※ページ毎に Goozen にて開催された展示のフライヤーをご覧になれます
『詩は芸術や創作の一部になっているけれど、コミュニケーションとしての役割が先にあった気がする』
2.運営されているギャラリー「Goozen」について教えて下さい
矢野信一郎:そうですね。存在は知っているし例えばアールブリュット*6と呼ばれる作品を創っている人たちも知ってはいたけど、働くまでは障害を持っている人たちと近いところで触れ合う経験がなかった。
学校にいた時にそういう子がいたりとかはあるけど、その程度のことしかなかった。施設で働くといっても、本当に働けるのかなと思っていたけども、その頃は仕事もなかったしもういいやと思って(笑)。
矢野信一郎:そういうところで働き始めたり、障害を持っている方と関わったりしていって、最初は人としての彼らに興味があって。要するにアートがどうだとかそういう話じゃない。
最初はシンパシー。行ってみたら自分とすごく似ているなって。色んな人の中に自分を見つけていたんです。
矢野信一郎:色んな状態でいるんですけど、すごく近いなと思って。彼らに対する興味が最初にあった。その中でいると割と自然でいられる。自分を大きく見せないといられないところではなかった。そのままでよかった。それが一番大きかった。
のちのちに全部間違いだなと思ったんですけど、色んな洗脳があってですね。自分を必要以上に自分じゃないものにしないと生きられない社会にしているんですね。わざわざ。
矢野信一郎:ピラミッドの構造にしているので、一番上の人が潤うように、競わせてそういう風にしていたと思います。そこにのる・のらないがあるんですけど、そういうのは色々と経験しないと分からない部分もあって。結局、偽らないと生きていけないのはやっぱり間違いだとよくわかったんです。
そのままじゃないとむしろダメ。頑張れば頑張るほど色んなエネルギーが奪われるんです。「頑張らなくてもいい」という風にしないと最大限が出ないと思う。頑張ってすごいエネルギーを出そうという考えがありますがそれは逆です。
頑張れば頑張るほど、吸いとられていく。「頑張らないように生きていくにはどうしたらいいか」を考えた方がいいと思います。そういう風に思えたのは施設で働き始めたのがきっかけですね。
矢野信一郎:そうですね。絵の仕事を辞めて違うことをしようと思っていた時期にスペースをつくりたいと思っていたんですよ。最初はギャラリーを作ろうとは思っていなかった。いわゆるブックカフェとか、よくあるお洒落なね(笑)。壁面で展示でもできればいいかなぐらいには思っていた。きちんと採算を取ってビジネスとして成り立たせるようにしないといけない頭があったので、元々はそういう風にしようと思っていた。
矢野信一郎:最初、ギャラリーはどのように運営していけばいいのか、それだけで続けていけるわけはなくて一番ありえないと思っていた。お金、どうしようかなって。何らかの形で商売があってその付属として展示ができたらなと。
だけど、蓋を開けてみたら一番ないと思っていたことをやり始めていた(笑)。
矢野信一郎:色んな施設を観に行って。自分が働いているところは創作活動はしていないけど、調べていくと創作をしている施設が全国にあると知った。アートがどうとかは考えていなかったけど、なんとなく目に入ってきた。アポイントメントを取って施設を見学しにまわっていった。
矢野信一郎:そうです。皆、作業場に通っていて、箱を作ったり部品を解体する単純作業をしている。日本中にある多くの施設は基本的にそれなんですけど、その時間に芸術活動をしている施設も存在する。それをお金に変えるためにグッズにしたり、企業とコラボしたり、展示に出したりしています。もちろん直接的に作品を売るってこともあります。
それは10年、20年、30年と長い時間をかけてそうなったんだろうけど。
矢野信一郎:見学し始めたぐらいの時に、障害を持っている彼らと何かをやりたいと思った。でも、それに特化した展示スペースをつくるのはあまり面白くないかなと。そうするとお客さんが福祉関係の人がメインになってくるなと。
そうじゃない人に訴えたいところもあって、さかんにやっている施設はある程度は認知されていたり様々な交流があると思うんですけど、でもまだまだ両者、健常者と障害を持っている人たちが交流したり、一緒に展示したりするのはごく限られている。
矢野信一郎:障害を持っている・持っていないというのもひとつあるんですけど、今までに出会っていない別分野の人たちが出会えたり、そういう縁ができるという場所でありえたい。
矢野信一郎:直感です。その通りです(笑)。
