三の不在──宮澤賢治「風野又三郎」及び「風の又三郎」断想
「二〇二六年は丙午だから出生率が低いんじゃないかな」
二〇二四年十二月二十八日の夜、仕事を終えた私と居酒屋に来た妻の一言である。この言葉が鍵となって、思い出した記憶と発見があるので、読者諸氏にお伝えしたい。
時を遡って、二〇〇九年。私は大学二年生でサークル活動の先輩と学食の味噌ラーメンを食べていた。先輩が受けている講義で課題が出ているという話になった。その課題を出した講師は高橋世織氏である。文学や映画を中心とした文化横断した知識を有したユニークな先生であって、私も在学中に講義を受けていた人物だ。そんな高橋先生の出した課題とは【宮澤賢治の「風の又三郎」の舞台となる学校には小学三年生がいないが、その理由を提出すること】というものだ。
その先輩がどのようにその課題に答えを出したのかはいまいち覚えていない。「グスコーブドリの伝記」などから援用して日照りなどによる飢饉が要因となって子供がたまたま生まれなかったとか、そういった理由だった気がする。
私は何故かこの課題を時折ふと思い返すのだが、ずっと答えを出せずにいた。
そんなモヤモヤが妻の言葉で瞬間的に晴れたような気がして、ホッピーを飲みながら、その晴れた景色がまやかしではないかを調べてみた。
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まず、「風の又三郎」とプロトタイプとも言える「風野又三郎」にはこのように小学三年生の不在が書かれている。
教室はたった一つでしたが生徒は三年生がないだけで、あとは一年から六年までみんなありました。(風の又三郎)
先生はたった一人で、五つの級を教えるのでした。それはみんなでちょうど二十人になるのです。三年生はひとりもありません。(風野又三郎)
このように「風野又三郎」の段階から三年生はいないことになっている。この世界は明治○○年の話とは限定されていない。だが、この丙午という仮定に沿って考えると一つの道筋が見えてくる。二〇二六年が丙午であり、その前が一九六六年、前々回が一九〇六年(丙午は六十年に一度巡ってくる)。一九〇六年は数え年で賢治が十一歳、そして妹のトシが九歳になった時であり、その歳は丁度小学三年生に当たる。赤林英夫の論文「丙午世代のその後統計から分かること」(※1)からの孫引きではあるが『人口動態統計』 によれば、〈1906年の女子出生数は、前年にくらべ約7%の減少、翌年は16%の増加であった〉ようだ。この事実に基づくと、宮澤賢治は丙午の出生率の低下に着目しながら小学三年生を不在とした。それに加えて、トシを喪ったことも描いたと思われる。
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登場人物である学校の子供たちが転校生の高田三郎を風の又三郎だと感じるのは彼の異様な雰囲気と出会い方によっている。授業の始まる前に勝手に教室に入ってルールを破るさまとその不思議な外見を上級生は面白がり、下級生は少し怖いと感じている。
「外国人だな。」「学校さ入るのだな。」みんなはがやがやがやがや云いました。ところが五年生の嘉助がいきなり/「ああ、三年生さ入るのだ。」と叫びましたので/「ああ、そうだ。」と小さいこどもらは思いましたが一郎はだまってくびをまげました。(風野又三郎)
「学校さはいるのだな。」みんなはがやがやがやがや言いました。ところが五年生の嘉助がいきなり、/「ああ三年生さはいるのだ。」と叫びましたので、/「ああそうだ。」と小さいこどもらは思いましたが、一郎はだまってくびをまげました。(風の又三郎)
五年生の嘉助が何故、高田が三年生であると感じたのかは不明だが、子供であれば不足の三年生を埋めるんだと軽口を叩くのも無理からぬことであろう。しかし、高田は嘉助の予想に反して、自分と同級の五年生である。
すると先生は、高田さんこっちへおはいりなさいと言いながら五年生の列のところへ連れて行って、丈を嘉助とくらべてから嘉助とそのうしろのきよの間へ立たせました。(風の又三郎)
しかし、高田が五年生であると言及されているのは「風の又三郎」のみである。「風野又三郎」ではその辺りに関する原稿の数枚が紛失している。この失われた数枚に風野又三郎が五年生であることを示す文章があったかもしれないが、あえて五年生という明言がなかったという仮定で進めていくと、風野又三郎は三年生の隙間を埋めに来たという考えも成り立つ。いや、風野又三郎という存在自体が高田とは異なり精霊の側面が強い存在であるから、年齢を推測するのも野暮なのであろうか。
五年生の高田が不在の三年生を埋めるような存在に見えて、その三年生という穴は実質埋められてはいない。その不在の穴とはおそらく、又三郎という精霊が、学校の子供たちの経験や体験を揺さぶるための通り道なのであろう。不在の三年生にトシの姿を重ねる時、トシ自身が精霊となって、二歳年上の賢治の心を揺さぶったようにも感じられる。
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三年生であったと思われたのに五年生であった高田三郎という少年が、登場人物の子供たちに風の又三郎という精霊と交わって見えている。この見えるようで見えない不可思議に半透明なものたち──五年生の賢治と三年生のトシ、自然の精霊である風野又三郎──がフィルターの中を通して、多重露光のように透けて現れ、読者の心のフィルターに色濃く焼きついている。
高橋世織先生の問いかけに十六年の歳月を経て、いま答えるならば、以下のようになるだろう。
小学三年生とは風野又三郎あるいは風の又三郎が通過するための穴(道あるいは門)である。その穴は高田三郎に宮澤賢治の姿を重ねてみた時には、二歳年下の小学三年生であった妹・トシのイメージが重なり、妹を喪失した空虚の穴という意味も含んでいると思われる。更に三年生の不在には丙午という現実的な干支の観点も関係してくるはずである。干支や年齢とは生きることに通じる。その故に「風野又三郎」では主人公であり精霊である又三郎は学年に囚われる必要がなかったことと推測する。空虚の穴を風野又三郎や(高田三郎を通した)風の又三郎が通過する行為は、喪われたトシの心や想いといったものが自然に帰って、作者である賢治自身の心をも震わせたことを意味しているのだろう。賢治の物語を通してトシが〈どっどどどどうど どどうど どどう〉という音を立てながら賢治の心に救いを与えてくれているのだと思われる。
※1 雑誌『日本労働研究2007年12月号』(労働政策研究・研修機構)より引用
(文章:遠藤ヒツジ)