20190205

『言語外の思考』

「役割」というのは抽象的に考えやすい。コンピュータの仕事をしていると、やたらと専門用語が出てくる。遺伝子の構造を研究している人の本を読むと聞いたことのない用語が洪水の如く溢れてくる。

しかし、その役割を抽出すると「AのおかげでBが機能する」といったレベルの話だったりする。関係性が多いゆえに複雑だけど、観点を絞ればシンプルだったりする。それらの構造を(変化の種類を決め)「記号」に抽象化したのが四則演算とかいわゆる数学に該当するのではないかと。

数学がなにより現象を抽象化しているとは知りながら、具体的な自分の仕事だったりやることは「感情」で決めているし、数学に時間を割いているわけではない。何が言いたいかというと、頭で大筋を理解しているのと、自分がプレイヤーとしてやることはこれでもかと違う。
プレイヤーになってみると、想像していた大筋はそんなに外れていない。(大筋のざっくりとした例: 音楽でいうと人が感動する音色やパターンはある程度決まっているなど、、?)

技術に繋がるので知っている方が色々いいかもだけど、あんまり関係ないように思う。

その人をその人たらしめるもの、作品。
この中島 智さんの一連のツイートの感覚がいわゆる「個性」に関わってくるのではないかと。
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卒業研究で、従来の対話型鑑賞に疑問をもち、改善案を提示する意欲的な研究があった。ただ質問してみるとアビゲイル・ハウゼンの「美的発達段階」は下敷きにしているとのこと。そこで助言した。ハウゼンの言う「第1段階」から「第5段階」へ、途中の段階を経ずに、飛躍させる方法が、視覚的思考だと。 pic.twitter.com/6EoVEokhe4
中島 智 (@nakashima001) 2019年1月16日

ハウゼンの第2段階や第3段階にいる人であれば、簡単には視覚的思考には入れない。それ以前に「言葉」のもつ虚構性を実感してもらうレッスンが不可欠となる。なぜなら、彼らは、言語的思考以外の〈思考法〉を知らないので「言語化か、もしくは感覚か」といった二元論しかイメージできないからである。
中島 智 (@nakashima001) 2019年1月16日

例えば、レヴィ=ストロースは、音楽は音楽以外のロジックに翻訳不可能であり、音楽はただ「変換」されながら新たな音楽を生み出すのだと述べた。これは「音楽家たちが音楽〈で〉思考している」とも「音楽〈が〉自らのことを思考している」とも云えるが、これも歴とした〈思考〉なのである。
中島 智 (@nakashima001) 2019年1月16日
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上記の「言語化かそれ以外(感覚)か」ではなく、もっとこう入り組んだイメージを持たないと、抽象的な面での完成度、深みみたいなものはでないように思う。作品に思考がでるというか、バレるというか。同じことをしても、独創性があるというのは、ここらあたりを人より細分化してもっているように思う。また、上記でいう視覚的思考力があると、本質を見抜きやすく共通項を見つけるのも、得意になるかと。

言語外の思考はいくらでもあるように思う。
言語はたまたま読み書きという特殊な性質を持っているだけなのか。
レトリックであり学問であるのでしょうか。

(2019年2月5日 心象記より)


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