『わからないに水平チョップ』
「一点に集中することにより、そのこと以外がすんなりといく」というのは、曲解された自己都合か。疑問を持ち続けると、感情が細分化されてどの状態も喜怒哀楽に当て込められない。疲れているのか、楽しんでいるのか。生は希薄か濃厚か、その密度さえもよくわからない。別の何かによって、使役的に動かされている気もする。自分はそれを一つの集約した言葉、絶対的な存在に落とし込みたくない性分である。天変地異、全てが無になりそう、直感。
自覚、言葉にできない予測や予見、それらを想像力と呼ぶのであろうか。疑問が湧くのは明らかに刺激を受けたからである、人と関わることにより。対象のデバイス的なものに電気信号を送って起動しはじめる。供給量が現在の許容値を越えれば故障する。
そう考えてしまうと、人間もシステマチック。いつか志人さんがフリースタイルで言っていた「電気伝導体」という単語が浮かぶ。それを繰り返し。行動は変わらずとも、許容値のラインは変わっていく。 「わからない」に割れ目を入れては、中をのぞいたり、どこか遠くに投げたり、抱き抱えたり。
(2020年03月02日 心象記より)