第2話

犬の話

私は猫が好きだ。家でもかわいいグレーのハチワレ猫を飼っている。私の愛が重すぎる故、つれない態度を取られてるが、それも含めて猫はかわいい。
動物は基本的にみんな好きなのだが、実は犬は少々苦手意識がある。

もちろんかわいいと思っているけれど、犬を前にすると、遠い昔の苦く切ない記憶が蘇ってくる。

小学2年の夏休みの朝、姉とラジオ体操に行った帰り道の事である。

突然、5〜6匹の野犬が私達に飛びかかって来たのだ。私は、あまりの恐怖に動けなくなった。そしてすぐに年長者である姉に助けを求めた。すると彼女はボロボロになって泣き叫ぶ私を囮にして、先に逃げて帰ってしまったのだ。

人間とは、己の危機が迫るとこうも簡単に肉親をも裏切るのだという悲しい現実を、私はこの時学んだ。

のちにあれは正当防衛だったと主張されたのだが、私が未だに人を信じる事が出来ず、性格が歪んでしまったのはこの時のトラウマのせいであり、ひいては犬のせいかもしれない。

それだけではない。
高校2年のクリスマスの夜の事だった。
当時の彼氏とのデートの帰り、1人で歩いていると信じられない事に再び野犬が襲って来たのだ。

小学生ならまだしも高校生の私に、である。
よっぽどコイツならいけると思われたのだろう。基本的に人間にも犬にもナメられがちである私は、売られたケンカを買ってやろうと拳を振り上げてみた。

その瞬間、犬は先程彼氏にクリスマスプレゼントで貰ったばかりの私の手袋に噛みつき、物凄い勢いで逃げ去って行った。

“彼氏に貰ったプレゼントを奪う”という、私のクリスマスにより浮ついた心を瞬時に見抜き、かつ一番ダメージを与えるという、実に恐るべき犯行である。

後日、彼氏とはその事が原因だったかどうかは忘れたが別れる事となったし、貸した2万円は返って来なかった。

私が未だに男性に苦手意識があり、自分勝手な男に騙されがちなのは、この時のトラウマのせいであり、もしかしたら犬のせいかもしれない。

そんな私にも、幼い頃には心を許していた犬がいた。

友人の飼っていたラッキーという名前の雑種犬だ。ラッキーはよく吠える犬だったが私にもよく懐いていて、一緒に散歩に行ったり公園で遊んだりと、楽しい時を共に過ごす仲間であった。

ある日、友人と共にラッキーを連れて近所の川に遊びに行く事になった。
いつものように遊んでいると、急にお腹が痛くなってしまった。

トイレまでは走って20分はかかる距離だった為、子供だった私は恥ずかしくて友人に言い出せず、黙って近くのトンネルのような所にお花を摘みに行く事にした。軽犯罪法違反ではあるが、30年以上前の子供のした事なのでどうか許して欲しい。

なんとか間に合い、立ちあがろうとするとトンネルの中で何かの視線を感じた。
恐る恐る振り返るとそこには2つの目が光り、暗闇の中で荒い息遣いが響いていた。

この後…私とラッキーの間に何があったのかは、申し訳ないがとてもここで語る事は出来ない。ご想像にお任せ致したい。いくら数々の恥を晒して来た私でも、さすがに常識のラインというものはわかっているつもりだ。

その日、とにかく私はラッキーとの死闘を繰り広げ「獣の狂気」というものを初めて体験したのだった。

この日以来、ラッキーとは絶交した。

人生の中で犬に襲われた回数でいうと、恐らく一般女性の平均以上である私が声を大にして言いたいのは、よく「犬に噛まれたと思って…」などと、大した事じゃないから忘れなさい的な場面で言われる事があるが、犬に噛まれるとめちゃくちゃ痛いし、狂犬病などの感染症も怖い。

犬と戯れている人を見ると「突然首元を狙われて死ぬ可能性」について心配になると同時に、犬に対して全幅の信頼を寄せられるような、キラキラした人生を歩んで来たその人の事を少し妬ましく思ってしまう。

猫ならば、サイズ的にもし戦ってもまだ勝てる可能性があるが、犬は無理だ。完敗だ。泣いて許しを乞うしかない。

それでも駄目ならもう、尻尾を巻いて逃げるのみである。

【執筆】
もるた


『その刹那』

第1話:Rain Shower

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