『町田桃子のジャパニーズ・アンダーグラウンド・フォーク』
タイトル:さんま焼けたか
※ページ毎にご本人の作品をお聴きになれます
東京・高円寺の地下に響き渡る、喉が千切れんばかりの絶唱。アコースティックギターの音塊に乗った男の声は、聴衆に痺れるような感覚を与えます。絶唱とともに深い情感を巧みに描くその男の名は、町田桃子。精力的に全国を駆け巡り、各地に焼けつくような印象を与えています。
全てを賭すような表現はどのような人物から発されているのでしょうか。軽妙に、時に熟考しながら答えていただいた町田さんの ROOTS が今「実録」として浮かび上がってきます。
<インタビュー>
『極論を言えば「あ」と言葉を発しただけで全部が伝わるのが一番いいと思うから』
1.なぜ音楽をやっているのですか?
町田桃子:あれやね、ちゃんと真面目に答えた方がいいやつやね。モチベーション……、モチベーションなのかはわからんし言い方が難しいけど、完璧にうまくいくことがないので。そのタイミングではとても良い曲ができたとなっても、1週間経つとまだ足りない。それの繰り返しなのかなぁ。
町田桃子:更新というより、そぎ落としていきたい。
町田桃子:うん、めちゃくちゃあって。小学校のとき、恐竜が好きで友達何人かで恐竜の話をしたり図鑑を見たりしていると、みんなティラノサウルスみたいなのが好き。でも、俺はコンプソグナトゥス*1。一番小さいと言われる恐竜が一番好きだった。最小の単位、「それだけでいい」がすごい好き。
極論を言えば「あ」と言葉を発しただけで全部が伝わるのが一番いいと思うから。だから今でもステージの上でそんなことをしている、そういうことよね。ある程度曲を作って歌詞を書いているけど、その最小の一言を考えると、結局終わらんかな。そういう意味での削ぎ落としね。
町田桃子:そう。全部の曲に対して追求しているわけじゃないけど、必ず1曲はそういう追求をしている。「Cメロっていらんやん」みたいな。
町田桃子:蛇足と思う一方でCメロがあるから良いという曲はもちろんある。武器を付けてあげたらもっと強くなる曲、いくら武器が付いても強くならない曲、曲にはそれぞれ適性があると思う。その上で好きなのは武器を付けても強くならない、素のままの、生身が一番強いタイプ。
町田桃子:そういう感じかな。
町田桃子:そうね……。削ぎ落とし切らなかったのはあるのかな。形にして出す以上、本当はそういう曲を一生に一度はCDに入れたいけど、そんな、ね。もっと認知された上で。
認知されていて5枚目か6枚目のアルバムで、「1曲1小節、5秒で終わる曲があります」の方が良いと思うんよ。変に誤解されてしまう。「尖ったことをやりたいんだ」と思われたいわけじゃないから。
町田桃子:そうそう。そういうことをしたいわけじゃないから。
『やっぱりカノン進行はすごいと思う』
2.音楽はいつから始められたのでしょうか
町田桃子:幼少の頃からずっとピアノをやっていて。で、大学に入ったときにバンドを組みたい人に「ピアノが弾けるなら、キーボードをやってよ」と言われたのが初めて。HY とか弾いていた。
町田桃子:そう、誘われて。
町田桃子:キーボードで。
町田桃子:ピアノは幼稚園に入る前から高校卒業するまで。
町田桃子:そう、ソナタとか。嫌いやった(笑)。毎日弾くのが嫌で。
町田桃子:うちの母親が教えてくれてたの。ピアノの先生でもないのに、毎日2〜3時間。今思えば「何のために?」という(笑)。
町田桃子:落ち着きがなかったからかな。落ち着かせる、座ってじっとする訓練を兼ねてたと思う。
町田桃子:そう。教室からいなくなっちゃうタイプの子。
町田桃子:ほとんど、音楽を聴くことはなかった。中学3年生のときに運動会でダンスを踊るから、激しい曲を1人1曲ずつ持ってくることになった。みんなが持ってきた中で、ダンスができる一番激しい曲を選ぼうとなって、俺はほぼ音楽を聴いてなかったけど、ビートルズは親の影響で聴いていて、ビートルズの「GET BACK*2」を持っていった。
俺の中では当時は「GET BACK」が一番激しい曲やったわけ。でも、その当時の同級生がメタルとかさ、曲調が激しい曲を持ってくるのよ。で、「GET BACK」を聴かせると「こんなのは全然激しくないよ」と言われて、俺もめっちゃショックでさ。俺の中では「GET BACK」が最高に激しい曲やと思ってたのに(笑)。
ただ、音楽をやるようになって「GET BACK」を聴くと1周して「やっぱり激しいよな」と思ったりするけどね(笑)。
