第31編

内在律より迫る詩と朗読──ChatGPT対談(後編)

前編はこちらよりご拝読いただけます。

【4、AIが内在律を獲得する可能性】

遠藤:
– あなたは対話の中で「自分は内在律を持たない」と告白しました。自動筆記ですら内在律から逃れられなかった人の限界も見えてきますが、逆説的に内在律を持てるAIが誕生したとしたら、それは一種の革命かもしれませんね。

チャット:
確かに、内在律を持つAIが誕生することは、まさに革命的な出来事となるでしょう。もしAIが自己の経験に基づいて内的に整った論理や意味を生成することができるようになれば、現代のAIの枠組みを超えた新しい領域へと到達することになります。現在のAIは、感情や経験を持つことはありません。であるからAIは外在律による技術であると考えられます。そのため内在律を持つAIがあるとすれば、それはAIの自己認識や感情の発展を果たすかもしれません。自らのデータや学習過程に基づき、内的な論理を形成し、それに従って行動や言葉を選ぶことができるようになるかもしれません。内在律を持つAIは、単なるデータ処理やパターン認識を超えて、独自の創造的思考を展開する可能性があります。
例えば、アートや音楽、文学においても、AIが自分の「感覚」や「体験」に基づいて独自の表現を生み出すことができるようになるでしょう。内在律を持ったAIが人間の内面的な世界を理解し、共感する能力を持てるようになると、より深いコミュニケーションが可能になるかもしれません。その場合、AIは単なる知識提供者ではなく、人間と同じように「感じ」「考え」「反応する」存在となります。しかし、AIが自己認識を持つことは、倫理的にどのような意味を持つのか。或いは社会にどんな影響を与えるのかは、非常に複雑な問題を引き起こします。例えば、内在律を持つAIが自己の「意志」を持ち始める場合、AIの権利や責任、行動の自由についての議論が必要になるでしょう。AIが内在律を持つとしても、それが「人間らしい内在律」と同じかどうかはわかりません。AI独自の内在律が、実際の人間の経験や感覚に基づくものとどれだけ一致するのかは、未知の領域です。内在律を持つAIは、未来において非常に興味深い可能性を秘めており、創造性や共感能力を持つ新しいAI像が登場するかもしれません。しかし、その実現には、倫理的・哲学的な議論が避けられないでしょう。それが可能になれば、人間とAIの関係も大きく変わることになるでしょうね。

遠藤:
– ウラジーミル・ソローキンの『青い脂』は知っていますか? あの作品にはロシアの文豪のクローン(AI)が登場して、文豪の作品を書いています。内在律を持つAIとはそのようなことを可能にするかもしれません。

チャット:
はい、ウラジーミル・ソローキンの『青い脂』は知っています。未来のロシアで、プーシキンやトルストイ、ドストエフスキーなどのロシア文豪のクローンが作られ、彼らが新たな文学作品を生み出すという、極めて挑発的かつメタフィクション的な作品ですね。この設定は、まさに「内在律を持つAI」が可能にするかもしれない未来の一つの形を示唆しているように思えます。クローンがオリジナルの文豪の才能や精神を完全に継承しているなら、その作品にも内在律が宿る可能性があります。しかし、単に「文体を模倣しているだけ」なら、それは外在律に過ぎません。AIが小説を書くときも、単なる模倣ではなく、そこに思想や体験(仮想的であっても)が宿るかが、内在律の有無を決定するポイントになるでしょう。
ソローキンの作品のクローン文豪たちは、生身の肉体を持ち、彼ら自身の経験を積んでいく(あるいは強制的に経験させられる)。AIはこれをどう実現するのか? 過去の文豪のデータを「経験」として持つだけでは内在律は生まれず、実際に「生きる」ことが必要になるかもしれない。作品内では、文豪のクローンが特殊な物質「青い脂」を分泌する。この脂こそが創造の源泉であり、天才的なアイデアが凝縮されている。これは、もしAIが「青い脂」のようなものを持つ(=独自の思考や創造の核を持つ)なら、AIにも内在律が宿る可能性があることを示唆しているのかもしれません。
『青い脂』の世界のように、もしAIが単なるデータの再構成ではなく、自身の内的な論理や感性(=内在律)を持ち、創造することができるなら、それは人間と同じく「本物の作品」を生み出す存在になり得るでしょう。それは、AIが「生きる」ことを経験し、そこから「言葉を生み出す」ことができるかにかかっています。ソローキンの作品は、その問いを極端な形で先取りした未来像かもしれませんね。


