矢野信一郎

※ページ毎に Goozen にて開催された展示のフライヤーをご覧になれます

『その時も割といい天気で、空気感や映像を鮮明に覚えている』

4.子供の頃のエピソードを教えて下さい

矢野信一郎:3歳ぐらいまで住んでいた町田の2階建てのアパートがあって、一続きになっていて各家族が縦に専有しているタイプ(メゾネットタイプ)のところだった。その当時、全ての部屋に若い夫婦が入居していて、子供たちは自由に行き来してみんなで遊んでいた。

-同じ年代の人が多かったんですね。

矢野信一郎:そうですね。今でも付き合いのある人もいます。隣に住んでいたなおみちゃんという子がいて、うちが一番初めに引っ越したんですけど、その子のうちも2年後ぐらいに引っ越してそれが割とうちの引越し先の近所だったんですよ。同じ小学校には一応行っていたんですけど、段々と男女というのを意識する時期で、そうすると付き合いがなくなってきて。しばらく何の縁もなかったんですけど、何十年振りか忘れましたけど、30の半ばぐらいで自分の展覧会を開催している時に観にきてくれたことがあった。大人になってから向こうも絵を描き始めていて、そこから多少の縁ができるようになった。その子に言わせても、当時の記憶が重要というか、俺もあそこの記憶は自分の中にあるなと。
申し訳程度の庭があって、仕切られてはいるけど行き来できるようになっていて、縁側で夏に花火をやっていると、みんなワイワイ集まってきたりして。

「町田の2階建てのアパートに住んでいた頃」

-大きい家族みたいでいいですね。

矢野信一郎:アパートの前には大きい石を一時的に保管しておくスペースで石屋さんと呼んでいた広い空地があって、そこでよく遊んでいた。俺はしょっちゅう転んでいた。頭がでかかったんだと思う(笑)。石屋ですごく頭をぶつけていて本当に馬鹿になるんじゃないかって親が心配してたって(笑)。

-痛そうですね。

矢野信一郎:今も覚えている頭をぶつけた時の場面があります。
石のブロックに棒が刺さっているタイプの庭の物干しがあって、その石のところにのっかていた。確か午前中で、月が見えていて。明るいのに月が見えているのが不思議だったんですよ。「お月様がでてるよ」みたいなことを母親に知らせていて、それに気をとられすぎてずでんとひっくり返ってそのまま石に頭をぶつけた。

場面転換がすごかった。月を見ていたと思ったら頭に星がばばっと浮かんだ(笑)。その時の映像は鮮明に記憶しています。

-印象的なシーンですね。

矢野信一郎:子供の頃のエピソードでいうと、たまに人に話すのがもうひとつあります。
幼稚園の初日に脱走したんですね。幼稚園の正門から校舎に入るまで距離があり、歩く必要があった。親御さんが自転車に乗ってその門のところで送り迎えするようになっていて、「朝来るときは門のところまでで後はお子さんたちに一人で教室まで行かせてください」と最初に念入りな注意事項みたいなのがあったんですね。

うちの母親はそれを忠実に守って門のところまでしかついてこなくて。一人で教室に行ってみるとほとんど誰もいなかったんですよね。その時点でどこか不安で、少し寂しい感じがあって、そこからぞろぞろと皆親が教室のところまでついてきているわけですよ。

「あれ、話が違うじゃん」と思って(笑)。これは何かが違うと思いだすと、その場にいられなくなって逃走しました。

そのまま完全に逃亡するのではなくて、とりあえず一旦家に帰ろうと思った。しばらく走りながら「一回家に帰るだけ」と言い聞かせてそれを口に出して信号待ちをしていたら、車がキーっと横に止まって、いかつい角刈りの幼稚園バスの運転手が2人降りてきた。両脇から掴まれそのまま後部座席に乗せられました。そこでも「一回帰るだけだから」と言っていたんですけど、聞き入れられなくて。

まあ、そりゃそうですよね(笑)。

そのままドアを閉められて寝転がった状態になった。4月だったんですけど、その日の天気が本当に良くて、車の窓から凄い綺麗な青空を見てすごく悲しくなって。

-最初のエピソードもですが、空の記憶が鮮明に残っているんですね。

矢野信一郎:そうですね。今までは青空の下で自由に友達と遊んでいたのに、これからは毎日そこに行かなきゃいけない。規則で「お母さんはここまで」とか、急にそんなところに入れられて、おじさんには乱暴に扱われて車に入れられて(笑)。そう思うとすごく悲しくなって「自分は逃げられなかったんだ」という思いがあった。その時は、こんな風に言語化はしていないんだけど、あとから考えればね。

家までたどり着けず途中で捕まってしまった。それがすごく残っていて、その体験が割と人格に影響しているような気もする。逃げるんだけど途中で捕まってていう。しばらくそれが根底にあったと思う。

-自分の中でイメージができあがって、それに引っ張られたりするんですかね。

矢野信一郎:まず、基本的に「ここから逃げなきゃいけない」というのがあるんですよ(笑)。

-抑圧されたくない感覚に近いんですかね。

矢野信一郎:命令されたり規則に縛られたりする状態がすごく嫌だったと思います。しばらく幼稚園に行きたくなくて、完全に登園拒否にはならなかったんですけど、すごく足が重かった。椅子を円状に並べて先生が真ん中で出席を取るんですけど、入りたてだから名前を呼ばれて「はい」と返事するのではなくて、立って自分で自分の名前を言って座っていくという出席の取り方だった。

それもすごく嫌で、自分で自分の名前を言うのが苦手だった。

-恥ずかしいみたいなことですか?

