「温故知新、Reggae を新たな境地へと」
SHAKARA の発想と音楽観
タイトル:Workin’
※ページ毎にご本人の作品をお聴きになれます
2022年にEP『street nerd』をリリースした Reggae アーティストの SHAKARA さん。
15歳から東京を中心に活動し長年のキャリアで多くのことを感じて、彼を取り巻く状況は変化しているようです。
ニューヨークへの留学中、盟友の Daisuke Kazaoka さんと Grand Ave Records を発足。そこで得た経験を元に作ったミックステープ「PART 2 STYLE MAGAZIN」など、プレイヤーだけではない目線で Reggae を届けてくれています。
取材中、「新しい Reggae を作りたい」という意志が強く感じられました。まだまだ、その過程なのかもしれませんが着実に歩んでいっているようです。
今回は彼の音楽観、考えていること、今までのキャリアの話などを伺いました。SHAKARA さんの音楽への情熱を感じとり読んでみてください。
<インタビュー>
『「Road to レゲエ祭」への応募で15歳ぐらいの時に初めて3曲撮って MIGHTY CROWN に送りました』
1.創作はいつから始められましたか?
SHAKARA:友達同士で書いていただけで曲にして披露してはいないんですけど、歌詞を書き始めたのは13歳ぐらいです。歌い始めたのは15歳ぐらいですね。
SHAKARA:Reggae をやる体で書いていましたね。高校に入ったと同時にイベントなどに行き出して、上野のレゲエ・バー「アイランダース*1」でラバダブをしていました。なので、人前で披露するのは高校に入ってからです。
SHAKARA:そうですね。俺ら世代は湘南乃風の影響があって、それが流行ってカラオケで歌って「これが、Reggae らしいぞ」と。
SHAKARA:「純恋歌」。いや、「睡蓮歌」ぐらいじゃないですかね。また別に横浜スタジアムで横浜レゲエ祭が開催されていて、FIRE BALL*2 の存在があって、こういうのもあるんだと。
SHAKARA:そうですね。小学校の高学年の時に ORANGE RANGE が流行っていて、CD を買ったり TSUTAYA に行って借りたりしていましたね。
SHAKARA:ORANGE RANGE を聴いて「これならば俺でもできるんじゃねぇか」と。やってみて、そうじゃないことには気がつくんですけど。あれもあえて狙って馬鹿っぽい曲を出していたりしていたのかなと。
SHAKARA:逆に「これは出来なさそうだな」と思ったら始めていないと思います。きっかけとしてはとりあえずできるでしょうと(笑)。
Reggae もよくわからないけれど、ジャマイカのボーカルが乗っていないオケに歌詞を乗せればそれで曲になるらしいと。「楽器できなくてもいいんじゃねぇか」、そのハードルの低さがありましたね。
SHAKARA:あとは RIP SLYME も流行っていました。全部ひとくくりに聴いていてジャンルとかなくて。今も一緒に活動していて、ラップやDJをやったり、トラックを作っている Mosvag*3 が中学の同級生なんですけれど、そいつと俺が先頭を走っていた自負があったんですよね。音楽を色々と聴いて TSUTAYA で掘って持ってくる係です。
自分が「RIP SLYME や湘南乃風はやばい」と広めると周りの奴が聴き出すじゃないですか。それが悔しいんですよ。「俺が見つけたのに、なんで自分が見つけた空気になっているの」って。
みんなが聴くと優位性がなくなってヤバいと思って。「これは Reggae らしい、これは HipHop らしいよ」とか Mosvag と言い合ってて「俺は Reggae が好きなんだ」と気がついて。その時に2人で両極端に振り切りにいったんですよ。
SHAKARA:そうですね。「Reggae といえば BobMarley らしいじゃん」って、俺は Reggae が好きだと言い聞かせて、中学生の時に BobMarley を聴いたんですが、良さがわからないんですよ。
うちの母親が洋楽が好きだったので、そこら辺りは一通り聴いたことがあって「BobMarley はまだ分からないと思うよ」とか言われて。
「いやいや、俺は Reggae が好きだから BobMarley もわかる」とか言って、アルバム聴いても全然分からなくて。「やばいぞ。俺 Reggae が好きじゃないかもしれないぞ」と焦ったのを今でも覚えていますね(笑)。
