『全員に気持ち良く帰ってもらうこと。それが一番』
カールモールマダム、仕事の流儀
タイトル:カールモールのテーマ/karlmohl special band
新宿一丁目の靖国通り沿いに店を構える老舗ライブサロン・カールモール。
なんとこれまで半世紀もの間、オープン当時の内装のまま営業を続け、2020年2月20日に創業50周年を迎えました。
移り変わりの激しい東京の文化を長きに渡って見守り、受け入れてきたカールモールで、メインとなってお店を切り盛りする1人の女性がいます。
「マダム」と呼ばれるその女性は、温かいおもてなし精神とユニークな発想でお店を盛り上げ、50周年記念コンピレーションアルバムの制作に向けたクラウドファンディングも見事成功させました。
どのような経歴を経てカールモールのマダムになったのか、マダムとして大事にしていることは何か。
「カールモールを100年続けたい」と話すマダムのルーツと仕事の流儀、そしてこれからの展望に、共に迫りましょう。
※取材を行った時期は、カールモール50周年プロジェクトでクラウドファンディングを実施していた2019年6月です。取材時と現在で状況が変わった点については適宜注釈を入れておりますので、併せてお読みください。
『お金をもらうことよりも、自分が働いたことで、誰かが喜んでくれることの方が重要かもしれないですね』
<インタビュー>
1.なぜカールモールで仕事をしているのですか?
マダム:まず前提として、働くこと、仕事をすることが好きだからです。仕事をしていない人生が想像できないし、仕事をしないという選択肢がないですね。高校生のときから、アルバイトを始めていました。
-初めてのアルバイトって覚えていますか?
マダム:今でいう、人材派遣会社の走りみたいな会社が当時あって。そういう所で、当時友達がいろんなバイトを募集しているのを紹介してくれたりしてたんです。
それで紹介してくれた中に、ゴルフ場のキャディのバイトがあって。そのバイトは時給じゃなくて日給で、しかも日払いでその日のうちにお金がもらえるシステムでした。
初日に、千葉駅前に朝5時半に集合して。集まった中には、友達もいたけど、初めて会う知らない人もいて。全部で10人くらいいたかな。小型マイクロバスに乗せられて、茨城まで連れて行かれましたね。
カールモール入り口通路の壁画とマダム
-そうだったんですね。
マダム:それで、霞ヶ浦カントリーっていうゴルフ場まで行って。千葉からだと1時間半くらいかかったかな。
そこで降ろされて、キャディをやるんだけど、今思えば高校生がキャディをやるってどうなんだろうっていう(笑)会員権とか持っててお金を払ってゴルフをしてる人に、高校生がキャディとして付くのはどうなんだろうって思ったけど。
-確かにそうですね(笑)
マダム:それで、最初は2人組から始めるんですね。始めたてで、何も分かんないから。2人組でやると、日給が6,000円ぐらいなんだけど、それがだんだん1人でできるようになると、7,000円から1万円くらいもらえるようになって。それが初めてやったバイトでした。
マイクロバスに揺られて向かうっていうのが、そのときは何も思わなかったけど、大人になったら「あれは何だったんだろう」って思って(笑)
この前のバータイムのときにちょうどバイトの話になって、その話をしたんだよね。
-面白いですね(笑)
マダム:それで、日当の6,000円をもらって、グレーのパーカーを買ったのを覚えてます(笑)
カールモールの1階
-その体験が、「働く」ということのきっかけだったんでしょうか?
マダム:自分が何かをすることで、お金がもらえるっていうことって、やっぱりそれまで経験したことがないことじゃないですか。アルバイトとかするまでは。
高校では部活もやってたんだけど、バイトもたくさんしてて。いろんなバイトをしましたね。全部面白いし、できるだけいろんな種類のバイトをやりたくて。
そこで、「私、意外と働ける!」って高校時代に気づいて。お金をもらうことは、もちろん時給で働いてるから当たり前なんだけど、それ以上のことをしたりすると、人が褒めてくれたり、喜んでくれたりして。それが、当時それまで得たことのない喜びでしたね。
-そういった経験が、働くということの最初の実感だったんですね。今でも根っこの部分にはその気持ちがあるんでしょうか。
マダム:そうかもしれません。私にとって、働くことって、お金をもらうことよりも、自分が働いたことで、誰かが喜んでくれることの方が重要かもしれないですね。
別に、高給取りになりたいとか、お給料が高い職種で働きたいということもあまり考えたことがないし。あとはやっぱり、単純に人と関わる仕事をすることがすごく好き。
カールモールの2階に続く階段
-音楽活動もやられていたんですよね?
