現在の自己の特徴を捉えることができる。くどくなるが、表現自体の特質に近しいところに今の位置をプロットできる。 

私は自己を抽出した”単なる”方法として考えていたが、方法側からカメラを向けるとむき出しになる。自分に置き換えてみる。普段から音楽を創っているが、アンビエントな曲が比率として増えている。それは意識しているのではない。直観の中にすでに内在されている。表出された現象から逆算的に知ることもまたひとつの知恵であれば嬉しい。

(2019年2月26日 心象記より)


20190221
20190227



ShareButton:

返信する