ヤリタミサコ

『内なる声とその在り方を知る』
ヤリタミサコの知性と詩情

※ページ毎に本人の作品をご覧になれます


私は母を産まなかった

私は母を産まなかった
45年前の冷夏に 私は母を産まなかった
乳が張り 子宮が痛んだが
私は母を産まなかった
和紙にたたみこむはずの へその緒はすでに失われていた
そうして 私は母を産まなかった

私は私自身を産んだ
たった一人でいることの喜びと 自由という名の陣痛を味わいながら
私は私自身を産んだ
不可能などない夢
出ても打たれない釘
燃え続ける言葉たちが
生まれ出た
私は私自身を産んだ
私を焼き尽くすほどの 私自身を産んだ

私は 母を産まない私自身をやすやすと産んだ
中絶台のうえに足を拡げて 私自身を産んだ
一人だけであり続ける自分自身を祝福しながら
私は私を産んだ
稲が実を結ばない冷夏の中
たった一人で
私を焼き尽くすほどの私自身を やすやすと産んだ



今回は、詩人のヤリタミサコさんにお話を伺いました。

ご自身の詩集として『私は母を産まなかった/ALLENとMAKOTOと肛門へ』(2012年)、『月の背骨/向う見ず女のバラッド』(2019年)、『月の声』(2021年) を出版されています。またE.E.カミングズやジャック・ケルアックなどに関する書籍の翻訳なども手掛けられています。

「自分自身である、その中には”生まれ変わる”が含まれているのかもしれない」、取材をしていく中でそんな考えが頭に浮かびました。

正直な心を捨てずに、広い視野でこの世界に関わりを持ち続けるヤリタさんの意志、芸術を愛し自己を刷新していくその思考にぜひ触れてみてください。
その在り方は、美しくて優しいものだと思います。

<インタビュー>

『「売るための作品」を書かない方針を決めたきっかけがあります』

1.創作はいつから始められましたか?

ヤリタミサコ:小学生の頃から、市や北海道などの学校作文コンクールに応募するように担任の先生から言われ、小学校でも中学校でも、作文、詩、交通標語などに多数応募しました。

自発的ではなく、先生からの発注依頼(?笑)です。小さな小学校・中学校だったので、他にそういうことができる生徒がいなくて、私が書かされた(?笑)のです。佳作のような賞に入選したことがあります。

-なるほどです(笑)。小学生ぐらいの頃は、文学作品などの創作物に自発的に触れていなかったのでしょうか?

ヤリタミサコ:猛烈な本好きで、1カ月に1冊だけ買ってもらえる文学作品の本だけでは足りなくて、友人のうちの百科事典を借りて読んでいました。新聞も小学校3年生くらいからはほとんど読めていました。文字を読んでそこに書かれていることを理解する、あるいは理解できないものは自分の知識から類推するとか、オトナに質問するとか、していましたね。

-おお、すごいですね。ジャンルを問わず当時の読んだ本や触れた文章の中で今でも印象に残っているものはありますか?

ヤリタミサコ:直接の影響は、『赤毛のアン*1』と『にんじん*2』という小説です。私自身なんとなく感じていることが、小説に書かれているような気がしていました。

私は実の両親と生活していましたが、現実の感覚では、母は「ママハハ」のような感じ、父もそんな感じです。なので、自分は孤児であるという感覚が強かったです。そして『赤毛のアン』の翻訳が村岡花子*3であることを知って、「そうだ、翻訳家になれたらいいなあ」というぼんやりとした夢を持ちました。

-実際に翻訳に取り掛かったきっかけなどありますでしょうか?始めて翻訳した作品、またその時の印象なども伺えれば嬉しいです。

ヤリタミサコ:大学卒業後に同人誌を作ってE.E.カミングズ*4の一つの詩をRCサクセション*5のトーンで翻訳できたときには、自分のもつ力の何倍ものパワーが出たような感じで、自分自身がびっくりしました。その後現代音楽家のフィリップ・グラス*6のCDのアレン・ギンズバーグ*7の詩を翻訳する仕事を引き受けたときは、日本語がはっきり見える部分とぼんやりした部分との両方でしたが、それらを統合するというテクニックを駆使できました。

「ヤリタ氏が翻訳したフィリップ・グラスとアレン・ギンズバーグによる室内楽オペラ『Hydrogen Jukebox (1990)』」

-「日本語がはっきり見える部分とぼんやりした部分との両方を統合するテクニック」についてもう少し詳しく教えていただけますでしょうか?

ヤリタミサコ:英語からすぐに日本語が浮かんでくる部分はそれでよいのですが、表現自体が抽象的で日本語にしにくいものや表現の意図が不明瞭なものなどは、その前後の文に工夫します。

つまり、A,B,Cという3つのセンテンスのうち、Bが日本語になりにくいときは、AとCにBの意味を分担してもらうような工夫です。

-意味をそれ以外の要素に振っているんですね。とても勉強になります。自発的に作られるようになったのはいつ頃でしょうか?そのきっかけについてもお話しいただければ嬉しいです。

ヤリタミサコ:心理的な自我としての内面を意識したのが、小学校入学時でした。社会的な立場(ジェンダーや小学校1年生という社会的な立ち位置)と、自分の気持ちとはかけ離れているものだと自覚したのが、創作の原点だと思います。

10才くらいから遠く離れた土地のペンパル(文通友達)と手紙をやり取りするなかで、自然に、詩や文を書いていました。その後、高校の世界史の試験で問題とは関係ないエッセイを書いて提出し、予想以上に良い点をもらいました。そのときに他人に読んでもらう喜びを得たと思います。

-自覚されるのが圧倒的に早いですね。創作に関して、その頃と変化していないと思うところ、変化したと思うところを教えてください。

ヤリタミサコ:基本的にあまり変化していないと思います。ただ、「売るための作品」を書かない方針を決めたきっかけがあります。私の高校の同級生である氷室冴子*8と私は、睡眠以外は本を読んでいるような文学少女でした。彼女は売るためのライトノベルを書くと決意したので、私はそれとは違うことをやりたいと意識しました。大学を卒業するときのことです。

-同級生で文学少女であった氷室冴子さんと「(方針を含め)どういう作品を作るか」など、よく話し合われていたのでしょうか?

