第12話

成人向け動画と救急車のサイレン

【罪悪感】

成人向け動画を鑑賞する際、一般人(設定)宅や環境音を拾う屋上などで撮影された作品の中で、不意に救急車の音が聞こえた時、罪悪感を覚えた経験はないだろうか?(たまにコテコテの撮影セットでも聞こえる事がある)

今回はその罪悪感の詳細や動機について考えてみる。よく成人向け動画は「ファンタジーだ」と言われるが、動画内で救急車の音が聞こえた瞬間だけ自分は「いや、ファンタジーじゃねぇ!実際に苦しんでる人がいる!」と少し我に返る瞬間がある。事を終える前に強制的賢者タイムが始まるのだ。あと救急車の存在は100%エキストラじゃないのも特徴的だと思う。乗客または通行人風エキストラは存在する中で、この存在ってなかなか珍しい。

また自分の中でこの罪悪感を分解していくと、少なからず哀愁を含んでいる事が分かる。静寂の中で吐息を拾おうと集中して耳を澄ましている時に、突如遠くから薄ら聞こえる救急車の音は、普段より数倍感度の強いアンテナで拾ってるはずだ。(感受性という意味でも)
この時の救急車の音は、8bitのファミコン音やイオンの店内BGM特有のエレクトーン音などと同様に情景を想起させるトリガーだと感じるのだ。妙に切なくなり、集中力が瞬間的に途切れ、作品への没入感が刹那に薄まり、撮影場所周辺の住宅街を想起させる。LからR、だんだん近づいて来ては遠く離れていくサイレン音に、街の輪郭を感じさせる急な情景描写タイムが始まる。これを勝手に患者タイムと呼んでいる。

【時間軸との関係】

実際問題、動画内で聞こえる救急車の音は、撮影当時鳴ってただけで今現在近所で鳴ってる音ではない。自分の力ではどうしようもない点も、行き場のない罪悪感を覚える一端なのかも知れない。そんなやるせなさを抱きつつも、一方で成人向け動画を見てる時に、現実のリアルタイムで自宅の外から救急車の音が遠くから聞こえても「ふーん」くらいにしか思わないのも事実。そうなると、他人が性交してる現場と同じ時間軸で「苦しんでる人」の存在を確認する条件のみにこの罪悪感は発生するといえる。

【没入感と罪悪感の関係】

自分自身の行為に罪悪感を覚えると同時に、とても身勝手な話だが、動画内の出演者や撮影チームへも「そんな事してる場合じゃないよっ助けないとでしょ!(どうやって?)」という気持ちも抱いてしまう。

①〜④の没入間の異なるそれぞれのシチュエーションで、救急車の音が聞こえてきた場合、動画内の制作側に対する気持ちがどう変化するか比較してみた。

①一般人(設定)宅 × オーバーな演技=「あべこべでどっちつかず」
②一般人(設定)宅 × 自然な演技=「リアルさに没入できる」
③コテコテなセット × オーバーな演技=「潔さに没入できる」
④コテコテなセット × 自然な演技=「撮影専用のセットとプロの演技で方向性一致」

①だと自分に対して「俺は何やってるんだ」と思うと同時に、画面内の人たちに対しても「あんたらも何も感じないのか?」と勝手な気持ちをぶつけてしまう。
②のような、没入感が高い掛け合わせだと我に返りにくい。画面内の人たちにこちらの気持ちをぶつける隙がなく、はじき返される。
一方、③だと開き直りから来る高い没入感の中にも、こちらの気持ちをぶつける隙は確かにある。しかし撮影セットだと分かり易ければ分かり易いほど、「撮影場所の内と外でそもそも分けてますから。これセットの中だけのお話ですから。」とあらかじめ提示してるようなものなので、身勝手な気持ちをぶつけるのがナンセンスに感じる。
④だと、「苦しんでる人がいるのに!」より「プロ×プロでもそこも何とかならなかったのか…」という、抱く気持ちはあるものの、それが罪悪感から来るものではなくなっている。

でもそんなこと言いつつ、次の日とか気分によってはサラッと病院が舞台の作品を見て、患者に自分を見立てて楽しむ薄情な現実である。

【没入感と罪悪感の関係】

この救急車の音問題で制作側に希望したいのは、屋内のシチュエーションで人工的に救急車の音を流して、そこからその救急車に乗せられた患者の搬送先で、ナースものの作品が始まるオムニバス形式など、作品内での「気付き」のポイントとして扱って欲しい。我に返る前にファンタジーで打ち消して欲しいんだ。情が動いたらそれが最期、とっとと自分だけ慰めて停止ボタンを押したい。余計な春風を感じたくない。

【患者タイム封印の時】

以上のことを考えた段階で、この救急車の音にまつわる一連の内容について、視聴者視点だけではなく女優視点からも考察出来ないかとセクシー女優をやっている友人にこの内容を話してみると、あることに指摘されハッとした。

それは救急車の音で罪悪感まで覚えるのという事は、自慰行為に対して10代の時に感じるような後ろめたさをまだ持ってるからではないか?というものだった。少なくともオープンスケベなスタンスの人は罪悪感を覚えないはず、と。なかなか納得の理由だった。元々後ろめたさを強く自覚していた訳ではないけど、普通の人よりかそれに近い気持ちを抱いていることは分かる。

友人曰く、救急車やヘリコプターなど撮影を妨げる音が入れば基本一旦中断するそうで、状況的に止められないシーンの場合は意図的に自分の声でかき消す事もあるそうだ。女優側もかき消す努力をしてくれているのだから、視聴者側も何の足しにもならない後ろめたさはかき消すべきだと、その話を聞いて強く思った。
今まで幾度もなく「18歳以上ですか?」の問いに「はい」と答えてきたが、やっと分かった。
大人になるってこういう事か。

【記録係】
伊藤竣泰


『観察庁24時』

第11話:雑誌の最終号の「ありがとうページ」