20200803

『抽象的な疑問』

森田童子ルーティーンというのが生活に組み込まれている。疲れたら森田童子の”ぼくたちの失敗”を聞いて、さらに沈ませる。浄化させている。

今日、ぼくたちの失敗を聴いていたら違った。物悲しい位置づけであったものが、そうではなくて綺麗だった。美しさの中に漂っているような感覚。

シンプルに年齢の問題かもしれないけど、少しづつ変容している。付き纏っていた不安感や虚無は形を変えてみれば、混じり気がない、たったひとつの美しいものなのかもしれない。同じ音源なのにギターのアルペジオが明瞭に聴こえた。

「美しさにないものは不純と思う」とある人が言っていた。その言葉が心に残っていて、今回の感覚が当てはまるのかも、と勝手に思い込んでいる説もある。もらった言葉はどこで咲くかわからない。

目に見えないもの、感覚を言葉で表出させることにより、より細かくみられる、創作に役立つのではないかと考えて記した。どの感情に向き合って、またどの感情に向き合わないのか、向き合うとどうなるのか。いい影響になるのか、それは一体。葛藤しているわけでもない。生活水準。

夜、月をみながら歩いていて、”ぼくたちの失敗”を聞いてみた。月に吸い込まれる。そういえば梅雨が明けていた。

(2020年08月03日 心象記より)


20200728



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