ヤリタミサコ:氷室冴子とは同じクラスではないのでたまにおしゃべりする程度ですが、ちょっと話せばすぐにツーっと話が通じる人でした。私と彼女で組むと「こっくりさん」が激しく反応するのでも有名でした。

-こっくりさん、なんだか懐かしいです。

ヤリタミサコ:大学も違いますが教育実習のときに顔を合わせ、就職の話題では、彼女は就職せずに小説で稼ぐ決意を語っていました、私は彼女にはその才能があると信じていました。私自身は文学で稼げるほどの実力があるのかどうかわからないし、わからないことに将来を賭ける意志もありませんでした。その結果売るための文学ではなく、自分が表現したい文学を追究することを選択しました。

『未遂の創作が潜在的な可能性として残り、すっかり忘れた頃に別なカタチの表現に結びついたりします』

2.創作の方法について教えて下さい

ヤリタミサコ:直感や感覚が先行して、情熱的に瞬間的にぱーっと創作する、ということはありません。だいたいは、あるイメージの創作結果を想定して、そこに至るまでにどの方法を取るのか、どういう素材を使うのか、どういう声を使うのか、を考えながら作り上げることが多いです。

登山に近いと思います。富士山に登る、高尾山に登る、それぞれルートの確認、装備の準備、など、違います。これから書きたいもののイメージの目標を○○山に例えますが、まだ登ったことのない山なので、そこに至る過程は手探りです。迷ったら登山口に戻り、別ルートを探ります。途中で体力や食料が尽きたら、やむなく引き返します。

というような創作過程ですね。

-山登りのわかりやすい例えありがとうございます。イメージを想定してから作られるんですね。その想定には、伝えたい明確なメッセージは存在していますでしょうか?

ヤリタミサコ:「メッセージ」ということを広く考えると、詩集としては、それぞれメッセージがあります。2019年に出版した詩集『月の背骨/向う見ずの女のバラッド』では、家族や社会からハラスメントを受けて声をあげられない女たちに、「正当に怒りを表わそう」と伝える気持ちでした。

詩集『月の背骨/向う見ずの女のバラッド』

ただ狭い意味での「メッセージ」は、個別の作品にはほとんどないと思っています。作者の手を離れて作品が一人歩きしていって、その結果、読者や聞き手に何かの印象を残したり、何か考えるきっかけになればよいと思います。

-なるほどです。メッセージというよりテーマのニュアンスに近そうですね。「この山に登るときは、このルートでこの装備がベストだ」という判断は、どのような要素から成り立っていると思いますか?

ヤリタミサコ:形式や分量や過去に同じような仕事をしたことがあるかどうか、私が身近に知る先輩詩人の仕事も含めて、ルートと装備の候補をピックアップします。

そのうち、自分のやりたいことと擦り合わせ(最短時間で行くか、距離は長くてもゆっくりと遠回りに行くか、裏技ジャンプみたいに他人を驚かせるか、他の山々を眺めながら行くか、など)を考えながら、「ちょっと自分の感覚と違う」と思うことを落として行くとおのずとルートや装備は見えてきます。

-自身とそれ以外の擦り合せ方、勉強になります。摺り合わせるのに「他の山々を眺めながら行くか」という選択肢は好きです(笑)「今はあえて創らないでおこう」という時もあったりしますか?

ヤリタミサコ:依頼されたことであれば原則として対応しますが、自発的に制作する詩や視覚詩は、制作しかけて中断するケースが多いです。そのときの志向によって制作をスタートさせるのですが、取りかかっているうちに、ルートを見失ったり、体力不足に気付いたりして、中断します。

そういう中断作が10篇くらい貯まると、出来ないことがわかってきます。まあ、できるようになったらまた取りかかってみよう、と思うことにしています。こういった未遂の創作が潜在的な可能性として残り、すっかり忘れた頃に別なカタチの表現に結びついたりします。


*1 赤毛のアン…1908年に出版されたカナダの作家ルーシー・モード・モンゴメリの長編小説。
*2 にんじん…1894年に出版されたフランスの作家ジュール・ルナールの中編小説。
*3 村岡花子…日本の翻訳家・児童文学者。モンゴメリの著作の多くと、エレナ・ポーター、ルイーザ・メイ・オルコットなどの翻訳を手がけた。
*4 E.E.カミングズ…アメリカ合衆国の詩人、画家、随筆家、劇作家。900篇以上の詩を書いた。
*5 RCサクセション…忌野清志郎を中心として1968年に結成された日本のロックバンド。
*6 フィリップ・グラス…アメリカ合衆国の作曲家。一定の音型を反復する「ミニマル・ミュージック」の旗手として知られる。
*7 アレン・ギンズバーグ…アメリカ合衆国の詩人。ビート文学の代表者の一人。
*8 氷室冴子…日本の小説家。1980年代から1990年代にかけて集英社コバルト文庫を代表する看板作家。少女小説ブームの立役者としても活躍した。


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