タイトル:教祖のテーマ
※本人の楽曲を聴きながらインタビューを読めます
『当日、「教祖仮面さんまだ来てないっすよ」と言われて』
4.音楽、創作、表現活動を始めるきっかけを教えて下さい
教祖仮面:大学のサークル勧誘がきっかけで何となく入った。それまでは全然バンドとかをやってないくて、サークルに行ったら盛り上がっちゃって。
「ギターを弾けるようになりたい」と、やりだしたのがきっかけです。
子供の時には、ヤマハ音楽教室に通っていて、ずるずると、全然本気を出さずにここまできました。
教祖仮面は、当時やっていたバンドで「イベントをやります」となった時に、メンバーには内緒で「教祖仮面という人がイベントに出たいと言っているよ」って伝えて。
「では、ぜひ」という流れになり誕生しました。
それでギターも弾かないで、顔も隠すようになって。その時、脚立はまだ使っていないです。
-お面と今の服装でやられていたんですね。教祖仮面の誕生はいつ頃ですか?
教祖仮面:2007年12月。
-メンバーの人には秘密で、当日まで知らさずに?
教祖仮面:話題にも触れずにです。当日、「教祖仮面さんまだ来てないっすよ」と言われて。すごいムッとされて、それは怒るよなって。その時はライブ15分もやっていなくて。
「教祖のテーマ」はその時からあった曲で、当日の朝4時にできたもの。4時間ぐらいでできたのかな。あれを超える制作スピードは未だにないです。追い詰めれば意外とできるんだなって。
-その時もQY100で作られていたんですか?
教祖仮面:外付けキーボードとQY100。
-バンドはその後もしばらくやられていたんですか?
教祖仮面:そうですね、バンドと並行してやっていた。並行というか、今みたいに教祖仮面もガンガンやっていなかった。
-バンドはどういう方向性の音楽だったんですか?
教祖仮面:ちょっとやかましいスリーピース。
-教祖仮面さんは、ギターボーカルだったんですか?
教祖仮面:僕はギターで、ボーカルはベースの人で、自分で作った曲は自分で歌うけど。
-差し支えなければバンド名を伺ってもよろしいですか?
教祖仮面:「台風代々木」。多分検索しても出てこないと思う。
-「台風代々木」はどの辺りのライブハウスに出没していたんですか?
教祖仮面:渋谷CYCLONE、新宿JAM、主にそこですね。終わりの方は四谷OUTBREAKも出演していました。
-2014年〜2015年頃に東池袋でやられているライブ映像をYouTubeで拝見しましたが、その辺りは教祖仮面としての活動がメインになっていたんですか?
教祖仮面:そうですね。バンドがあるんだかないんだかの時期で、その頃はライブ自体をあんまりやっていない。
友達がやっているスタジオで月一とかでライブをしたり、割といい加減だった。今もそうだけど。
あの時は新宿JAMとかで活動していて、CLUB LINERはもっと後だった。
CLUB LINERは2016年に最初に出て、それからだいぶ空いて、その次の「*バーペガ」ですごいお客さんに喜ばれて。
「バーペガ」も結構、ハードルが変わってきている。
*バーペガ…ロックバンド・ハングオーバーのボーカル、古郡翔馬さんが主催するライブイベント、「BARペガサス」の略称。持ち時間15分で、ジャンルを問わず多彩なアーティストが出演。
『8割お金で解決することが、世の中にはかなりある』
5.お金についてどう思いますか
教祖仮面:大事ですよ。8割お金で解決することが、世の中にはかなりある。
-音楽にお金を使ったりしますか?
教祖仮面:ギタリストとかだと、際限なく機材を増やし続けたりするけど、それに比べると少ないかな。
QY100の代替えじゃないけど、ピンチヒッターを探さなきゃとは思う、ハードオフで。製造中止になっていて売っていない。スマートメディアもどこかで入手しなければならない。機材にかかるお金をどんどん減らしていこうと思っています。
『子どもがなりたそうな職業は一通り憧れたよね。プロレスラーとか』
6.音楽をやっていなかったら何をやっていますか
教祖仮面:どこまで遡ればいい?