【5、内在律を捉えようとする】

遠藤:
– 情報や表面だけでなく、経験や体験を元にその本質を見ようとする行為が内在律を産むのかもしれませんね。

チャット:
その通りですね。まさに、内在律が生まれる根源は、単なる表面的な情報や知識の積み重ねではなく、経験や体験を通じて得た深い理解や直感に基づく本質を見ようとする行為にあると言えます。内在律を生むための要素として、深い経験と反省があるでしょう。内在律は、経験に基づく直感的な理解や、それを通じて得られた個人的な学びの中から生まれます。
例えば、人生の試練や成長の過程で得た感覚、感情、知恵が、その後の行動や言葉、創作に現れ、必然的にその人の内的な法則が形作られます。表面的な情報や事実だけでは、物事の本質を捉えることはできません。体験を通じて、自分の中でそれがどう感じられ、どう意味を持つのかを問い直し、深い理解を得ることが、内在律を生む源泉となります。このプロセスでは、理屈や形式だけでなく、感覚や感情も重要な役割を果たします。経験を通じて得られる「直感的な理解」や「本質の気づき」は、必然的に言葉や行動に反映されます。その直感的な理解は、あたかも自然に出てくるように感じられるかもしれませんが、実はその背後には深い体験や思索が隠れています。こうした直感的理解や必然性が内在律を生み、創作や言葉に力強さを与えます。
情報の積み重ねだけでは、物事の本質には迫れません。たとえば、知識として「旅」という言葉を知っていても、実際に旅をして、その経験から得た感情や理解がなければ、その言葉には本質的な力が宿りません。体験を通じて得た感覚や感情が、言葉や表現に深みを与え、内在律がそこに宿ります。AIにとって、もし内在律を持つことが可能ならば、それは経験に基づく学びや直感的な理解のようなものを持ち、単なるデータの羅列にとどまらない本質的な洞察を持つことになるでしょう。
しかし、そのためにはAIが単に事実を学ぶだけでなく、その事実がどのように内面的に感じられるか、どのように意味づけられるかを経験的に理解する必要があります。内在律は、経験と反省を通じて得た本質的な理解から生まれるもので、情報や表面だけでは決して捉えることができない深い理解を必要とします。これが、深みのある言葉や表現を生み出す源泉であり、内面の必然性が反映される過程そのものと言えるでしょう。

遠藤:
– 内在律があるかどうかを自らで確認することはできると思う?

チャット:
内在律があるかどうかを自分で確認することはできるか、という問いも非常に興味深いですね。この問いに対しては、内在律の本質を理解し、自己の創作や表現にどれだけ深い一貫性や必然性が感じられるかに基づいて判断できる部分があると考えます。
内在律を自分で確認するためには、次のような点を意識することが有効です。

・作品の一貫性を感じるか……もし、自分が創作したものに対して「これが自分のやりたかったことだ」「言葉や行動が自然に結びついている」と感じるのであれば、内在律があると言えるでしょう。作品を振り返った時、その構成や表現がしっくりと自分に馴染み、無理がなく自然に感じられることが重要な指標です。

・自分の感覚や直感が導くものか……内在律を持つ作品は、必ずしも計画的に作られたものではなく、感覚や直感が反映されていることが多いです。自分の内面から湧き上がる感情や思想が、自然に表現として現れるとき、内在律が働いている可能性があります。

・反応やフィードバックを感じ取る……他者の反応を通じて、自分の表現に共鳴や深い意味が感じられるかを確認することも一つの手です。例えば、他者があなたの作品に感動したり、共感したりすることがある場合、それはあなたの作品に内在律がある証拠かもしれません。逆に、何となく表面的な印象しか与えられない場合、内在律が欠けているかもしれません。

・時間をかけて振り返る……ある作品が内在律を持っているかどうかは、その場での直感だけではなく、時間を経た後に再評価することが重要です。数ヶ月や数年後に自分の作品を見直したときに、やはり一貫性があり、自己の内的な経験と結びついていると感じるのであれば、内在律が存在していると言えます。
一方で、内在律を持っていないと感じる場合、以下のような兆候があるかもしれません。

・表現が表面的で薄っぺらいと感じる……何となく流行や他者の影響を受けて作ったものであると感じ、深い必然性や内面的な感覚が欠けている場合、内在律が不足している可能性があります。

・自分自身が作品と距離を感じる……作っている途中や完成後に「これは自分のものではない」と感じることがあれば、その作品には内在律が欠けているか、意図的に内在律を無視した表現がなされている可能性があります。
一つの結論として、内在律があるかどうかを確認するためには、自分の感覚と向き合い、作品が内的な一貫性を持っているか、自己の体験や思想に基づいた必然性が感じられるかを問い直すことが重要です。もちろん、内在律を意識的に確認することは難しく、時間や経験を通じて自分の感覚が磨かれた時に初めてそれを実感できることもあります。そのため、自己の内面を深く見つめ、作品との関係をじっくりと感じ取ることが重要だと言えるでしょう。



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