20191231

『ウィスキーで体を温めよう。』

振り返れば短く、今として捉えると長く感じる。一体何を追いかけているのか、なにもしていないのか。瞬間の連続で時は過ぎていくが、逆行するようにゆっくりと物思いにふける。味わうには余裕がいる。物事に意識的であることは、ある種の罪であると考えた。主観的な生き方、こだわりを持っていると感じる人が周りにちらほらいる。興味深く、また、有難い。意識的であることを無意識にまで持っていくには、”わかったつもり”ということを理解する(さらに意識的になる)、もしくは言葉ではない世界、精神世界にとぶ。

社会的に正しいこと正しくないこと。道徳的に正しいこと正しくないこと。音楽的に正しいこと正しくないこと。いずれにしろ錯覚。世は人間が作ったルール(概念)の上に成り立っているから、錯覚をみているぐらいで、ちょうどいい具合である。

ウィスキーで体を温めよう。

「おもしろきこともなき世を面白く すみなしものは心なりけり」

自身ですら”よくわからないもの”で、それでいて確実に肥大化する。強くて柔らかくてふくよかなイメージ、炊きたてのお米みたく、いつも新鮮に。

(2019年12月31日 心象記より)


20191031
20200104



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