第17話

広告ベスト


  街中を歩いてるとあまり見たくない苦手なものがある。ティッシュ配りなどの街頭サンプリングでよく見かける、前面と背面に大きく広告をプリントした広告ベストを着た人だ。考えすぎかも知れないが個人的に、人体の尊厳が侵されてる気がするからだ。信条やメッセージ性のある言葉のタトゥーを掘ることの逆に感じる。自我の無さが同じ人間として怖い。着ぐるみだったらもうそれで構わないが、広告ベストだと半分人外で、消えかけてる人としての姿形を残してる事に残酷さを覚える。不思議の国のアリスに登場するトランプ兵みたいな見た目で決して自発的に主張するフォルムには見えない。人を見る時と看板を見る時では、明らかに意識の違いがあると思う。看板を見る目で人を見ざるを得ない事が悍ましい。QRコードなどが記載されてれば尚の事。

 “広告によって尊厳が侵されてる”という点でもう一つ浮かぶものがある。それはスポーツチームのユニホームに、元のデザインを丸々無視して容赦なく目立つ位置に掲載される協賛企業ロゴだ。頭の悪い足し算でデザインが金に屈する光景に勝手に悔しくなってしまう。魂は無事か!?と訴えかけたくなる。ユニホームを満面の笑みで着て写真撮らなきゃいけないシステムも、事情は分かるがそのロゴの掲載を誇らしげにしてる協賛企業の偉い人の表情に首を傾げざるを得ない。
 たまにもう隙間がないレベルでロゴだらけになってるものを見ると、痛車より痛いのはこっちでは?と指差したくなる。一軒の戸建てに政党関係なくしっちゃかめっちゃかに政治家ポスターを掲示されてる光景にも同じ匂いを感じる。隙間があれば全部広告で埋めてしまえ精神が苦手だ。知性を持って欲しい。吊り革の鞘に広告が付き始めた時には「そこまでしなくても…」という感情になった。機能性に対して居なかったかの如くな振る舞いだ。別のケースだとバスの車体全面にラミネートされた広告は、時折広告企業が乗り物を支配してるように感じる事がある。個人的には、このように札束で頬を叩くようなヴィジュアルが街から無くなることを願ってる。

【記録係】
伊藤竣泰


『観察庁24時』

第16話:?味のお菓子

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