ヤリタミサコ

※ページ毎に本人の作品をご覧になれます


『聞こえない音』


『その声が自由に動くように詩を書きます』

3.表現形式について教えて下さい

-発表・未発表に関わらず、(視覚詩を含む)詩と翻訳以外の表現方法を使用して制作することはありますか?

ヤリタミサコ:ヴォイスパフォーマンスという創作もあるので、その場合、あらかじめ自分の声や何かの音を録音して、ライブでその録音と共演することがあります。また2006年に初めて出版した著書は、美術と文学についての批評エッセイです。どちらかというと、私は文学批評という創作の方から始めた感じです。

「2006年に出版した『ビートとアートとエトセトラ―ギンズバーグ、北園克衛、カミングズの詩を感覚する』と『詩を呼吸する―現代詩・フルクサス・アヴァンギャルド』」

-2006年に批評エッセイを出版されたとのことですが、作品を批評するうえで心がけること、大切にされていることは何でしょうか。批評文を書く上で翻訳や創作と通ずる部分はありますか?

ヤリタミサコ:自分自身が「好き」だと思う部分を中心に書くことです。与えられた素材が苦手な場合もありますが、それでもその中から「好き」と思う部分を見つけて批評します。他者のまなざしや価値観に囚われることなく、自分自身の内的な心の動きに従うという意味では、翻訳も創作も批評も同じです。

-内的な心の動きに従う中での翻訳と創作をする際の感覚的な違いについて教えてください。

ヤリタミサコ:翻訳は、モトの作品がどういった声なのかを想像します。最初の質問の中でも答えていますが、例えば、E.E.カミングズの詩で、その当時の若者言葉で書かれた詩に向かったとき、私の心にはRCサクセションの音楽が聞こえていました。なので、その詩はRCサクセションの音楽のノリで翻訳しています。

創作の場合でも、自分の中にあるどの声が語りたいのか、基本の声を決めます。たとえば、中性的な声で語る「ぼく」、散文詩のときは低めの女性アナウンサーのような声、痛みを語る11才の少女の声、など、その声が自由に動くように詩を書きます。

-声なんですね。言葉の奥に話している人間がいて耳を澄ます、ある言語から別の言語に訳すプロセスにはそういったことが隠れているんですね。感覚として作品をカバーする時と被るところもあるんですかね?

ヤリタミサコ:他の詩人の詩をカバーリーディングするときには、あえて、作者自身の声を意識しないようにしています。作者の声ではなく、作品の声なのです。

私が作者本人の前でカバーリーディングをすると、作者に「より深く解釈してもらった」と評価されることがあります。作者であっても、詩の言葉を解釈してリーディングするわけで、作者ゆえに見えないところもあります。そこを、他人の私だからこそ、明るみに出したり強調したりして、作品の声をできるだけ引き出します。

「Session with Blues Harp」

「Misako Yarita Poetry reading at “Poem and Photo”」

-とても興味深いです。詩を声に出して読むこと(ポエトリーリーディング)のどういった側面が面白いか教えてください。

ヤリタミサコ:一回性、即興性の面白さです。声に出す場合、詩作品はスコア(楽譜)です。それをどのように演奏するかというのは、もちろん準備しますが、当日の聞き手の雰囲気や他の出演者の様子やそのときの自分の最も正直な感情によって、違ってきます。なので、そのスコアの同じ演奏を2度はできない、というスリルと高揚感があります。

自分が書いた楽譜の方がかえって深読みしにくいという欠点があるかもしれません。他人の書いた楽譜の方が、独自の解釈を深められるので、冒険しやすいです。

-創作時に関わっていないからこその解釈はありそうですね。聞く側としても作品の可能性を広げてくれて面白いです。ジャズだと譜面に書いていないことを読みとり表現する力が必要ですが、それと近しい感覚でしょうか?

ヤリタミサコ:フリージャズというジャンルがあります。私は梅津和時*9さんとも何度か共演しましたが、さすがに一流のフリージャズはすごいです。互いの即興で、バチバチ、パンパン、するりするり、と、私のボイスという楽器と梅津さんのサックスのぶつかり合いは、本当におもしろかったです。

譜面に書かれていない即興が一番楽しいと思っています。

-フリージャズでビビッとくるミュージシャンは誰ですか?