矢野信一郎:何か違和感。言えないとその場に立たされたりするんですけど、それも嫌だった。だけどある日、急に言えるようになったのも覚えている。だんだんと自分の番が近づいてくるんだけど、自分の番が来る何人か前になりその時は「今日は言える」と思った。言えると思ったら楽しくなってテンションが上がっていた。普通にサッと立って「矢野信一郎です」と名前を言ったんですよ。

先生がびっくりして「あらっ、みんな!信ちゃんが名前を初めて言えました」みたいなことを言ってましたね。こっちは自分に陶酔していて先生のその発言は遠くで「何か言っているなぁ」ぐらいであまり聞いていなくて(笑)。

-急に言えるのも少し不思議ですね。

矢野信一郎:言えてみると、「なぜ、こんな簡単なことができなかったのかな」と思ったりね。

-人にとっては簡単でも当人にとって難しいことはありますよね。

矢野信一郎:そうですね。そして、その時も割といい天気で、空気感や映像を鮮明に覚えている。

『今、自分が考えられることより、もっと面白いことが起こるかもしれない』

5.今後の目標について感じていることを教えて下さい

矢野信一郎:細かいことですけど、発信の仕方として色々とやりたいことはありますね。

-発信の仕方はどう考えているんですか?

矢野信一郎:今は基本的に Instagram で情報をアップしているけど、紙の媒体で瓦版を作りたいなと思う。一人でやっていると展示で手一杯ではあるけど。展示の最中でもお休みの時でも、ワークショップ的なこととかできるといいね。障害を持っている人たちが健常者の人たちに教える、何回かコースで誰かに講義をしてもらったりとかね。

「Goozen の Instagram より(嶋津仁 × 水田茂夫展『オレニハオレノ理由(ワケ)ガアル』)」

今、2023年の1月に火事にあった松本力*7さんの家をパブリックスペースにしたいというので有志で動いています。今年中にどれくらい出来るかなぁぐらいの感じで。

-そのスペースはどこにあるんですか?

矢野信一郎:東京・大田区の馬込の方です。彼も完全にビジョンを固めているわけではなくて、僕らが意見を言ったりしながらなんですけど、展示とか滞在制作とかに使えるといいねって。もちろん、誰かのトークを聴いたり、ライブもできるようにして。

屋上があるので「畑を作って自給自足しようよ」と自分が言っていて。そういう構想は前から自分の中にあって、要するにギャラリーというよりかはギャラリーも含めた、もっとライフ(笑)。そういうのをやりたいなと思っている。

「NORASCOPE, NORACHIKARA / futron」
松本力 website(http://chikara.p1.bindsite.jp/index.html)より

Goozen もギャラリーがありそうにもないところに作って「買い物の帰りに寄ってください」みたいなことを言っていますけど。そういう風に日常に入り込みたい。さらに、生活の色んなことに関わっていくような感じ。

ここのスペースだけではできないかもしれないけれど、力さんがやろうとしていることとかといくつか合わさって、そういう動きができたら面白いなって。そうすると、もっと色々な人が関わってくる。本当に畑をやるなら農家の人の話も聞かなきゃいけないし、そういう考えはあります。

「矢野氏と松本力氏」

-人と人を繋げるのは、矢野さんの活力になっているんですね。

矢野信一郎:そうですね。結局、そこでしか何かが生まれるというのはないような気はします。自分の想像しているものではないところに行くので、全然知らないことが自分に入り込む。今、自分が考えられることより、もっと面白いことが起こるかもしれない。そっちにいくようになんとなく球を投げた方が良いなと、そういうのはあったりします。

-素晴らしいですね。

矢野信一郎:例えばミュージシャンをやっていて「音楽史に名を残したい」とか、やっている以上はそうなんでしょうけど、そこだけを目標にしているとやっぱり苦しくなると思うんですよね。

もっと根本的なことを考えた方が良いと思っていて、僕も「作品をつくらなきゃいけない」と思っていた作家時代から随分と変わりました。根本的なところだけ残ればあとは何でもいい。その状態で、自分が落ち着いた気持ちでいられるなら、それでいいと思うしそれが一番すごいことだと思う。


*7 松本力…絵かき、映像・アニメーション作家であり矢野氏の旧友。


矢野信一郎

– profile –


東京都出身、神奈川県育ち。
イラストレーター、作家活動、数多のアルバイト生活などを経て2022年4月より「障害のある人もない人もさまざまな人が表現する」を掲げたギャラリースペース Goozenを神奈川県、横浜は弘明寺に立ち上げる。現在、障害者施設(グループホーム)でも勤務。
「やりたいことだけをやる」「頑張らない」を実践中。

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