SHAKARA:FIRE BALL など周りも Reggae を聴き始めたので、優位性を保つには俺が Reggae を始めるしかないと。
SHAKARA:最初は本当にそんな感じです。表現がしたかったから、とかじゃなくて。周りよりも一歩進んでたかった。
SHAKARA:背伸びをして気がつけばそこに押し出された感じですね。
SHAKARA:「Road to レゲエ祭」への応募で15歳ぐらいの時に初めて3曲撮って MIGHTY CROWN*4 に送りました。「若い子で送ってきた奴がいる。釈迦楽(以前は漢字表記の名義で活動)という東京の子らしいよ」と当時のユーストリームで MIGHTY CROWN が話してくれた。
SHAKARA:それは自分が凄かったのではなくて、15歳で送るような奴がいなかっただけです。話題のひとつで「こういう若い子もいるんだね」と話してくれたんですけど、それで現場に行ったら「君がこの前、話に挙がっていた子だね」と言ってもらえたりしました。
今も一緒に活動をしている Daisuke Kazaoka*5 は名古屋で Ackee & Saultfish さんの下でやっていて、そのユーストリームを見て「東京にこんな奴がいるんだ」と、「名古屋で同い年でやっています」と連絡をくれて。
SHAKARA:横浜レゲエ祭の前日、会ったこともないのに「泊まるところないんで、泊められたりする?」と連絡が来て…、半端じゃねぇなと(笑)。
SHAKARA:彼が高校を卒業してニューヨークに住んでいて、俺も大学を休学してニューヨークに行きました。ルームシェアを始めて「一緒にレーベルを作ろうか」という話にまで発展しました。
『ブラックカルチャーを面白いと思ったのは、手に入るもので何とか作る姿勢』
2.キャリアを重ねる中での転機はありますか?
SHAKARA:2Face*6 や Gemini*7 と活動を始めて高校の間はみんなでワイワイと楽しくやっていました。その時は「Reggae 以外の音楽はダサい」と思っていました。
SHAKARA:「これが一番かっけぇんだよ!」みたいな、そういう時期です。それで大学に入って少し時間もできて、バイトでお金も稼いで、レコードを買ったり色んな音楽を聴くようになったんですよね。
その時に自分がいままで聴いていたもの、見てきたものはすごく狭かったんだなと。Reggae のシーンが狭いとかではなくて、自分がそこしか見えていなかったんだなって。「音楽ってこんなに色々とあるんだ」と気がつき、とにかくその類の本を読もうと。
音楽史など一から研究しないと「やばい」となりました。大学の図書館にたくさんあったので、ソウルの歴史やディスクガイドを借りてきて、片っ端から聴いていく。Marvin Gaye*8 に関する本も読みましたね。
SHAKARA:ブラックミュージックでしたね。ロックも聴いてみようと思ったのですが、大学生の時はまだわからなかったですね。
SHAKARA:Hip Hop をそこでちゃんと聞いて、「なんだ、この音楽は」と思って。サンプリングをするじゃないですか。俺が聴いていた Soul の曲を全然違う形になってラップをのせている。めちゃくちゃ面白いなと思って。
特に A Tribe Called Quest*9 が衝撃的でした。ラップもたらたらとやっているし「何だ、これ!」と。その衝撃はずっとあって、未だに A Tribe Called Quest が一番好きです。「この人たちはニューヨークの人たちなんだ」と知って、その周りを聴いていくと全て面白くて「ニューヨークはすごいんだ」と。ニューヨークに行こうと思った理由のひとつでもあります。
SHAKARA:そうですね。ナード*10じゃないですけれど、どちらかというと優しい感じです。
SHAKARA:ありがとうございます(笑)。ストリート出身ではないですけれど、ストリートカルチャーはとても好きです。大学のゼミでも、その勉強をしていたし文化として面白いのがあって。
SHAKARA:ありますね。CD、レコードも未だに集めているし、4枚アルバムを出しているアーティストがいたら、1枚目と3枚目と4枚目だけが集まっている状態は絶対イヤなんですよ。2枚目も欲しい。もっというと「1枚アルバムを持っていたら、あと3枚もいくでしょ」という気持ちです(笑)。
全て揃える良さがあるし、アルバムも代表曲だけを聴くのは好きじゃなくて。1曲目から最後までちゃんと聴く。