矢野信一郎:そうですね。自分にも好みがあると思うんですけど、なるべくそのセンサーだけに頼らないようにしている。でも、やっぱり自分が選んでいるからある傾向は出てしまうんでしょうけど。
今回の「抵抗とかロックンロール」は大阪の作家さんで次も大阪、京都の作家さんの展示をする予定。
矢野信一郎:楽でお金もかからないと考えればもっと近くてもいいんだけど、そういうのではないみたいです。場所で選んでないので。
だから、「ああ、またか」と思っちゃう(笑)。
矢野信一郎:それは日常的に色んなことでやっていると思うんですよね。例えば、絵を描くことがそれそのものです。ひとつの画面の中でのモノの配置ですよね。自分が撮った写真を並べてみて「これとこれが隣だといい」というのはあったりするじゃないですか。
矢野信一郎:理屈付けはなんとでもできるかもしれないけれど、基本的に感覚の部分ですよね。何にしても感覚が大事。
矢野信一郎:障害を持っている人たちは割と人にどう思われるかを第一にしていないので、その凄みはありますよね。一方、一概には言えないけど健常者の作家さんは人に見られることを意識しますよね。良い悪いの話ではなくて。
そういう人たちを会わせたい。
矢野信一郎:なぜ人の目が気になるのかというと、さっきの話じゃないですけど、自分を大きく見せなきゃいけない、元々の自分は価値がないものだと思っているんですよ。そこがやはり問題だと思う。本当はそんなことないはず。これをうまく言うにはもうちょっと時間がかかると思うんですけど、ともすると少し偽善的な話になるかもしれないけれど、人間はもともとが本当は一番すごいはず。……人間じゃなくても(笑)。
矢野信一郎:でも逆を教えられている。「そのものは価値がない、だから頑張れ」と「もっとやらないとダメだぞ!」って。企業がモノを売るための広告も直接的には言わなくても「今のままではあなたはイケていないですよ」って。
矢野信一郎:とにかく、そのものを認めるということをしない。その価値観で考えると、障害を持って生まれたことに対して No と言っているわけですよ。「あなたたちは社会で生きていくため、お金をいくらかでも稼ぐために矯正が必要だ」って。ひとつの価値観に当てはめて人間に優劣をつけている。
……そういうところとは縁を切ろうと思ったんです(笑)。
別のきちんとした価値観を提示できないかと思ったんですよ。大きく言えばそういうことです。
矢野信一郎:現実というのはみんなが見ている妄想。なので、ひとりひとりのそれぞれ違う妄想により作られている。同じものを見ているように一応は話しているけれど、それぞれの現実は自分で作っている。思考することが現実を作るので、ものすごい力をみんな持っている。
話すと長くなるんですけど、結局どう考えているかがその人の現実にフィードバックしていると思います。「これはできる」と思っていればできる方向に進んで行くんですけど、「できるかな、できないかな」と思っているとほぼできない方向に行く。
それは自分で選んでいるからなんですけど、そのことを忘れているんですよね。うまくいかなかったときに「やっぱり人生ってうまくいかないんだ」という風に思ったりするわけですよ。「人生はそういうものだよ」と誰かも言ってくるですけど、それは嘘です(笑)。
矢野信一郎:その都度、自分でうまくいかないほうの選択をしている。できると思って瞬間的にできるわけじゃないけど、「できる」という小さい選択をしているとそっちの方向にいく。はっきり言えば、それだけだと思います。
色んなことが複雑にあるように言われているけど、そのことだけでできている。本当はみんな自分が思った通りの人生になっていると思います。うまくいかないと思えば、うまくいかない人生になっている。それは、自分の思った通りになっている。「やる」と思ってその方法だけを考えて選び続けていれば、結果はそのものではなく違う形だとしても考えていた方向には進んだと感じるわけです。
幅を持って考えていれば悪いようにはならない。
矢野信一郎:でも、社会は「そんなことはあるわけないので、きちんと先のことを考えてたくさん保険を打たなきゃいけないし朝から晩まで働かないといけないし、色々大変だけど頑張りなさいね。全て自己責任です……。」みたいな風になっている(笑)。
矢野信一郎:頑張らないといけない社会には無理がある。だから疲弊していく。疲弊する必要はなくて。
それこそ「障害とは何なのか」という話がある。今の社会の中ではお金を稼げない風になっているから障害と呼ばれているけど、彼らが訴えていること、教えてくれていることがすごくある。
それは障害を持っている・持っていないにも関わらず、みんなそうなはずなんだけど。どういう風に生まれてきても、それで OK でなければおかしいじゃん。存在することをなぜ否定されなきゃいけないのか。