マダム:そうです。でも、音楽活動を始めたのは遅くて、自分がライブとかをやり始めたのは22歳くらいかな。それまではライブを観に行くお客さん側で、けっこう観に行ってましたね。高校を卒業してから、専門学校に通ってた頃。
下北沢で、いわゆるソフトロックとか、ギターポップ、ガレージ、渋谷系とか、あの辺の音楽がものすごく盛り上がってる時期に、よく観に行ってたバンドがあって。そこから派生して、そのバンドと共演してたバンドがすごく良かった、とか。そんな感じで、ほんと毎週のように、朝早番で仕事して終わって、ライブ行ってオールして、そのまままた朝仕事に行くみたいな(笑)今ではありえない(笑)
-若いですね(笑)
マダム:そのときにすごく思ったのが、ライブ観に行ってると、バンドマンってけっこう格好良く見えたりとかして。なんか観に来てる女の子がみんな、まぁ音楽が好きなんだろうけど、なんかこう…彼女になりたそうな空気をすごく出してたのね(笑)
でも私は、よく観に行ってたバンドの人と仲良くなったりとかしたけど、別にそういうのじゃなかったな。
そうやってライブを観てて、あるときからすごくモヤモヤするなぁと思って。「そっか、私は演者側に立ちたかったんだ」と分かったんです。それが、自分でも音楽活動をやりたいなと思い立ったタイミング。
でも私、ピアノは弾いてたし歌も歌うけど、曲は作ったこともないし、ライブをするということがどういうことかも分からなくて。
「じゃあまずバンドかな?」って思って、メンバーを探そうっていうところから始めました。
その頃はインターネットも普及し始めてたけど、まだ家でパソコンを使ったりするような時代じゃなくて。『バンドやろうぜ』のような雑誌のメンバー募集ページとか、あとはレコード屋さんや楽器屋さんにチラシを貼ったりとかしましたね。
あ、でもね、そういうこともしてたんだけど、1999年〜2000年頃、iMacが発売されたときに、それを買って、そこからインターネットで今の「with9」の前身の「with」っていうメンバー募集サイトを見て、たくさんいろんな人に会いました。
それで会った中で、打ち込みをやってて、けっこうやりたいことが私と同じ人がいて。あともう1人ギターの女の子がいて、3人で「じゃあ、やろう!」ってなって。
カールモールの2階に常設されているピアノ
-マダムさん、打ち込み担当の方、ギターの方の3人編成だったんですね。
マダム:そうそう。それで、打ち込みの人から「他に何か楽器できないの?」って聞かれて、「ピアノできるよ」って言ったら、「ピアノじゃなくて他の楽器できないの?」って言われて。「じゃあアコーディオンできるよ」って言って、それで初めて、おもちゃのアコーディオンを買いました。
それで私がアコーディオン・ボーカルで、打ち込みの人はドラムもできたから、曲によってはドラムを叩いたりとかして。不思議なバンドでしたね。
-そうだったんですね。
マダム:で、途中でギターの人が入ったりとか、いろいろメンバーチェンジがあったけど、一応その3人でライブやったのは、2回くらいかな。
-その後はソロで活動されていたんですか?
マダム:そうそう。そのバンド自体が「あんまりみんなでやるのも違うかもなぁ」というのでやらなくなって。でも、私はやっぱり1人でもやりたいなって思って。
でも、引き続き、一緒にやってくれる人は探してました。アコーディオン・ボーカル+ドラムとか、パーカッションとか、ピアノとか、けっこういろんな人と一緒にやったりとかしましたね。
そういうことをやってるときに、ライブハウスの人に「ソロでもいいんじゃない?」って言われて。それでソロでやり始めて。
でも、1人でやることがすごく怖かったなぁ。別に上手いわけではないし、一緒に演奏する人がいっぱいいたらちょっと安心するし。あと、共演者の人たちはけっこうみんなバンド編成で、それを見て「いいなぁ」って思ったり。とにかく、1人で演奏することにすごく不安があったから、一緒に演奏する人を常に探してて。
で、たまたま、ひょんなことから、赤坂でライブやったときに観に来てくれてた人がいたんですね。
そしたら後日、突然私に「この前赤坂で、実は僕ライブを観ました。すごく面白かったから、ぜひ一緒に何かできないかなと思って」って連絡をくれて。その人が、私がその後けっこう長く一緒に演奏していたピアニストの人でした。
最初、そんなメールが来るから「どうせ下手な人なんだろう」って思ってて。でも、とりあえず「良いですよ」って返信して、スタジオに入ったら、ピアノがすっごく上手くて(笑)
上手いっていうかプロの人で、歌手のバックバンドのピアノを弾いたりとかもしてる人でした。
その人が私の音楽を面白いと思ってくれたらしく、そこからけっこう一緒に演奏してましたね。だから2人で活動している期間が割と長かったです。懐かしいなぁ。
『「これはちょっと、あなたの個性が出過ぎちゃってるから、もっとOLさんに寄せて」って言われて(笑)』
2.創作の方法を教えて下さい。
-音楽活動をされていた頃の創作方法を教えていただけますか?
