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ガイコツのバラード
アレン・ギンズバーグ(ヤリタミサコ訳)
大統領ガイコツが言ったとさ
予算案にサインするのなんかもうイヤだよ
下院議長ガイコツはこう言った
それじゃあ勝手にしやがれってんだ
野党議員ガイコツが言ったとさ
異議あり
最高裁判所ガイコツはこう言った
キミたち何の当てがあるんだい
国防省ガイコツが言ったとさ
惑星爆弾を買ってくれ
ブルジョワ階級夫人ガイコツはこう言った
未婚の母なんか餓死させなさい
田舎者ガイコツが言ったとさ
エロ芸術はやめてくれ
右翼ゴロツキガイコツはこう言った
かまうこたぁねえよ
グノーシス派ガイコツが言ったとさ
人間とは聖なるものです
道徳派ガイコツはこう言った
それでは私は人間じゃありませんね
仏陀ガイコツが言ったとさ
慈悲の心は徳なのです
会社ガイコツはこう言った
それは健康によくないですよ
旧約キリストガイコツが言ったとさ
貧しき者を愛せよ
神の子ガイコツはこう言った
エイズも治してやらなくちゃね
同性愛嫌いガイコツが言ったとさ
ゲイ野郎は口でヤルんだってな
生得権主義ガイコツはこう言った
黒んぼはみじめなもんだ
男根主義ガイコツが言ったとさ
女はやらせてくれりゃいいんだよ
キリスト根本主義ガイコツはこう言った
産めよ殖やせよ だもんな
生命主義者ガイコツが言ったとさ
胎児にだって魂があるんだ
優生主義者ガイコツはこう言った
じゃあおまえのアナに突っこんでみろよ
会社再建ガイコツが言ったとさ
仕事はロボットにおまかせします
暴力団ガイコツはこう言った
ガタガタ言うやつらにぁ催涙弾をぶちかましてやる
州知事ガイコツが言ったとさ
学校給食は中止します
市長ガイコツはこう言った
赤字予算でも食わせておくか
新保守党ガイコツが言ったとさ
ホームレスを街から叩きだせ!
自由取引市場ガイコツはこう言った
バラ肉にすりゃあ何とか売れるかもよ
シンクタンク・ガイコツが言ったとさ
自由取引市場はやり方しだいです
ローン地獄ガイコツはこう言った
あとは国費で払ってよ
クライスラー・ガイコツが言ったとさ
みんなの幸福のために消費しましょう
原子力ガイコツはこう言った
自分のためだ 自分のためだ 自分のためだってば
環境保護ガイコツが言ったとさ
青空をいつまでも
多国籍ガイコツはこう言った
商品価値はどこにあるんだい?
北大西洋自由貿易地域ガイコツが言ったとさ
関税自由化でボロ儲けだ
メキシコ国境貿易地域ガイコツはこう言った
日雇い労働者が安給料でこき使われてんのにか
金持ちガット貿易協定ガイコツが言ったとさ
世界はひとつ ハイテク産業時代の到来だ
貧乏人ガイコツはこう言った
それじゃあ俺たち食っていけませんよ
世界銀行ガイコツが言ったとさ
木でも切って売ってりゃいいんだ
国際通貨基金ガイコツはこう言った
アメリカ製のチーズくらい買えるってもんだ
発展途上国ガイコツが言ったとさ
我々には米が必要なんです
先進国ガイコツはこう言った
あんたがたの骨でも切り売りしてみたら
イスラム教ホメイニ師派ガイコツが言ったとさ
もの書きなんかみんなくたばっちまえ
ジョー・スターリンのガイコツはこう言った
そうだ そうだ そのとおり
大中国ガイコツが言ったとさ
チベットなんかひと飲みだぞ
ダライラマ・ガイコツはこう言った
消化不良になったって知らねぇよ
何とかエイドコーラス・ガイコツが言ったとさ
彼らは過酷な運命なんだ
USAガイコツはこう言った
神様みてぇにクウェートを助けてやるか
石油化学工場ガイコツが言ったとさ
爆撃だ ぶっ壊せ
サイケデリック・ガイコツはこう言った
恐竜でもいぶり出すつもりなのかな
ナンシー・ガイコツが言ったとさ
あなたノーって言いなさいよ
武力革命ガイコツはこう言った
ナンシーのひとりやふたり ぶっ殺せ
説教屋ガイコツが言ったとさ
マリファナなんかやっちゃいけないよ
アル中ガイコツはこう言った
そうだよ 肝臓に悪いもんね
ヤク中ガイコツが言ったとさ
ヘロイン一発やろうよ
非行補導員ガイコツはこう言った
腐れ金玉野郎はブタ箱送りだ
鏡ガイコツが言ったとさ
チョーカッコイイじゃん
電気椅子ガイコツはこう言った
お次はどいつを料理するんだい?