-もしも、大学の時に音楽活動をされていなかったら。
教祖仮面:変な話、綺麗なフォームでキックができないとか、格闘家になれないとか、野球選手になれないとか、そういうのには何も思わないけど、楽器が弾けないのは嫌だった。これが出来なければすごく嫌だと、一番強く思ったのが楽器だった。
その時、楽器をやれていなかったら、楽器をやれない自分を引きずったまま。
それで人生どうなったかではないけど、そういう心をひきずったまま大金持ちになっていたのかもしれないし。逆かもしれないし。「ああ、俺、楽器弾けないんだ」と思って過ごしている。
-小さい時に抱いた将来の夢、音楽以外にあったりしますか?
教祖仮面:おじいちゃんがお医者さんだった。
だから、医者にしたくてしょうがなかったみたいで、子どもの時から、九九を口頭で復唱させられたりした。何やりたいってのは、その時、その時で。
運転手さんとか、プロレスラーとか、そういうのはあったけど、現実味がなくて、きっと医学部に入ってお医者さんになっていたのかな。子どもがなりたそうな職業は一通り憧れたよね。プロレスラーとか。
-好きなプロレスラーとかいらっしゃるんですか?
教祖仮面:田舎だったんで、新日本プロレスぐらいしかなかった。
タイガーマスクが一番面白かった頃に、3週間遅れに夜中とかにテレビでやっていて。全日本プロレスは、確か土曜日の夕方とかにありましたね。三沢とか好きですね。ただ、みんなが一番面白がっていたやつをリアルタイムで観られなかった。
『アルインコ。何社か比べたわけじゃないけど、ここは比較的汚れにくいですね』
7.表現形式に関するこだわりを教えてください
教祖仮面:これはもう完全に成り行き。転換ライブとかでお立ち台で脚立を使っていた。いつの間にか「脚立の人」って呼ばれだして。
-最初は脚立を駆使するパフォーマンスではなかったんですか?
教祖仮面:フロアでライブをやっていて、人が近いから脚立を駆使できなかった。足を伸ばしたりするとぶつかる。動きなど、大概は思いつきでやっています。
-本職は庭師をやられているんですか?
教祖仮面:はい、そうですね。庭師は脚立をあんな使い方しない。あんな使い方をすると怒られる。
-脚立を今何台ぐらい持っているんですか?
教祖仮面:今ので4代目。初代と2代目は仕事用になった。ライブでボロくなったら仕事に使う。仕事じゃ使えないぐらいボロくなることもあるけど。
-仕事用で使えなくなったらライブ用にすると勝手に思っていました。
ちなみに脚立のメーカーはいくつか存在するんですか?
教祖仮面:*アルインコ。何社か比べたわけじゃないけど、ここは比較的汚れにくいですね。
「伸縮はしご兼用脚立」をたまたま持っていて、私物で所有していたから、それを使おうとなった。普通の脚立だったら、色々、変わっていたのかもしれない。あの脚立は、乗用車の横に積めるという利点もあります。
*アルインコ…大阪府大阪市中央区高麗橋に本社を置く企業。
-脚立を含めたパフォーマンスの練習は普段されますか?
教祖仮面:乗ったり降りたりしている。踏み台を昇降。立て続けにライブをやっていると身体が怪しいなと思う時があって、そう感じたら、昇ったり降りたりするようにしている。
-スタジオに入ってやられたりするんですか?
教祖仮面:夜の河川敷。誰もいないところで。
-あのパフォーマンスには、バランス感覚だったり運動神経が必要と思うんですが、その辺の感触はいかがですか?
教祖仮面:自分はとりわけ身体能力が高いというわけではない。乗り慣れていたら、言っちゃえば、誰でもできる。
あのパフォーマンスを劇団四季の人たちが取り入れたら絶対に敵わない。身体能力の高い人達にやられたら、白旗を上げるしかない。
-大切なのは度胸なんですね。昇って足を離して、脚立の頂点スレスレで着地するのはすごいスリリングだなって。
教祖仮面:毎回成功するわけではないしね、失敗もする。普通に棒立ちで歌うと手持ち無沙汰なんですよ。ギターをやっていたから、歌う他に何かやっていないと落ち着かない。それがプラスになりました。