第5話

「貝の話」

突然申し訳ないのだが、私の好きな貝を発表させて頂きたい。

「ムール貝」である。

私は、ムール貝を愛している。最後の晩餐に選ぶのはムール貝だし、死んだら仏壇にはムール貝を供えて欲しい。なんならムール貝の香りの線香を焚いて欲しい。

ところで、普通の人はムール貝と聞いてまず何が思い浮かぶだろうか?

パッと浮かぶのは「パエリアの上に乗ってる黒い貝殻の奴」か「某ゼリヤの鉄板に乗ったガーリック焼きの奴」あたりかもしれない。

「なんかキモいしあんまり美味しくないよね。ただの飾りでしょ?」という評価を受けてしまいがちなムール貝。牡蠣や蛤など、貝界(かいかい)の絶対的エースからは遠く外れた2軍メンバー。

そんな誤解(ごかい)からムール貝を救いたい。君が好きだと叫びたい。それはたぶん迷惑だろうから、せめてムール貝について語らせて欲しい。

ムール貝を愛する私だが、絶対的なこだわりがある。それは「フレッシュムール貝しか食べない」という少々面倒くさいルールである。

ムール貝はレストランやスーパーでよく見かける食材だが、そのほとんどが冷凍である。冷凍が悪い訳ではないが、やはりかなり味は落ちる。ムール貝がイマイチな評価を受けてしまいがちな理由も残念ながらここにあると思う。

高級イタリアンやフレンチに行けばフレッシュムール貝のメニューはあるが、お値段はやや高い(たかい)。

私は一度、ムール貝の白ワイン蒸しを頼んだはずなのに「ムール貝とアサリのハーフ&ハーフ」で出して来るという姑息な店に当たってしまい、それ以来基本的にレストランでは頼まなくなった。ムール貝は遊びではない。

ではどうしているのかというと、ムール貝の旬は夏から秋にかけてなのだが、その時期のスーパーをよくチェックしてみて欲しい。店にもよるが、魚介類の品揃えの多い店の貝コーナーにほんのちょっとだけフレッシュムール貝が売っている事がある。私の経験では1パックにつき大体10個入って300円くらい。それを私は、全部買い占める。全部だ。ありったけのムール貝(夢)をかき集める。ムール貝との出会いは一期一会であり、そこに迷いなどはない。

全部と言ってもそもそも少ししか仕入れられていない(たぶんあまり売れてない為)5〜6パックくらいだが、あまりお目にかかれない物なので、あわよくば買い占める事によりムール貝って売れるんだな…と魚屋の仕入れ担当者に思って頂けたら幸いである。

根こそぎカゴに入れる私は、狂気を纏っているらしくかなり目立つようだ。スーパーの買い物マダムに「それ…どうやって食べるの…?」と聞かれた事は一度や二度ではない。その場合、マダムに調理法を丁寧に説明し、カゴに入れたムール貝を譲る事にしている。このように、地道なムール貝の布教も忘れてはならない。

手に入れたムール貝はまず全てをパックから出し、大きめのボウルに入れて下処理をする。と言っても、ただ数回水洗いして足糸と呼ばれる紐状のものを引き抜くだけの簡単な作業だ。

次に、鍋(フライパンでも可)にニンニクの微塵切りとオリーブオイルを入れて香りが立ったところにムール貝をぶち込む。

そこにミニトマトとイタリアンパセリの微塵切りを入れ、蓋をする。白ワインはあれば入れるが、なければ料理酒で良いし水でも構わない。水分は勝手に出てくるので、自動的にスープ仕立てになる。蓋を開けて、貝が開いていればオリーブオイルをひと回しかけてレモンを絞ったら完成だ。

貝の旨みが凝縮されたスープを殻で掬いながらムール貝の身を口に入れ、白ワインを飲む。ニンニクと磯の香り。イタリアンパセリの爽やかさとトマトの甘み。この世界の全ての幸せが詰まっている。そこはもう楽園だ。赤い夕日を浴びて黒い海を渡ろう。猫も連れて行こう。好きにやればいい。

この美味しさと感動に出会う為、普段冷凍ムール貝を食べないようにしていると言っても過言ではない。フレッシュムール貝でしか得られない幸福という物がこの世にはあるのだ。

ムール貝歴20年以上のプロの私だが、過去に一度だけ下処理中に貝の中からムカデのような謎の海洋生物が出て来た事があり、その時はあまりの恐怖にしばらくムール貝断ちをせざるを得なかった。しかしやはりムール貝の美味しさには抗えず、今も愛し愛されのムール貝人生を送っている。

是非、今度スーパーでフレッシュムール貝を見かける事があれば手に取ってみてほしい。その先には、夢のような楽園が待っているだろう。

では、ここまで読んで頂きありがとうございました。

以上。解散(かいさん)。


【執筆】
もるた


『その刹那』

第4話:マダム2023
第6話:怖い話が苦手だという話

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