第1編

詩集『挣扎的貝類』

先日お会いした台湾の詩人、煮雪的人さん(雪を煮る人、の意)から詩集『挣扎的貝類』(もがく貝類〈以下、翻訳はすべて大意〉)をいただいた。(ありがとうございます)
彼は日本で文学を学びながら、現在では日本のポエトリーリーディング・朗読についてエッセイを書く準備を進めているそう。彼からのお誘いで、私は朗読イベントを主催する身として、拙いながら自分の考えや知っている情報をふんだんにお伝えした。
なにかエッセイへのヒントになると嬉しい。

さて、「光よりおそい散歩」の第1回は彼の詩集からいくつか詩をご紹介してみようと思う。
はじめに断っておくけれど、彼の詩集は中国の出版社から刊行されたもので、私は中国語が読めるわけではない。大学で1年間学び、一つの音に対して4つのイントネーション(ピンイン)があることは覚えているが、とにかくからっきし読めない。
でも気軽に読めたのは自動翻訳機能があるためだ。

今回読むために使ったのはLINE翻訳とGOOGLE翻訳。
まず、LINEで詩集のテキストを写真撮影し、その写真を翻訳機能にかける。翻訳機能は自動で文字を認識して、原文のコピーを取ってくれる。その原文コピーを保存してGOOGLE翻訳にかける。LINE翻訳にもかける。すると1分も経たずに訳文が2つも読める。
二つの訳文があると文章の精度がずいぶんと安定する(気がする)。
またGOOGLE翻訳には読み上げ機能もあるので、一応中国語で聴いてみて、なんとなくリズムを掴むこともできる。

LINE …… 原文コピー+翻訳
GOOGLE …… 音声読み上げ+翻訳

こんな感じで使い分けて読んでみる。
(翻訳家の方が訳してくれているなら勿論良いのだが、こんな感じで短い詩や文章なら、ある程度の文意は把握できる)
まあ、ともかく楽しく詩を読んでみよう。

詩集名ともなっている「挣扎的貝類」(もがく貝類)の概要はこんな感じである↓↓

山林の中にひっそりとあるレストランが舞台で、客である語り手と調理のために貝を掴むシェフが登場する。
掴まれた貝を見ながら、ビールの泡が消えてしまうほど、語り手はその貝について思考する。
シェフの手中にてもがいている貝はキッチンの俎上にあることを夢見ただろうか?
語り手はその夢に入り込むためにダイビングスーツを着込んで、その貝のいたであろう海で三日三晩を過ごす。
夢見の時間を過ぎて、レストランに戻ると鍋の中にある貝は既に冷えている。
シェフは「冷えていても醤油に浸すだけでおいしくなる」という。
(恐らく食事を終えて)店を出ようとすると、シェフが醤油瓶の蓋を開けられずに苦労しているのを見かける。
それはもがいている貝のように見えた。

という物語の一幕みたいな不思議な詩。
もがいている貝というのは〈ままならない人生の象徴〉のようにも見える。
そして、それだけが主題ではないだろう。
ファジイな感想だが、この詩の中には〈微妙〉が流れているのを感じる。
山の中にいる語り手が海を泳ぎ、ビールの泡がなくなる時間と三日三晩という時間、温かかった料理が冷めてしまったこと、もがく貝を巧みに料理したシェフがもがきもしない瓶の蓋を開けられないこと。
AとBの微妙にしてゆるやかな対置に表現されるのは現実と想像の間に引かれる境界線がいかに淡いか、ということだろうか。
うまく言葉が出てこないけれど、〈絶妙にして深く切り込む〉というより〈微妙にして淡く溶けゆく〉と表現するにふさわしい詩だと思う。

※ GOOGLE翻訳で、音声読み上げも聴いてみると、<貝類>(ベイレイと聞こえる)のリフレインが心地よい。

続いて、詩集の末尾を飾る5行詩を4編。
自身の名前である「煮」「雪」「的」「人」と題された詩群だ。
こちらは分割して読むべきなのかも知れないが、全体の大意を組みつつ読んでみる。

「煮」では温泉街のマーケットでプールの水を煮た老人が「この水を飲むとあなたは永遠の命を得る」という。その水を「孟婆湯」とも「大麦茶」とも呼ぶ人がいる。孟婆湯とは中国における民族宗教の神様・孟婆が煮立たせた薬草湯のことで、転生して冥界から現世へ行く前に必ず飲んで冥界の記憶を失わせる儀式に用いられるようだ。(初めて知った)
プールの水を煮立たせた紛い物――その水を信じるか否かで価値が決まるということを言いたいのかな、と考える。

「雪」では語り手がその水を飲んでいるように思う。〈雪が雨を忘れる〉という表現が美しい。語り手がみんなに忘却されることを望んでいるのかいないのか微妙なニュアンスの詩だ。

「的」では〈白い木の匙〉や〈雪を作る〉など白のイメージ(おそらく忘却)が強く残る。しかし忘却しようとしても〈あなた〉が見え続け、語り手の忘却したい風景を乱していく、と苦悩するような描写がある。前掲詩「雪」で彼は忘却を望みながら、一方それを阻む気持ちもある――そんな風に心が揺れ動く状態であったことが何となく見えてくる。

掉尾を飾る「人」では雪融(煮た雪の姿だろうか?)が「故郷は恋しいか?」と語り手に問いかける。それに対して「死とは真の終の住処です」と答える。そして、語り手は〈私は家無し(ホームレス)である〉と独り言ちる。
ここまで読むと前掲詩「的」に出てくる〈あなた〉が雪そのものであることが分かる。

雪、というまっさらなイメージを持って、孟婆の転生儀式に対して語り手が問いかけるのは「雪のように忘却しようとしても、雪そのものがノイズとなり記憶を乱す」ということであり、冥界から放り出された語り手は転生し現世にいる自分が本来の住処を追い出された家無しなのだと悟る……とまあ、こんな感じだろうか。
生きる間は仮宿、という思想は日本にもありますが、展開が新鮮で読み進めるのが面白い。

とりあえず第1回、詩的私的読解を何の責任もなく無軌道に書いてみた。
この読書の機会をいただいた詩人・煮雪的人さんに改めて深い感謝を。
1編の返詩を書いて、終わりにする。5行詩を書くのって初めてだ。


詩「もがいて澄んでいく」

雪を煮て     (雪に似て)
雪融け水と    (家無しの我)
対話する     (灰汁取りを)
澄みきってもまた (天にかざして)
もがき湧く灰汁  (澄むのを乞うた)


(文章:遠藤ヒツジ)


次編:詩集「クロウ―烏の生活と歌から―」

『光よりおそい散歩』