『経済にしろ、空気にしろ、回そうと考える「おもてなし」があらゆる根本なのかもしれない。』
自分の想いを吐き出す、尊い行為。慮る大人を前にすると、「浅ましい心」が洗浄される。現在、挨拶して「アルバムを聴いてください」というもはや行脚的な行為を実施している。でも、本当はそういうことじゃないと思う。お金が手段であるように、今の行動が手段のままであるように。
手段が目的になった瞬間、表現は死ぬ。そのことについては、異常なバイアスがかかっているとは理解している、傾倒のバランスがおかしくなっている。ふと、今日、話した人が言っていた。思いを吐き出すその行為自体の美しさについて。今は生活だから、資本主義へと寄っているので、故に、そういうのを大切にできるように。こういう時こそ、おじいちゃんの言葉を忘れず、サイレントマジョリティ、客観性に収斂。
(2019年7月13日 心象記より)