マダム:けっこう、フレーズから作ったりとかしてました。
言葉をすごく大事にしてるから、いろんなものを書き留めてて。「これは曲に使える!」とか、何か見て感じたりしたことをいっぱいノートに書き留めたりとかして。
あとは、鍵盤を弾いたときに良いフレーズができると、「これ良いなぁ」と思ったら、例えばそれがイントロだったら、そこから何となくイメージをちょっとずつ膨らませていって。
曲と、歌詞が、なんとなく、両方いっしょに出てくるみたいな。そういう作り方ですね。
-では、曲と歌詞を同時並行で作るんですね。
マダム:割と同時並行が多いかなぁ。
-今も時々曲を作ったりされますか?
マダム:今はもう、作りたいとは思うけど、出したいものが何もないから。あとはなんかこう、言葉では表現できないなって気づいちゃったっていう(笑)
特別メッセージ性がある曲を作ってたわけでもないけど、こういう仕事をしてて、すごく良い音楽をいっぱい聴いてると、自分が伝えたいなって思うことがそんなにないのと、それと同時に、伝えたいと思ってることを伝えきれる自信がない。だから今は、すごく曲が作りたいとかは、そんなにないかな。
でも、お仕事として依頼をされて作るとかはできそう。
作る上でテーマがあるならできるけど、自分で何か作るっていうのは、あんまり今はそういう欲求はないですね。
-*バスタイムレコーズのライブで演奏されているのは、以前ご自身で書かれた曲ですか?
*バスタイムレコーズ…マダムと、ジャズピアニストのセンチメンタル岡田a.k.a岡田啓佑さんによる音楽ユニット。
バスタイムレコーズのライブ
マダム:そうそう、自分で作ったオリジナル曲。あとは、岡田くんと一緒に作った曲が2曲あって。
その曲もやっぱりテーマがあって、「こういう感じでやろうよ」って言って書いた曲ですね。たぶん、歌詞はいくらでも書けるけど、曲を作るのは頭打ち感を感じざるを得ないっていうね。でも逆に岡田くんは曲はたくさん作れるけど、歌詞が出てこないって言ってて。
そういう意味では、テーマがある歌詞を書くことは…私、作詞の仕事も実は昔何個かやってたことがあるんです。それも、さっき言ったピアニストの人に仕事の依頼があって、「自分が曲を作るから、歌詞を書いてくれないか」って言われて。劇団のお芝居の中の劇中歌を作ったり、アイドルの曲を作ったり。
あとはあれだ、クラシックの曲に歌詞を乗せるっていう仕事もありましたね。
当時、FrancfrancかLOFTで発売されるって言ってたけど結局頓挫して…でも全国流通はしたのかな。そのCDに収録される10〜12曲の歌詞を全部書いて。『くるみ割り人形』とか、スタンダードなクラシックの曲に乗せる歌詞でした。一応、「OLの癒やし」がテーマだったの(笑)
-なるほど(笑)
マダム:なんか私、言葉の癖がすごくあるみたいで。いくつか歌詞を書いて送ったら、「これはちょっと、あなたの個性が出過ぎちゃってるから、もっとOLさんに寄せて」って言われて(笑)
フワッとした歌詞を10曲くらい書きましたね。でも、そういうお仕事は楽しいです。
-やっぱり「お仕事」として依頼される方が、取り組みやすいんでしょうか?
マダム:昔はやっぱり、自分がやりたいことのために作るっていう感じだったけど、今は逆にお仕事として依頼されるものの方が楽しいかな。縛りがある方が楽しい。やりたいことがないから、余計にそうかもしれない。音楽的な部分では。
3.好きなアーティスト、憧れのアーティストを教えて下さい。
マダム:今も好きとか、ずっと追いかけてるアーティストはあんまりいなくて。
高校時代とかに聴いててすごく好きだったのは、マッキー(槇原敬之さん)や、今でも聴くのはスピッツ、山崎まさよしさん、矢野顕子さん。
-今挙げていただいた方々は、共通して声が好きなんでしょうか?
マダム:曲、メロディの良さですかね。メロディありきの部分がすごくあるかな。
-歌詞も聴き込みますか?
マダム:多感な時期に聴いてた頃は、共感したいっていう部分もあったから、歌詞はすごく重要視してたかな。
さっき挙げた中だと、スピッツに関しては、正直もう、歌詞とかっていうよりは、世界観じゃないですか(笑)でも、よくよく歌詞を読むと、すごく哲学的だし、「なんでこんなことが歌詞で書けるんだろう」っていう。歌詞とかっていう区分ではなくて、1つの作品だと思いますね。
だから、どちらかというとスピッツはちょっと異色かもしれない。マッキーは普通に良い歌詞、良い曲だなと思います。