小林大悟

9.構成する9つの作品

①超ムカツキ!ダマしダマされひっかけクイズ
小3-4年生は漫画以外の本を殆ど読まなかった私が唯一ボロボロになるまで読み倒した本。社会人になってから偶然にも小野寺ぴりり紳さんと知り合う機会があり、古いものは捨てられてしまったので新しく買い直したものにサインを入れて貰いました。間違いなく言葉遊び好きと捻くれた性格のルーツです。

②講談社 痛快世界の児童文学
小5の頃に学校の図書室に入ったのを本好きな子が読んでいて、つられて1冊読んだらびっくりするほど面白くて夢中で借りて読みました。歴史物、冒険譚、推理、SF、なんでもござれ。読書苦手だった自分が全部読み切ったというのは相当自信になったと思われ、本好きになったきっかけでもあり感謝しています。

③スクリーン別冊 チラシ大全集
海外映画の日本上映のチラシが載ったカタログ。特にpart2-4 1969-1996辺りを何度も何度も読み、観た事ない映画の中身を空想して楽しんでいました。日本語の煽り文句の中には、洒落ているものもあれば下らない駄洒落まであってそのごちゃ混ぜ感も好きです。

④オオサンショウウオ
大学1年の時、子ども向け美術講座のお手伝いへ行った時に小3・4年生の無口な男の子が紙いっぱいに描いたオオサンショウウオの絵。すごく好きなんだと教えてくれましたが、その想いが絵から伝わってきてしまう事にびっくりしました。本人の名前や顔もわからないし作品の写真があるわけではないですが今でも時々思い出してしまいます。絵を描くって経験や年齢じゃないんだなと思わせてくれた一作。

⑤エルズワース・ケリー [赤・黄・青 Red Yellow Blue]
一見すると赤・青・黄に塗られただけのキャンバスです。アルバイト(肉体労働系)の夜勤明けにそのまま美術館へ行った時に出会った1枚で、作品の前で涙が出かけたほど震えた作品。単一の色から感じられる無数の筆致が疲労困憊な感性と相まってトランス状態になりました。偶然の重なりとはいえ、人生で初めて純粋に美術鑑賞をした瞬間かもしれません。

⑥長新太(にんげんになったにくまんじゅう)
ナンセンスな世界観、展開の飛躍、ご都合主義的展開、強烈なキャラクター、突拍子もないオチ。そういったカルト映画が大好きだった私が、カルト映画の魅力を絵本に落としこんでいる絵本作家がいる!と衝撃を受けたのが長新太さん。絵本の奥深さを知ったのは間違いなくこの人のお陰です。名作はたくさんありますが、特にカルト映画っぽい一冊をあげます。

⑦のろまなローラー(絵本)
“絵本嫌い”だった自分が絵本の魅力に気付いた後に、そういえば好きだった絵本があったなと思い出した一冊。私の絵本の原体験です。子どもながらにマイペースの大切さを実感した記憶も蘇ったのですが、同時に小学校に上がると共に近所の古本屋へ二束三文で売り飛ばされた悲しい記憶も蘇りました。

⑧大竹伸朗[ゴミ男]
理屈抜きに思わず「バカだなあぁ」と言いたくなるような作品が大好きなのですが、ゴミの寄せ集めで巨大な作品を作って、それを美術館に収蔵させたゴミ男はまさにバカの極みだと思っています。大学の廃材置き場の徘徊が好きだった身としては偉大な存在です。エッセー集『既にそこにあるもの』にもだいぶ感化されました。
その割に自分の活動のみみっちさといったら……

⑨鴟尾(東京国立博物館)
卒業制作のモチーフに描いたので思い出深いです。東博に行く時は今でも立ち寄って観にいきます。妙に生命感を感じるところが好きなのですが、それにしても何がここまで惹きつけるのかよくわからない、という意味では自分にとっていまだ謎な存在でもあります。

『一番素直な状態で描いて誰かに喜ばれたのはその経験なのかなと。』

10.子供の頃のエピソードを教えて下さい

小林大悟:絵を始めたきっかけは漠然としているんですけど、考えてみると今に通じる話かなと。
小学生の時にボーイ・スカウト、正確にいうとカブ・スカウトをやっていて近所の広場に集まって、似顔絵大会みたいなのが行われました。その時は絵を見せるのが恥ずかしいとか上手いとも下手とも思っていなくて、それこそ小学校3年生ぐらいの時は何も考えずに生きていたタイミングです。みんな友達の顔を描いたりするんですけど、人見知りだったのもあってそんなに仲良い子がそこにいなくて、隊長という形の大人がいて、描く人がその人しかいなかったからその人の似顔絵を描いたんです。

僕は全く覚えていないんですけど、それがすごくいい絵だったらしくて一応順位を付けておぼろげながら優勝みたいになって。隊長がすごいその絵を気にいってくれて。接点はなくなったんですけど、その後もすごい大切にしてくれていると聞いてぐっと掴む何かを、一番素直な状態で描いて誰かに喜ばれたのはその経験なのかなと。

本当にそういう事実があったことしか憶えていないですけど、その体験は未だにふと思い返します。

-原体験なんですかね。

小林大悟:そうですね。原体験として語れば原体験ですね。
それが描く動機になったわけではないですけれど、妙に覚えている。

-ちなみに友達とは何をしていて遊んでいたんですか?