ワイドショー・ガイコツが言ったとさ
明るくおセックスいたしましょう
マイホーム・ガイコツはこう言った
うちのマイホームってそれ向きにできてますよ
ニューヨークタイムズ・ガイコツが言ったとさ
ちょっと出版には向きませんね
CIAガイコツはこう言った
何かヤバイことがあるんだろ?
放送業界ガイコツが言ったとさ
私どものウソを信じてください
広告業界ガイコツはこう言った
お利口になっちゃ駄目ですよ!
メディア・ガイコツが言ったとさ
おれもあんたも信じていようよ
カウチポテト・ガイコツはこう言った
めんどくせぇこったな
テレビ・ガイコツが言ったとさ
騒音でも食べてください
ニュース放送ガイコツはこう言った
それでは皆様お休みなさい
詩を中心とする関富士子編集のウェブ版個人誌
“rain tree” vol.18 『アレン・ギンズバーグ晩年の一面を読む』より
※一部に不当・不適切な表現が見られる部分がありますが、1999年出版当時の原作に従って掲載しております。
『生活者としての生があるからこそ、人間の作る芸術となるのです』
6.お金についてどう思っていますか?
ヤリタミサコ:私にとっては、「お金」という現実原則があったから、生き延びてこられたのだと考えています。高校生から大学生まで奨学金を受給して、半分は返済が必須のもので、半分は給付でした。
高校生からアルバイトをして高校の授業料を支払い、大学生でも同様です。親からの支援は、最低限の食費だけですから、自分が健康を保って自分で生活費を確保しないと何もできないわけです。
つまり、自己実現のために必要なお金は自分が作り出す、ということをやり続けてきました。誰かに頼ることもしないし、自分の芸術から利益を生み出すこともしません。売れる物を作ろうとすると、自分の芸術的美学を曲げて利潤にすり寄る必要があるので、それはしない、その代わり自分が自分の生活をちゃんと維持すると決意したのが20代の頃です。
芸術上の自由を確保するために、現実的には毎日サラリーマン生活を送ることにしました。
フリーランスで芸術的な仕事をしている方もいますが、私はサラリーマン生活を選択したことは自分にはとても良かったと思っています。自分の芸術と生活を時間的、空間的に区別できるので。ネガティブな感情に取り付かれて死にたくなったこともしばしばありますが、そこは現実原則が救ってくれました。
明日の自分を内的心的な意味で信じられなくても、外的な環境上(つまりお金の世界)で存在する必要があるので、明日がないと思わずに、明日職場で予定された仕事をする必要がある、と考えることで自分を現実世界に引き戻してきました。
芸術的魂の自由の確保のため、と、明日の自分への義務と責任のため、「お金」という現実原則は必要です。
ヤリタミサコ:あらゆることから自由であることです。作者の経験や思想、毎日大量に流れ込む情報、そういったものからできるだけ離れた地平で芸術は存在しなければならないと考えています。
ヤリタミサコ:作者自身の経験や思想の反映が強すぎると、創作物を狭く小さくしてしまう可能性があります。普遍性という深い地層に届かない創作物は、時代が変わると理解されなくなります。
例えば昭和初期の萩原朔太郎は、自我の苦悩を掘り下げているので、読み継がれます。が、その頃の近代詩は、現在はほとんど読まれなくなっています。というように、時代背景が変化したときにその創作物が生き残るか、というのは予測がつかないのですが、私は可能な限り時代性とは距離を置きたいと考えています。
ヤリタミサコ:生活とは、イコール人間の生きることです。人間はAIでもロボットでもないので、経済社会で滞りなく生活することは当たり前のことです。それを犠牲にして作ろうとする芸術には、どこかに無理があります。
例えば、徹夜して食事も取らず、1篇の詩を書き上げてもそれは脆弱なものです。生活者としての生があるからこそ、人間の作る芸術となるのです。2016年のアメリカ映画「パターソン」のような、淡々とした日常に存在する詩が好きです。
『4才くらいの時には、見渡す限りのたんぽぽが永遠に続いているような感覚でした』
7.詩や翻訳をやっていなかったら何をやっていると思いますか?
