第1話

Rain Shower

初恋の詩。
私には、忘れられない一篇の詩があった。

たしか、2003年くらいだっただろうか。
その頃、地元福島のイタリアンレストランでソムリエとして働いていた私は、朝から夜遅くまで働き、休みの日はワインの勉強と、全く余裕のない生活を送っていた。友達にも会わず、音楽も映画も本も、数年間一つも手にしなかった。
とにかくこの東北の田舎町で、イタリア料理とワインの素晴らしさを伝える使命感に燃えていたのだ。

当時、唯一楽しみだったのが毎週水曜日に配られる地元の生活情報フリーペーパーだ。
そんな事が唯一の楽しみだなんて、どれだけ文字に飢えていたのか。異常な状態だと今なら思うけれど、その頃の私は常に焦っていた。一切の娯楽を排除しないと、怖かった。

そこに連載されていたのが福島の詩人、和合亮一さんの詩だ。
ある時載っていた一篇の詩。読んだ瞬間、驚きのあまりしばらく動けなくなった事を今でも覚えている。

スコールと食事をする事になった

スコールと「僕」がイタリア料理を食べに行く内容なのだが、何故びっくりしたかというと、まずその詩に出て来る単語の専門性だ。 

スプマンテ

手長エビのリゾット

タコのカルパッチョ

今でこそ、何でもないメニューかもしれないけど、当時の福島は(私の体感です)まだそこまで本格的なイタリア料理は、市民権を得た存在ではなかった。
決して全員ではないけど、生パスタって事は、茹でてないんですか?ライスは付きますか?なんて聞かれるレベルだった。

なんと言っても「シャンパン」でも「スパークリングワイン」でもなく、イタリア語の「スプマンテ」!!その表現を詩で使うなんて!!
衝撃的だったし、ワインに携わる者として、とても嬉しく思った。

スコールと食事をする「僕」。
目の前で雨が降り、虹が掛かる情景が浮かぶ。白ワインの香りと雨の匂い、激しい音。食後のエスプレッソ。

詩を読んで、一瞬で違う世界に連れて行かれる体験は、あれが初めてだった。

毎日毎日、ワインとイタリア料理を知ってもらう為に走り回っていた私は、「詩」によってこんなにも美しい表現で伝える事が出来るのか。何より当時の私が目指していた、ワインと料理が中心にあるレストランのスタイルが、詩の世界に存在しているように思えた。
震えながら厨房の隅で、誰にも見つからないように、こっそり何度も朗読した事を覚えている。

それから数年後、その店を辞める事になり、いつしか詩の事も忘れてしまっていた。時々、ふと思い出す事はあったが、福島から岩手、埼玉に引っ越した私は、和合亮一さんの詩を目にする機会もなくなっていた。

それから10数年後、2018年。
上野で行われた詩のイベント、UPJ6で、私は和合亮一さんの朗読を、初めて見る事になる。

「えっ…あの詩の…」 
和合さんのお名前だけは、ずっと覚えていたのだ。
ステージから降りた和合さんにすぐに駆け寄り、あの時のあの詩がずっと忘れられないと、興奮気味に伝えた。今思えば、怖すぎる。きっと変な奴だと思われた事だろう。

「ありがとうございます」と優しく言って下さり、本当に嬉しかった。
その後、和合さんの詩集を片っ端から読んでみたが、あの詩に出会う事は出来なかった。

それから、ポエトリーに魅了された私はついに自分でも詩を書き始めた。詩は好きだけど、書くことは出来ないと思っていた私が、何とか見つけたやり方がワインの詩を作る事だった。
もしかしたら、あの詩に影響を受けた部分も少しあるのかもしれない。


先日、久々に大きい書店に行く機会があった。
和合亮一さんの新しい詩集が発売されたとはもちろん知っていたので、本棚に並んでたキレイな青色の本を手に取った。「Transit」だ。

手にした瞬間、不思議な気持ちになった。

こんな事は本当に初めてなのだけど、胸が苦しくなって、何故かわからないけど、予感がした。

「あ、この中に、いる」

そう思ってしまった。
ちなみに、私はこの詩集がどんなコンセプトでどんな内容なのか、この時点ではまだ全く知らない。

ドキドキしながらページをめくる。

あった…

10数年振りに再会したその詩は、私の記憶よりも、ずっとずっと美しかった。
嬉しくて嬉しくて、その場に座り込み、泣いた。

もう忘れてしまっていたタイトルは、
「Rain Shower」

何度も何度も、会いたいと願っていた初恋の詩は今、私の手元にある。

スコールと食事をする「僕」に、私ならどんなワインをオススメするか、これからはゆっくりと、考える事が出来るのだ。

【執筆】
もるた


『その刹那』

第2話:犬の話

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