第8話

濃すぎた日の話

先日、飲み会の帰りにほろ酔い気分で最寄り駅のトイレに入ったところ、ちょっと信じられないくらいにゴミが散乱していた。

私の住む埼玉県の某街はそんなに治安は悪くないはずなのだが、今日は何かイベントでもあったのだろうか。そう思いながら便座に腰かけると、我が目を疑う物が置いてあった。

つけ麺である。
セブンイレブンで売られている、松戸の名店「とみ田」監修の濃厚豚骨魚介つけ麺¥699である。

これが袋に入った状態の忘れ物ならば特に驚く話ではない。しかし明らかに「今、この場で食べた」様子だった。

「え?トイレでつけ麺……??」

あまりの光景にパニックになった。「おトイレ」で食べて良い物の範疇を完全に超えている。

そもそもトイレで物を食べるなという話なのだが、世の中には2種類の人間がいる。いわゆる「便所飯」という行為をした事がない人間と、した事がある人間である。

私は残念ながらした事のある人間だ。
20代の頃、何を血迷ったのか意識高い系の勉強会に参加してしまい、キラキラした人種の方々と全く話が合わず、株の話と豪華客船の話と断食道場の話に居た堪れなくなり、昼休みに泣きながらトイレでパン(コッペパン¥116 )を食べた。

「ねぇ、この後みんなでランチいこ!」という「みんな」に確実に自分が含まれていない事を瞬時に理解し、こっそりと見つからないようにトイレに駆け込んで食べたコッペパンのボソボソとした食感はいまだにトラウマである。

その後自分も多少は大人になり、もう周りの目を気にして物を食べる事はなくなった。しかし、トイレで物を食べる人間の気持ちはある程度は理解を出来るつもりでいた。

だが、目の前にあるのは濃厚豚骨魚介つけ麺。これは一体どういう事なのだろうか。

そもそも、やむを得ずトイレで物を食べるという状況から考えられるのは、

①食べている所を見られたくない
②食べる場所がない
③急いで食べなければならない

そうでなければわざわざ不衛生な(しかも駅)場所で食べる意味がわからない。ならば、すぐに片手で食べられるようなパンやおにぎりが正解だろう。

しかし、彼女(女子トイレなので)は明らかに食事を楽しんでいる。一旦麺をつけ汁にワンバウンドさせるという工程を考えると、何でも良いから空腹を満たしたい!という意思をまるで感じられない。濃厚豚骨魚介つけ麺とはそういう食べ物である。

そして、まだトイレで物を食べるのは百歩譲って許せたが、食べた後のスープまでそのまま放置して帰るのは許せない。多少は理解出来る部分もあると思ったのに、やはり彼女とは一生分かり合えないだろう。方向性の違いで解散だ。

考えている間に完全に酔いが覚めてしまった。しかし長居している場合ではない。トイレが混んできたようだし、もう出よう。そう思った瞬間、ふいに脳内にこんな疑問が浮かび上がった。

「もしかして今トイレを出たら、次に並んでいる人は私がトイレ内で濃厚豚骨魚介つけ麺を食べたと思うのだろうか……?」

……!!!!

やめてくれ。私はそんな人間ではない。これは元からあったんだ……!!しかし、一瞬すれ違うだけの人を引き留めて言い訳するのもわざとらしい。

……私はダッシュで逃げて帰った。すっかり克服したはずのトラウマが再び蘇って来た。やはり私は結局、人の目を気にしていたあの頃と何も変わっていなかったのかもしれない。しかし、トイレで濃厚豚骨魚介つけ麺を食べるほど自由にはなれない。

濃厚豚骨魚介つけ麺とコッペパン。
そのちょうど真ん中で、私は今日も地味に生きている。


【執筆】
もるた


『その刹那』

第7話:息子からのSOS

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