「透明な手紙」
朝な夕な、荒天雪曇りを問わずにポストの中を覗く。見えるのは無機質なアルミの鈍い影と光のみである。けれど、私はポストの底まで腕を伸ばし、四方を手指で探る。ポストの受け口は肘の動きに合わせてカタカタと鳴り、手を抜き取ると紳士淑女のように静まり返った。玄関を開けて微光の差し込む部屋へ戻る。古めかしい文机の一番大きな引き出しの鍵を開ける。そこから漆塗りの文箱を取り出して、柔らかな空気の抵抗を感じながら蓋を開く。そうして、ありもしない手紙を大切なものとして、そっと積み重ねて、文箱をしまう。唾を飲み込んで、一日を始める準備や終える支度に取りかかる。
「サブスクリプション・バク」
夢を取り除くことをコンセプトとしたサービスは、アーリーアダプター層の興味を抜けて、大衆化した。動物のバクをポップなアイコンに据えてサブスクリプション化させたことも大きな要因の一つと言える。夢を取り除いて、内容や重さによって課金額は変化するものの、金額はいつしか些末な問題となり、福利厚生として導入する企業も逓増していった。夢を見ないことによって深く快適な睡眠を手に入れた人々は、日々の疲れを残すことなく、朝早くから夜遅くまで働くことができるようになった。生活や社会は課題を孕みながらも充実していった。除かれた夢は集積されてクラウドに保存されている──そのように公式には発表されている。実のところ、もう起きることのない人々に容量いっぱいまで詰め込まれている。
「安心な街」
ここは安心な街です。人々の心繋がる安心な街です。新月になりましたら、この住宅街はしんとなります。でもどこの家も明かりは煌々と点いております。みんな家に籠って眠った振りをするのです。新月になりましたら、住宅街には影がいっぱい。その影の中を歩む者の姿を見たものはいないのに、みんなが男だと信じているようです。その男は家の明かりを吸い取って消してしまいます。誰も見たものはいないのに、その男は目で、耳で、鼻で、口で、つまりは顔いっぱいで明かりを吸い取ってしまうと信じられているのは不思議なことです。明かりを消された家の人々は「男が過ぎ越した」と一息ついて、そのまま深い眠りに就きます。明かりを点けて、籠っていれば安心です。命の明かりまでは取られない、とみんなが信じているのは不思議なことです。しかし、信じるということが真実を象ることもどうやらあるようです。新月の夜ではない日々には心が安らぎ、街の雰囲気は平時柔らかく配慮のある優しさに包まれています。ですから、ここは安心な街です。
「隣人の隣人」
隣人の笑顔が割れてしまってから、かわいそうなことです。それからというものの、笑顔は隣人の過去を調べ上げて探偵気取りです。気取った探偵は鼻高々の笑顔となっているにも関わらず、たかだか隣人ごときの錠前を外そうとしていて、降り積もる雨はやみません。どうにもしょうかたないことです。かくして、隣人の隣人である私というおじいさんは咳き込んで寺の鐘の音を聞きましたが、笑顔は金継ぎされませんでした。ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・クリスピン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ。
「死者に罪はない」
死者との生活、をスローガンに掲げた海外のベンチャー企業であるA社が世界四大企業の一つと提携した。その企業はVR技術で死者を再生することによって、生者と死者の境界を曖昧にすることを目的としていた。生者の中に記憶される死者の情報を抽出して、企業の保有する死者のデータを統合することで、死者は【生者から見たかつての死者】としてヴァーチャル空間の中に投影される。複数人で用いる場合には各人の記憶をフォルダ別に分離することで、見えている死者は同一であっても、それぞれが見ている死者の姿や性格は若干に異なるという精細さを有した。専用のグラスやコンタクトをつけている間は、その死者がユーザーの傍で視認できる形で生活し、会話するという。死者の人権や倫理的問題は多く孕んだものの、この技術は会いたかった人と再会する善的な名目で活用された。ある会社は「死後もともに豊かな生活」というスローガンを掲げて葬儀屋と提携し、またある会社は「お盆は生者も死者も無礼講」と銘打ち、期間限定の格安サービスを展開させ、サードパーティ・サービスも広がりをみせた。
さて、A社のサービスに追随するように死者VRはサードパーティ・サービスのみならずクローン・サービスも雨後の筍のように拡散していった。その中には死者ではない人を投影させたり、死者への冒涜に近いサービスを含んだりする内容のものもリリースされることがあり、統制が大きな課題となっていた。
そのような統制の整わない時期に行われた犯罪があった。それは死者による生者の殺人という衝撃的なものだ。死者は何度も生者にまたがって、ヴァーチャル空間の中で果物ナイフをユーザーである生者に突き立てた。男はヴァーチャル空間の中で何度もナイフを突き立てられて、そして暴行を加えられた。このサービスでは血は橙色のペンキで表現されていたため、生者はオレンジ色に染まり、死者も跳ね返るペンキに彩られた。
この不可解極まる事件は死者VRサービスの暴走ではなかった。会話のログを見る限りでは、この暴行の一切は生者である男から懇願された故に実行されており、最終的に死者から「お前が自分でナイフを突き立ててみろ」と命令された結果、その生者が実物のナイフで自らを刺して絶命している。
この事件は死者の犯罪であると言われたが、同時に生者の願望でもあった。死を懇願した生者はVR空間の中に作られた部屋の壁に一つのテキストメモを鋲で留めておいた。0バイトにも近い簡素なメモ──そこにはデジタル文字で素っ気なく「死者に罪はない」という言葉だけが残されていた。
※ 最後までお読みくださり、ありがとうございました。遡ってみたら最後に小説を書いたのが2021年だったので、本当に久しぶりに小説を書きました。詩を書いたり、散文を書いたり、AIと対話したり、節操がないコラムですいません。最後に同人即売会で刊行した短編小説集が『爪先に異界』という不穏な作品集だったので、その延長にある作品群として読んでいただければ嬉しいです。皆様、よいお年を!(ヒツジ)
(文章:遠藤ヒツジ)