ヤリタミサコ:なんらかの表現活動だと思います。先祖には、江戸城大奥の女中がいたり、築地小劇場の女優がいたり、小説家がいたりしますので、自分独自の何かをやっているでしょうね。
ヤリタミサコ:植物が好きです。日常の通勤途上でも、ジャスミンやクチナシの香りがすると、花を探したりします。ライラックやアカシアのような北海道に多い花を見ると、とてもうれしいです。
梅が咲いた、桜が咲いた、次は藤を待って、というように、季節の開花を楽しみにしているし、大きなガーデンに半日くらい植物を楽しみに行ったりします。
ヤリタミサコ:18才まで育ったところは小さな炭鉱町なので、山と川の間に、わずかな人間が居住しているという環境です。4才くらいの時には、見渡す限りのたんぽぽが永遠に続いているような感覚でした。山に遊びに行けば、ヤマブドウやレッドカラントやグースベリーのような甘酸っぱい植物の実がなっていて、それをぽいぽいっと食べていました。
ヤリタミサコ:逆に川がきれいだと思いました。なぜならば、炭鉱では石炭を川の水で洗ってその黒い水を川に戻すので、夕張川や炭鉱の町の川はすべて真っ黒だからです。
ヤリタミサコ:18才で大学進学と同時に東京住まいですが、26才まで祖父母や叔父叔母の家での生活、その後は大学の女子学生寮に住み込みで就職したので、30才くらいまでは大家族状態で過ごしました。東京住まいの良いのは、秋冬でも植物の楽しみがあること。冬でもカンザクラや梅など自然の花が咲くことがうれしいです。
『非在という存在のあり方は否定できないというのが私の考えです』
8.子供の頃の印象に残るエピソードを教えて下さい
ヤリタミサコ:3才半の時に叔父が急死しました。その時から「私はオトナだ」と決めました。そのときからの記憶が明確にあります。
ヤリタミサコ:死んだ叔父と生きている親族との間で、私はひとりっきりだと思ったからですね。姪である3才の私は唯一の存在で、世界に自分はひとりっきりで立っている、という感覚です。
ヤリタミサコ:高校や大学のように集団での経験を積み重ねていくときには、それなりに帰属意識もあったし、仲間たちとわいわいと遊ぶ経験も楽しみました。が、サラリーマンをしながら文学に関わると決めたときには、「ひとりっきりで立っている」覚悟が必要でした。誰とも違う生き方をする、誰とも違う自分だけの表現をする、という強い意志です。
ヤリタミサコ:私の数人の友人は若くして自死しています。叔父や彼らの早すぎる死についてずっと考えていました。その後大学院で「死生学」を学ぶことによって、生と死は連続している親しい位置にあると考えるようになりました。だから、現世だけに生があるのではなく、生はカタチを変えて死に続くという考え方を持ちつつあります。
ヤリタミサコ:死は肉体を失うことですが、スピリットは消滅するかどうかわかりません。東日本大震災後に死者たちが生者に対してなんらかの気配を伝えることがあったという報告もあるように、非在という存在のあり方は否定できないというのが私の考えです。見えないけれど、なんらかの「いない」というあり方なのだろうと思っています。
ヤリタミサコ:重要な決断をするときは、必ず自分に問いかけます。「これで後悔しないか?」と。その時点での判断はあとから考えると損だったなあと思うこともありますが、それはその時点でのベストなので後悔することはしません。そのときの自分の思考と感覚の限界でしょう。