ヤリタミサコ:豊住芳三郎さん*10、沖至さん*11、近藤等則さん*12。

「EEU First concert 1975/高木元輝、近藤等則、徳弘崇、豊住芳三郎、土取利行」

「美術家・靉嘔氏とヤリタミサコ氏」

「ヤリタミサコ氏とフルクサスのアーティスト ベン・パターソン氏」

『死を含んだ上での生のゆらぎの中、書き手と読み手が共に迷うことです』

4.好きなアーティスト、憧れのアーティストを教えて下さい

ヤリタミサコ:ヨーコ・オノ。高校生のときにファンレターを書きました。その後、いろいろなご縁があって、英語で書かれたヨーコの作品を和訳する仕事をいただき、そのリーフレットが完成したときには、「夢がかなった」と思いました。

その後2011年に都内でヨーコの講演会があり、多くの質問者の一人としての質問したのですが、ヨーコは私に一番丁寧に答えてくれた!と自負しています。

-おお、素敵ですね。ヨーコ・オノさんのどういった部分に惹かれていますか?

ヤリタミサコ:他の誰でもない、唯一無二であることです。そのように生きたくても、人生の条件が障害になる人が大多数ですが、ヨーコのすばらしいのは、自分で環境と闘い、条件を整え、自分の道を自分が整備して歩いていることです。闘うことは、言葉で言うほど簡単なことではないので。 

「Yoko Ono & Plastic Ono Super Band/Let’s Have a Dream -1974 One Step Festival Special Edition- (trailer)」

-唯一無二であり続けることは、確かにそう簡単ではないですね。また違った側面で他に影響を受けたアーティストはいらっしゃいますか?

ヤリタミサコ:アメリカの詩人、E.E.カミングズは私が卒論に書いた詩人ですが、彼の独自の存在の在り方には影響を受けました。世間との距離の取り方、大多数に惑わされない思考、自分独自の美学などの個人主義を学びました。

-E.E.カミングズから学んだ”独自の存在の在り方”について、もう少し具体的に教えていただけないでしょうか?

ヤリタミサコ:他者の価値観から完全に自由でいること、自分の内部から発する声に正直であること、大多数が大きい声で語ることは疑うこと、面会相手は最小限にすること、などがカミングズ流の人生のあり方です。

「ヤリタ氏も参加している朗読CD『POÉSIE CONCRÈTE JAPONAISE (1999)』のジャケット」

-翻訳されていたり、企画を通して紹介されているビートの詩人達からも”独自の在り方”が学べると思いますが、そのあたりはいかがでしょうか?

ヤリタミサコ:ビート詩人たちからは、知的であることと、怒りや反抗を両立させることを学びました。私の表現の原動力のひとつには、自分が理不尽だと感じることに対する怒りがあります。あきらめたり関係ないと切り捨てたりせずに、「怒る」という関わり方です。冷静に怒る、知性で怒りを伝える、というようなやり方は、ビート詩人たちがいろいろなスタイルでトライしました。

特にユーモアをもって怒りを表現するやり方は、ローレンス・ファーリンゲティ*13から影響を受けています。

「ヤリタミサコ氏のビート詩を紹介するプログラム『Beat and Beyond vol.1』にて Lawrence Ferlinghetti を特集」

-なるほどです。ヤリタさんとビート詩との出会い、ビート詩に対する思いを教えてください。

ヤリタミサコ:ビート詩は、不良のお兄さんたちの文化だと思って敬遠していたのですが(笑)、私の詩の師匠である高島誠*15が訳したアレン・ギンズバーグの詩集には母親との葛藤が深く描かれていました。そこから、私は心理的な意味での「母殺し」というテーマを持って、ビート詩にアプローチしました。

それと、兵役拒否をしたレクスロス*14のような反戦・厭戦という立場に共感しています。 

-心理的な意味での「母殺し」というのは、ご自身の内面に響くものだったということでしょうか?

ヤリタミサコ:ギンズバーグの母殺しの夢の詩は、最初は怖くてとても読めませんでした。が、だんだんと書かれた表面の下にある、作者自身の苦悩がわかるようになりました。
それに伴って、自分と母親の関係の見方も変わりました。表面的な関係に隠れて見えなかった、あるいは見たくなかったものを直視するための勇気をもらった感じです。

「Allen Ginsberg Reading Howl (Part 1) – 1975」

「Allen Ginsberg and Paul McCartney playing “A Ballad of American Skeletons” – 1995」

-2012年に制作された詩集『私は母を産まなかった/ALLENとMAKOTOと肛門へ』は、タイトルから察するにその辺りの心の動きが描かれているのでしょうか?

ヤリタミサコ:家族というしがらみに苦しさを感じていた私は「私は母を産まなかった」という詩で自分の心の底を徹底して探りました。そして自分を束縛するものすべてから自由になる、と決意しました。

一言で言うと、自分を傷つけたりネガティブな方向に向かわせる力動である家族から、自分を解放したということです。

詩集『私は母を産まなかった/ALLENとMAKOTOと肛門へ』

-創作物には個人への変化を起こしうる性質を帯びていると私は考えていますが、社会の中での詩や創作物の役割や存在意義についてヤリタさんはどのようにお考えですか?

