20190503

『カウンターであるということ。』

薄々気が付いていたけど、自分が信じたものにしか加担できない人種。感情面ではなく、事実として。悲しみも喜びもない。ただただ。

人間も地球の一部として、考えるとどうしても共生のバランスが変に感じてしまう。自然に還りたくなる気持ちが実感として。

とか、思っているのも、がっつり、まさにというか、ステレオタイプに思えてしまう。それでも、信じたものしか信じられない。繊細やけど傲慢みたいな現象に人格が陥りがちだ。こういう檄的な感情は破滅に近づくと、知っているのに。

感情と行動を分離させないと。身体がもたない。

でも、そこに表現が隠れているのではないかと、淡い期待もある。何かを得るとは、何かを捨てる。言葉尻ではなく、だんだんと身を以て迫ってきている。

最近思う。親との関係がやはり大方その人を形成しているのかなと。変な話、至って円満な家庭。なのに、何故、信じたものしか信じられないのか。幻想という理想に苛まれている。せめて社会との接点として、身を滅ぼさない方法として、最低限、行動と感情を分け隔てよう。最近、精神的な調子が悪いのは確か。

(2019年5月3日 心象記より)


20190416
20190509



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