矢野信一郎:存在を否定することは回り回って自分も否定することになる。
矢野信一郎:そうですね。その時は俯瞰でみているつもりだったんですけど、全然まだだったんですかね。今はあんまり昔のことを思いださなくなった。当時は過去のことを「ああいう風にしておけばよかったかな」とか考えていたと思うんですよ。今は何もないです(笑)。
矢野信一郎:「いい展示でした」と言われるのはすごく嬉しいしそれは本当に良かったと思うんですけど、それを言われるためにやっているわけではなくて、その人たちがここにきてくれた(作家たちの作品が)時点で良いんですね。
もちろん細かい作品の配置などは考えたりしますけど、その時点でそうなったのならそれを OK にすればいい。そうしないと、自分の首もどんどんと締めていくわけで。褒められれば褒められるほど、その期待に応えようとまた自分を大きく見せる必要がある。
矢野信一郎:言わなきゃ言けないことは言いますけど、展示では基本的に作家さんにお任せしています。そこで何かを感じたり観てくれた人との交流があったり、そういうことが起こってくれれば、直接的にワッーという何かがなかったとしても、時間差で生まれる場合もあるしね。色んな網の目が広がって縁が繋がっていくので、絶対面白いことになってゆくと思っている。
矢野信一郎:ん、そうそう……、そうです(笑)。
音楽を聴いていてだんだんとサウンドの細かいところを聴くようになりましたけど、最初はメロディやその雰囲気、それとやっぱり詞、何を言っているかが重要でした。日本の曲を聴いていても、やっぱり詞が気になったんですよ。言葉の部分。
子供のころ、かなり内弁慶で知っている人や家族の前だと馬鹿みたいなこともできるんですけど、人前であまりしゃべれなかったんですよ。笑いは好きだったので、バカみたいなネタを周りに披露したりしていたけど、改まって大人に何か聞かれたりすると黙っちゃう。
そういう感じだったので、言葉をすごく意識していたんだと思う。それは小さい時からあった。
矢野信一郎:詩そのものもそうですけど、だんだんと色んな興味が出てきて、人類は詩とどういう形で携わってきたのか、そもそも言語とは?みたいな(笑)。人類が理論的に話すようになったのは割と最近のはずで、もっと断片的だったり抽象性が高かったんだと思う。
テレパシーというか、昔はそれぐらいで通じていて、詩みたいな構造でコミュニケーションをしていたんだと思う。今、詩は芸術や創作の一部になっているけれど、コミュニケーションとしての役割が先にあった気がする。理論でやりとりしたり納得させたりするのは後からきていて詩の方が根源的な感じがしている。
論理的に喋っていては伝わらないことが伝わったりするじゃないですか。曲に詞がついてるのも、意味以上の意味が入ってくる。色んな人の作品や音楽を聴いて、そういう感じを受けてきたので興味がありました。
矢野信一郎:「なんで?」「証拠を出せ」など、理由を論理的に説明できないと納得しないという風潮があるじゃないですか。本来、本当の理解はそこにないと思う。それでは理解できないところ、詩はそういう理解の在り方に近いと思うんですよ。
(Goozen で開催される展示のフライヤーには詩的なテキストが掲載されています。ここでは2023年10月に開催された松原日光 x 星実樹展「ほし ひかる なみ うごく」と2023年11月に開催された山田那美 x 宮下幸士展「私的自由秩序基礎練習2」を紹介させていただきます。)
「ほし ひかる なみ うごく」
うごく の なみ
いないいない の いち
うごく の なみ
あらわる の いち
いきさき を きめて
ひかる の ほし を たしかめて
わたし の いち を たしかめて
うごく うごく
わたし うごく
うごく うごく
なみ うごく
そら
こぎだす ふね
いくども いけども
わたし が とおる
いくども いけども
なみ うごく
いないいない の いち
あらわる の いち
ほし の ひかる を たしかめて
「私的自由秩序基礎練習2」
スケジュールに沿って
タイムラインに沿って
私の思考は活性化する
プロセスの惑星にて
どこにも行けない地図を作成している
私の練習は続く
やがて思考は編まれ形を成すだろう
手間ひまかけたセーターが
言葉よりも早くあなたに届くだろう
あなたはどんな答えを導き出すだろうか
来たれ難問 その日のために
私の練習は続くのデス
*6 アールブリュット…1945年にフランス人画家のジャン・デュビュッフェが創り出した「生の芸術」を意味するフランス語。「アウトサイダー・アート」と英訳されて世界各地へ広まった。