町田桃子:最初に学祭に出るようなバンドをやっていて、いきなりライブハウスでライブをしていたわけではなくて。で、ライブハウスに出ようとなったんやけど、そのタイミングでボーカルがいなくなっちゃって。
そのバンドにはボーカル、ギター、ベース、ドラム、キーボードがいて。じゃあもうさ、言ったら失礼やけどさ、ボーカルがいないとなったら、「次にいらなくなるんキーボードやん?なくてもええやん」と(笑)。だから歌えとなって。
町田桃子:そうそうそう。今キーボードをされている方にはとても失礼やけど、当時やっていたバンドの中では、ボーカルが抜けた後になくてもいいのはキーボードだった。メンバーのみんなも、例えばベーシストはベースがやりたくてバンドをやっているから、歌いたいわけじゃないからね、言ったらね。
町田桃子:うん、そうそう。でも、カラオケにすら行ったことがなくて、歌を歌うのもあんまり好きじゃなかった。
町田桃子:当時は若かったし、ノリで「良いよ、やってみるわ」と答えて。「ライブハウスに出てみよう!」となって、曲もオリジナルが欲しいと。
歌をやる前に「自分で曲を作ろう!」となったのが先だった。そしたら「曲を作るの楽しい」と思って。それで、自分で曲を作ったら、自分でその曲を歌うのが割と自然な流れなのかなと。
だから戸惑いはなかったかな。逆に、他の人が作った歌をコピーやカバーで歌ってと言われてたら戸惑っていたのかもしれん。
町田桃子:「野良犬」です。
町田桃子:そうそう。若干歌詞は変わっているけど、メロディや歌詞はほぼ一緒で、サビも同じ。面白いもんで初めて作った曲がほぼカノン進行なんよね。ピアノやっていたから、耳馴染みがあるんやろうね。
カノン進行を知らずに、知ってるコードで曲を作ったらたまたまカノン進行になっていた、やっぱりカノン進行はすごいと思う。
町田桃子:うん、そうね。ずっとやっている曲。だからと言って、俺の中で「特別な想いがあってやっています!」というのは特になくて。
町田桃子:曲によってはそういう曲もあったけど、未だに歌ってるから、まだないかな。60歳になって歌ってるときには、もしかしたらそう思うかもしれんけど、今の段階ではまだない。
町田桃子:そうね、確かにね。変わってくるからね。
町田桃子:「野良犬」を作ったときがギターを触り始めた頃で。ピアノでずっとクラシックやっていたから、なんとなくCとかGとかのコードは知っていた。逆にピアノを弾きながら歌うのがめちゃめちゃ難しくて。だから、歌うならギターの方がいいとなった。ピアノ・ボーカルは考えてなかったかな。
町田桃子:うん、全然違うバンドだった。
町田桃子:そう。ずっとやっていたね。
町田桃子:半年くらい途切れたことはあったかな。大学の2年目の留年が決まったときに、半年途切れたね。そのとき、たまたま知り合いから急遽「弾き語りでもいいから、ライブ出てくれない?俺出れなくなっちゃって」と頼まれて、初めて弾き語りでライブをした。
2年目の留年をしていなかったら、俺は弾き語りをしていなかったのかもしれないと考えると、大金かけて2回留年して良かったと思う。
町田桃子:そのときは、そういう感覚はなかった。でも、やっぱりバンドをやりたいと思って、その後結局別のバンドを組んでやり始めたから。そういう意味では、初めての弾き語りが楽しかったから、また音楽をやりたいと思ったんはあったんやろうな。
町田桃子:2つめのバンドが解散した後に、高円寺 Club ROOTS に弾き語りで出ていて、その当時に ROOTS で弾き語りでよく共演していた3人。本当に流れで、当時のブッカーさんに「バンドを組んじゃいなよ」と言われて、それでバンドを組んだから。ドラムは当時は顔見知りくらいだった名取を誘って。
ギターは別のバンドでやっていて、たまに弾き語りをやっていた。ベースは元々ガーリックバターソースという名義で出演していた。今のベースは当時よく観に来てくれてたお客さん。前のベースが抜けるタイミングで「ベースをやる?」と聴いたら「やりたい」と言ってくれて。
*1 コンプソグナトゥス…中生代ジュラ紀後期、ヨーロッパに生息した小型肉食恐竜。頭部の大きさは10cm程度。
*2 GET BACK…1969年4月にシングル盤として発売された Beatles の楽曲。
*3 ドントクライベイベー町田…2012年結成。町田桃子が所属するバンド。メンバーは町田信者(Ba)、町田キツネ(Dr)、町田桃子(Vo/Gt)、町田出身(Gt)。