小林大悟:ゲームとか外で遊んだり一通りやりましたけど、遠くに行くのがすごい好きでしたね。
東京の西の方、立川に住んでいたんですけど、子どもの自転車でいける範囲内で限られたお金を持って遠くまで出かけることが一時期ブームでした。朝5時くらいに家を出て遠くだと東京湾をみて帰ってくるみたいなのを週一でやってましたね。

僕自身、親戚があまり遠くにいなくて地方にでることはなかった。家族も遠くに連れて行ってはくれなかったけど、自転車で街の行動圏の限界ぎりぎりまで出かけるのは割と好きでした。

修理キットを持っていって途中でタイヤがパンクしたのをその場で修理したり、修理キットもうまくいかない場合は絶望しながら3時間、4時間かけて家まで帰ってくるとかありましたね。

『そんなに残すことにこだわらなくてもいいんじゃない、少なくとも創っている本人は。』

11.今生きているこの人生に関するこだわりや、どんな人生にしたいかを教えて下さい

小林大悟:楽しく生きたいというのともちょっと違うんですけど、そんなに多くを望んでいるわけではない。
けっきょく出来なさそうな気もするんですけど、急かされずに生きたいというのはめちゃくちゃある。

そんなに立派なことにならなくても、急かされたくないし何をしているにしてもやらされていない、強いられていない気持ちで生きていけたらいい。途中の過程では我慢したり乗り越えたりしなきゃいけないことはたくさんあるけど、自分の意志とは関係のないことに巻き込まれたとしても、大枠は楽しみや歓びを守りながら生きたい。

-自分のスペースを守ることがある種、こだわりに繋がったりするのかもですね。

小林大悟:何かしらには関わったりはするんですけど、単純に放っておいてもらえる時間を確保し続ける。1ヶ月働いたらきっちり3日間休むとかそういう問題でもなく気持ちの面でもあるし。

そういう風に生活を組み立てたい。完全に自由に何にも縛られたくないというのとはまた違うけど、ある程度枠組みはないというか、自発的にできる。時々、一切解放されて放っておける期間がある人生にしたい。…取ってつけたみたいな回答ですね。

-死後も作品が評価されるみたいなことに興味ありますか?

小林大悟:誰かの手に渡ったり、評価してもらえるのは嬉しいんですがあんまり興味はない。
今までは”残す”ということに対して意志を持っていたんですけど、ある時、宇宙の歴史とかを勉強していたんですけど、宇宙単位でみれば人類の歴史なんてちょっとじゃないですか。

その中で美術の歴史というか、保存される歴史を考えれば、残ったとしても一瞬となると残すことにも限界がある。
残っていたからといって、それが作者の思惑通りになれるとも限らないし、残されはするけど人目に触れぬまま残り続けることもあるだろうし、そう思うと別に消えてもいいんじゃないと思う。

パフォーマンスや音楽のライブなどの身体表現とは違うという意味で、モノとしてある程度は残せるのは絵などの利点ではあるんですけど、たかが数百年とか数千年の差と思えば、そんなに残すことにこだわらなくてもいいんじゃない、少なくとも創っている本人は。

画材を買った時に劣化が激しいものをあえて使う必要もないので、ある程度は保管が効くように気を配る。ただ自然災害で消えるパターンもある、人類が続いても日本が無くなるパターンなど色んなのが想定される。そこは自分の管轄外なので勝手にしてくださいって感じです(笑)

近視眼的に僕が亡くなったちょっとくらいまでは持つように努力するけど、せいぜいできる努力はそれぐらい。
あっ、別に達観しているわけではないです。


【アーティスト情報】

小林大悟(こばやし だいご)


-プロフィール-


1990 東京都生まれ
2014 多摩美術大学美術学部絵画学科日本画専攻卒業
2017 アートコミュニケーター「とびらプロジェクト」三期修了

絵画作品を中心に制作・発表。
他、レジデンス制作でのインスタレーション作品、壁画制作や
絵本制作、挿絵など多岐に渡る表現活動を展開。
近年では自身の活動経験を元にワークショップ講師等も勤める。

-公式Webサイト-
https://kobayaashidaigo.jimdofree.com



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