「つり革に掴まりたくない」というコロナの時代だからこその発想。そして、つり革に頼らない野田クリスタル氏が安全安心に目的地にたどり着くかというと、異常な揺れの列車=いつ感染するか分からない現代社会、を耐え抜かないと身体の無事は保証され得ないという発想の飛躍と表現力。M-1グランプリ2020において優勝を果たしたマヂカルラブリーの決戦ネタは、コロナ禍による不安と混迷を極めた現代の様相をはじめて笑いに昇華させたネタでもあった。
一つずつ細かく見ていこう。コロナ禍の混迷を一身に(文字通り)体現する野田クリスタル氏のパフォーマンスに対する村上氏の最初のツッコミ「これまず何線?」丁寧にこのネタが「自分たちは何処に向かっているのか」がわからない現代社会のメタファーであることを示しており、続く「もう耐えていない、揺れに身を任せちゃってる」というツッコミも長引くコロナ禍に麻痺してきた日本社会を暗示していると言っていい。その後の台詞「立って耐えろ」も極めて示唆的だ。「つり革を掴め」という公助に頼れというメッセージ。サンドウィッチを売る野田クリスタル氏に対する「ここで車内販売は無理だ」は飲食業界の不景気のメタファーと言って過言ではなかろう。「お金バラまいてるだけじゃん」は給付金10万円、「こういう線路か」と手を上下する動きは連日ニュースで報じる感染者数を示すグラフの暗示、そしてつり革の強度がない、手すりに電流と前半に暗示された公助に対する痛烈な皮肉、ラスト付近の「めちゃくちゃ人倒れてんじゃん」あたりはもはや指摘するのも野暮であろう。
そう考えると、1本目の「フレンチのマナーがわからない」も、新しい生活様式をネタにしているということに気づく。
外食時のマナーが分からない、というのを2020年に言う意味。「城の門が開かない」はロックダウンを意味し、「静かにして」というのは飛沫禁止の社会を示す。当然、「おれん家」はステイホームである。
マヂカルラブリーの優勝にあたって、立川志らくが「喜劇」と言及したが、それはこの悲劇の時代だからこそ演じられた喜劇なのである。コロナの時代に生まれた喜劇。
とすべてをパラノイア的に批評してみたが、M-1グランプリの最大の特徴はこのようにすべての鑑賞者(視聴者)を批評家に変貌させてしまう点にある。今も職場で、家庭内で、あるいはインターネットのどこかで、素人演芸評論家が自説を語っている。従って、真に語るべきテーマは「なぜ人はM-1グランプリを見たら批評したくなるのか」なのだろうが、それはまた来年に。
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