20190325

『精神と詩に盃を』

どれだけ神妙な表情をしてみても、仕方のない。向き合った方が価値が高いとか言いたいのでは全くない。ただ、向き合った時間や心とアートは関連していて、私はそういう立場に。そこから生まれるものこそ純粋なるものなのか、資本や批評のない協調性とはまた別なもののように思う。

それらしくみせるからくりも、もちろん大切だけど唯一無二のその人の型。何かしらからインスパイアを受けたとしても、その人自身に落とし込んだ表現には目がいき耳がむく。

なぜそんなことを思うのだろうと考えてみた。とにかく自我を保つために必死なのだろう。その理由はどこか情けなくもあり滑稽である。思ってしまうことを消すのは不自然であるから、これまたどうしようもない。

精神から生まれる作品に惹かれる、言葉や思考に興味があるのも、「人間である」ことを意識しているからなのか。少し己を知れたような週末。精神と詩に盃を。

(2019年3月25日 心象記より)


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