ヤリタミサコ:時代の価値観や近視眼的な基準に惑わされずに、「生きる意味」を考えるという役割があります。死を含んだ上での生のゆらぎの中、書き手と読み手が共に迷うことです。

5.構成する9つのもの

1.福井フルクサスの記録

「LIVE!Edge福井フルクサス篇」

私は2日間に渡ってほとんど全編に出演しました。パフォーマーである自分にも予想外のことがたくさん発生して、楽しかったです。
 
 
2.塩見允枝子さん

「Edge2塩見允枝子篇 フルクサスと塩見允枝子の今 ~前衛であること~」

私はヨーコ・オノからフルクサスを知り、その本に書かれているアーティストと直接の交遊を持てると思っていませんでした。が現実に塩見さんの作品を演奏したり塩見さんとお話しできることに、自分が驚いています。
 
 
3.靉嘔さん

「Edge2靉嘔篇 前衛であることⅡ~虹のアーティスト靉嘔とフルクサスの歩み~」

靉嘔さんも写真で知っていたアーティストです。現実に何度も一緒にパフォーマンスできるとは予想していませんでした。ベン・パターソン*16と3人での共演が一番の思い出です。
 
 
4.藤富保男さん

「Edge 詩人・藤富保男に関する余計な考察」

30年くらいの長いおつきあいです。私の詩の師匠は3人いて、高島誠、藤富保男*17、新倉俊一*18の3氏ですが、その中で一番長く近いところでご一緒しました。
 
 
5.高橋昭八郎さん

「Edge 高橋昭八郎篇 言葉を超え、境界を超える詩」

世界に誇るコンクリートポエットの昭八郎さんからは、自分の信じる芸術を追究する姿勢を学びました。他者の眼差しを意識せず、自分の美意識を高めることで到達する境地です。
 
 
6.新国誠一さん

「Edge Special新國誠一篇 コンクリート・ポエトリー 新國誠一の楽しみ方」

藤富さんと昭八郎さんを通じて知った新国さんは、詩の境界をバリバリッと破壊した人です。自分の感覚を音や形にするまでの、意志の強さと実行力に脱帽です。
 
 
7.及川俊哉さん

「Edge Special 及川俊哉篇 語りえぬ福島の声を届けるために」

自分の信じることを実行するのはたやすくないです。が、及川さんの実行力と勇気を見て、応援する気持ちが強く湧き上がりました。
 
 
8.ナナオサカキさん

「Edge ナナオ・サカキ篇 歌は歩いていく」

日本のビート詩人とは、ナナオサカキのことです。「何の役にも立たないことを選択した」と語るように、ナナオは清貧を貫きました。私が出会った詩人の中で最も原始人で教養人です。
 
 
9.獨協大学での動画

「LUNCH POEMS@DOKKYO #11 ヤリタミサコ」

石田瑞穂*19さんとの共演が愉快でした。生きている詩、ということを意識して話しています。


*9 梅津和時…ミュージシャン。サックス、クラリネット奏者、作曲家。フリー・ジャズを中心に幅広い分野で活動。
*10 豊住芳三郎…フリー・ジャズ・ドラマー、パーカッション奏者、二胡奏者、即興演奏者。
*11 沖至…トランペット奏者。トランペットの収集家でもある。
*12 近藤等則…トランペット奏者、音楽プロデューサー。膨大なライブやレコーディングに参加している。
*13 ローレンス・ファーリンゲティ…アメリカ合衆国のビートニク詩人。サンフランシスコに書店・出版社のシティライツを設立。
*14 ケネス・レクスロス…アメリカ合衆国の詩人、画家、随筆家、翻訳家。ビート・ムーブメント初期の推進派。
*15 高島誠…英米詩研究家、登山家、オーディオ評論家。ヤリタミサコの詩の師匠の一人。
*16 ベン・パターソン…アメリカ合衆国のミュージシャン、アーティスト、フルクサス運動の創始者の一人である。
*17 藤富保男…詩人。視覚と音律から日常の言語を再構築する独特の詩法。翻訳書、編著書多数。サッカー審判員としても活躍。
*18 新倉俊一…アメリカ詩の研究者。明治学院大学名誉教授。日本エズラ・パウンド協会理事も務め、ディキンソン、パウンドなどのアメリカ詩人の研究者の育成を行った。
*19 石田瑞穂…獨協大学在学中、原成吉ゼミでアメリカ現代詩を学んだことがきっかけとなり、詩を書くようになる。1999年、第37回「現代詩手帖賞」を受賞。


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