SHAKARA:そうですね。未だに音楽の聴き方として、そこにはこだわりがあります。アルバムを買って「これがヒット曲なんだな」と切り抜いて聴くこともありますが、頭からケツまでちゃんとアルバムを聴く意識はありますね。
SHAKARA:それです。アルバムがやっぱり一番そこが出るじゃないですか。
SHAKARA:文化人類学です。「興味がある文化を勉強しなさい」と言われていたので、ブラックカルチャーを勉強したいと思って。音楽だけではなくてキング牧師*11やマルコムX*12など、ブラックカルチャーそのものに関する本も読みましたね。
SHAKARA:なんだろうな。ブラックカルチャーを面白いと思ったのは、手に入るもので何とか作る姿勢。楽器を買うんだったら買えばいいんだけど、買えない人たちもいて、「買えないのならどうするか?」と。その限界を感じた時のクリエイティビティが半端じゃない。
SHAKARA:そうですね。Hip Hop も「楽器が弾けないんだったら、元々ある曲を使えばいいじゃん」とか。それ「どういう発想だよ」みたいな。普通に考えてダメでしょ(笑)。
そこには、すごい影響を受けています。「自分が行きたいイベントがなければ、自分でやればいいじゃん」みたいな。
SHAKARA:自分でビートを作り始めたのも自分が歌いたいオケが欲しい。他人任せにしない。そこはブラックカルチャーの影響はあるかもしれないですね。あとは、ちゃんと怒る。
SHAKARA:差別問題もそうですけれど、権利を主張してあきらめないで戦う。
SHAKARA:ちゃんと怒る、権利を主張する、そういうことをすると同じ思いを抱えている人は賛同するし、特に関係がない人も「この人、これだけ怒っているんだから何かあるんじゃないか」と周りの人も思うじゃないですか。そこのエネルギーはすごいと感じますね。
SHAKARA:もちろん、ありますよ。音楽をやっていても「こんな曲が売れているのか…」と思います(笑)。それを受けて、もっとちゃんと作ろうって。「売れそうな曲を作った方が良いのかな」と思ったりするんですけど、それをやったら主張したいことができなくなる。そういう軌道修正をすることもあります。
それを人にぶつけたりはしない。自分でそれをやろうとなります。
SHAKARA:そうです。
*1 アイランダース…1994年に開店した上野・広小路交差点近くのレゲエバー。
*2 FIRE BALL…MIGHTY CROWN に所属するアーティスト同士により結成されたレゲエグループ。2023年現在は活動休止中。
*3 Mosvag…アーティスト、トラックメイカー。 大学時代に通ってた古着屋の催しイベントでDJとして参加したことから音楽活動を始める。
*4 MIGHTY CROWN…世界のレゲエアンバサダー/カルチャーアイコンとして活躍するレゲエサウンド。
*5 Daisuke Kazaoka…アーティスト、コンポーザー。 弾き語りと Live Dub のパフォーマンスにて活動中。
*6 2Face…1994年東京・墨田区生まれの Dancehall Reggae Deejay。UK アンダーグラウンドミュージックを発信するレーベル 『SRAD』に所属。
*7 Gemini…実の双子の兄 2FACE と同じ Dancehall Reggae Deejay。実の兄と千葉出身のSelector KYOYA と共に『Doppelgänger』名義でも活動中。
*8 Marvin Gaye…歴史に名を残すソウル・シンガー。アーバン・ソウルの申し子としてリスペクトされ続けている。
*9 A Tribe Called Quest…アメリカのヒップホップグループ。De La Soul や Jungle Brothers と並んで Native Tongues の中核グループのひとつであった。
*10 ナード…英語圏で用いられる英語のスラングの一つで、ある種の特徴を持った人間の総称。
*11 キング牧師…マーティン・ルーサー・キング牧師。公民権運動の先駆的なリーダーの一人で、1964年にノーベル平和賞を受賞した。
*12 マルコムX…アメリカの黒人差別に対して戦った一人で、イスラム教信仰をもとにしたブラック=ムスリム運動を指導した。
*13 ヤリタミサコ…詩人。ビートやフルクサス、詩とアートの評論、カミングズやギンズバーグの訳詩、ヴィジュアル詩、音声詩など多数の作品を残す。「過去インタビュー」