20190215

『志』

私は「完全な善人も悪人もいない」説に結構賛同しています。
人間の性質には同じ個体というのもあり、あまり差がないのではないかと思う。

変な例えだけど、自分の好きなアーティストがライブ後、フロアに降りてくると、「わっ、◯◯さんや」となる。それは権威主義でもなくても、テレビでよく見る人を見かけると、起こりうる現象。 裏からいえば超有名人であろうと、その人のことを全く知らないと、その人にはよるけど、印象は「かっこいいお兄さん」とか「強烈な人や」とかになるわけです。つまり、普段、電車で見る名もない人になるわけです。

その人の中の分類により、個人の価値は変化する。有名という幻想をみている、というのは、仕組みから見ればその通り。プロモーションからみればそれは”演出”という言葉に含まれる。

しかし、主観に置き換えると話が変わってくるように思う、結論から言うと精神性はおもてにあらわれる、という信念かもしれない。けっきょく、蒔いた種の分しか、花は咲かない。

全然話が飛びますが、選択肢は多いほうがいい、つまり視野は広いほうが、本人が良かったって思える確率は高いように思う。例えば親が「大学は行っときなさい」というのも、なるべく視野を広げようとしてくれているのだと思う。単純に視野が広い方が、狭いより自殺をする確率も減る。

幸福は絶対的な価値ゆえ、勝手な判断はできないが、今より良い方向に進みたいと思っていない人はいないのではないか。私は不幸も、幸せを求めた結果と考えている。(志人さんの歌の一節ではないが)、悪くなるために生まれてきているのではなく、その道中で悪くなることもあるのではないかと)

煩雑な語りになりましたが、そういう「視野の広さ」をせっかく人間に生まれたから伝えていきたい、揺れてばっかりだけど、そんな志で生を全う。

(2019年2月15日 心象記より)


20190212
20190220



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