第1回

第1回 橋本ハム太郎の「令和だからね」とおっさんは言うけれど


2019年5月に元号が令和になって丸2年が経つ。その間にあったことと言えば、ご存知のように新型コロナウイルスの世界的流行である。コロナ禍により世界中の人々の生活が大きく変わり、ソーシャルディスタンスやテレワークといった今まで聞いたことのなかった言葉が定着した。また、国内においては夫婦別姓やLGBT法といった議題がやっと国会においても取り上げられるようになった。エンターテイメント界においても「第七世代」や「傷つけない笑い」という言葉が新時代の象徴的に使われるようになった。サスティナブル、SDGsといった言葉も急速に浸透した。元号の変化と共に、時代が大きく変わっていってたのである。

これらの時代の大きな流れの変化と、元号の変化が奇妙にリンクしているように見える。実際、コロナという疫災が2019年末に発生し、「新しい生活様式」という言葉が「令和」という新しい元号の誕生と共にうまれた偶然は本当にすごい。また、コロナ以外の面でも新しい価値観、新しい流行が多く生まれた。まるで、新元号にあわせ、人々も無意識下にアップデートを図ったように。

「平成」という時代も、1989年に冷戦の終了と共に始まった。そして平成の開始とほぼ同時期にバブルが崩壊し、日本は長い長い不況期に入る。令和と同じく、元号が変わったタイミングで今までとは違う時代の流れが誕生したのである(時系列的には平成の方が先なので、厳密にいうと令和も平成同様、時代の変わり目と元号の変わり目が重なっていると言うべきだが)。「冷戦後」という世界的な変化と、日本のみで通用する元号の変化が、奇跡的に一致したのはどういうわけか。

柄谷行人が指摘したように、元号による区切りで歴史を語ることは、世界史=外部との断絶を生み、国内だけで自立した内部空間を作り出す要因となる。実際、元号の概念を歴史に当てはめていく行為は、ただでさえ島国故に独立・独自な歴史を、さらに内部へと閉じ込める十分な効果があるだろう。今や、平成らしさ、昭和らしさ、そして令和らしさという極めてドメスティックな概念が、当然のように認知され流通する。おじさま方から何度「昭和だったら」というため息混じりの現状への苦情を聞いたことだろう(ただし、ここで言う昭和とは「戦後」の昭和のことであり、戦前の昭和ではない。昭和は、あまりにも長かったため、戦争により昭和内でも断絶が起きている。また、戦後・昭和と一口でいっても50年代、60年代、70年代、80年代では大きく様相が異なってくる。にも関わらず、人々は安易に「昭和」という言葉で一括りにする)。

周知のように、明治以来、元号は「一世一元」の原則に則っている(実は厳密にいうと、一世一元の原理に完全に倣っているのは「昭和」だけなのだが)。明治より前は一代の間にも改元は頻繁に行われていたし、逆に代替わりしても同じ元号を使い続けてもいた。改元は災害や天変地異があると行われた。だからコロナ禍の今なら、世が世なら必ず改元されていた。そういった祭礼・呪術的な意味合いが元号には強くついていたのである。では現在はどうなのか。

ある一族の代替わりに過ぎない「元号」という時間軸は、今や国民に完全に浸透し、その言葉でしか言い表せない概念として血肉化されている。それは平成、令和と、たまたま、世界的な時代の変化の流れと改元がリンクしてしまったことも大きいはずである。あまりに歴史を区切る概念として便利すぎてしまったのである。

令和、平成、昭和といった言葉を使い続けることにより、それはさらに強固な概念と化していく。日本人の精神に深く刻まれ、元号を支える制度をより深く、当然のものとして受け入れさせている。しかし、何度も言うようにこれは明治以降の作られた概念に過ぎない。また、国内だけでしか通用しない時間軸である。最近は役所への提出書類も元号ではなく西暦で書けるようになってきたと聞くが、そういうこっちゃないレベルで元号は国民に深く浸透している。

もちろん、「令和」になったから人々はLGTBや女性芸人の見た目弄りについて考えが変わったのではない。昔からそういった運動を続けていた人がおり、機運が高まった結果が今出ているに過ぎない。また、こういった考えは西欧諸国からの影響も大きい。世界的な風潮の中での今の国内の動きが間違いなくある。それは元号や、もちろん天皇家とは一切関係のない話である。しかし、人はすぐ「令和」という言葉で時代をくくり、時代を語る。本当は関係がないはずなのに。

それが良いか悪いかは分からない。天皇制という話だけであれば、この制度は天皇家への人権侵害だし税金の無駄だしすぐ廃止した方がいいといった結論が出るが(それは覚醒剤はやらない方が良いといった言葉に近い、あまりに自明すぎることなので議論のしようもないことだが)、元号というドメスティックな概念があることが国民にどう作用されているのかはそう簡単には結論のでない話である。つまり、新しい元号「令和」だから、世の中の変化をすんなり受け入れられているという人々がいることも否定はできないのである。

一世一元という偶然性に委ねられた制度故に、そこに「意味」が見出されてしまう。元号は未だ呪術的である。

 

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『橋本ハム太郎の才能を呼び起こす超習慣術2.0』

橋本ハム太郎