第9話

りんご飴と夏の恋

りんご飴が流行っているらしい。

つやつやとした真っ赤で可愛らしい見た目はSNS映えするし、「レトロかわいいブーム」や「ASMR動画」などの理由からか専門店も多数展開され、すっかり若者の間ではオシャレスイーツという認識のようだ。

私にとってりんご飴と言えば、子供の頃お祭りの屋台でねだって買ってもらったはいいが、一口ですぐに飽きてしまい「もういらない」と言って親にブチ切れられるという哀しいお菓子でしかないのだが、ひとつ500円もすると思えばその気持ちもわからなくはない。

そう。りんご飴とは、購入してから食べるまでがピークなのだ。

食べる前は真っ赤な飴にコーティングされた、とてもかわいい見た目でワクワクする。だが、一口食べると甘い飴に対してりんごの酸味が際立つ為にりんごの美味しさが半減し、結果的に甘さの螺旋階段を逆行してしまい、後半飽きて親にキレられる事態となってしまう。

更に、果汁が垂れるので手がベタベタになってテンションが下がる。食べかけのりんごも歯形がついて美しくない。

このような問題点を解決する為、最近のりんご飴専門店では切った状態で提供するらしいのだが、それはそれで可愛らしい見た目が1番の売りであるりんご飴の存在意義とは?
食べた事ないから知らんけど。

と、まぁ昨今のりんご飴ブームについては冷ややかな目で見ていた私なのだが、りんご飴について深く考えざるを得ない、とある曲に出会ってしまったのだった。

突然だが、マカロニえんぴつというバンドの「夏恋センセイション」という曲をご存知だろうか。知らないという方はYouTubeでもSpotifyでもなんでも良いのでちょっと一度聴いて来て欲しい。



(聴いてくれた事を前提として話を続けます)

この曲はマカロニえんぴつ初期の代表曲で、タイトルのとおり「夏の恋」をテーマにした、一瞬で過ぎ去ってしまうような夏の疾走感、繰り返し歌われる「真夏 浴衣 君と花火」のフレーズが印象的で、夏にピッタリな私も大好きな曲である。

しかしこの曲を聴いてみて、気になる歌詞がなかっただろうか。

それは、

「あげるよ 残りの林檎飴」

え?

何だって???

“残りの”林檎飴??
買ったばかりのツヤツヤとした丸くてかわいいりんご飴ではなく、

「残りの林檎飴」

という事は食べかけの歯形がついたりんご飴……という事だろうか?

歌詞的にはどうやら「まだ付き合っているわけじゃないけど良い感じになった若者が2人きりで浴衣で夏祭りに行く」という状況らしいのだが、付き合ってもいない人に突然食べかけのりんご飴を「あげるよ」と言われたら……どうだろうか……?

残念ながら私はモテない青春を送って来た為、「真夏☀️浴衣👘君と花火🎆」的な状況になった事がなく、想像でしかなくて申し訳ないのだが。

うーん……ちょっと嫌かもしれない。

食べかけで残り物のりんご飴を「あげるよ」と言われてキュンとするのは、私ならばよっっぽど好きな人に言われた時のみだと思うのだが、まだこれからどうなるかわからない程度の男女間で「あげるよ 残りの林檎飴」をやるのはかなりチャレンジャーなのではないだろうか。

もしかして私に夢がなさ過ぎるだけで、普通ならばこれはドキドキする場面なのでしょうか?

(ちなみに歌詞をディスる気持ちは一切ありません。マカロニえんぴつ大好きです。先日の横浜スタジアムのライブも最高だったしZeppツアーのチケットはもうゲットしています。超楽しみです)

ふと他の人の見解が気になり、「あげるよ 残りの林檎飴」と検索してみた。

すると、驚くべき事実が発覚した。

なんとTikTokで「あげるよ 残りの林檎飴」が大バズりしていたのであった。

それを見ると浴衣姿の美少女がりんご飴を持って可愛くポーズを取ったり、りんご飴を差し出したりという動画が多数投稿されており、そのどれもが「残りのりんご飴」ではなく「新品のりんご飴」を持っていた。

おい! 
“残りの”じゃないのかよ!!

つまり、”残りのりんご飴”とは”新品のりんご飴”の事だったのだ。歯形が、とか果汁が、とか心配していたのは私の勝手な思い込みだったのである。恐らく彼女は何本かりんご飴を購入し、残ったものを可愛く「あげるよ」したのであろう。それならば胸キュン案件かもしれない。

しかしひとつの歌詞でここまで考えさせてしまう「夏恋センセイション」は、やはり名曲だと思う。是非何度も聴いてみて欲しい。

もしもこの夏、「残り」が誰かの「恋の始まり」となるならば、それも悪くはないのかもしれない。


【執筆】
もるた


『その刹那』

第8話:濃すぎた日の話

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