第1回 橋本ハム太郎の大阪の幼稚園では「儲かってまっか」「ぼちぼちでんな」と挨拶していることを東京人は知らないの巻
はじめまして。ボウガイズというヒップホップユニットでDJをしている橋本ハム太郎と申します。DJ、と名乗りましたが、DJ以外にも映像制作なんかも行っており、というよりどちらかというとそっちのが本職で、DJは再生ボタンと停止ボタンを交互に押すくらいしかできないのですが映像の方ではボウガイズの他にitaq、uyuniといったラッパーのMVを撮っており、他にも色々撮っていますが、でも今は少しお休み中、というまあ要は特に何もしていない人がわたしです。趣味は読書、映画鑑賞、メンズエステ通いで、同じ誕生日の有名人は夏目漱石とドストエフスキーと木村祐一とkjがおりまして、わたしの生まれた日に手塚治虫が亡くなっております。
今回は連載1回目ということもあり、自己紹介を兼ねた文章を書こうと思います。まず出身は兵庫県の神戸市で、生まれこそ横浜ですが、4歳の時に神戸に引っ越して以来ずっと神戸っ子、というわけでもなく、引っ越してすぐに阪神淡路大震災に被災してしまって一時的に父親の実家がある大阪府堺市に転居していた時期があり、そこで「堺市学童集団食中毒事件」に遭い母親のインタビューが全国ニュースに流れた後すぐに神戸に戻り、戻れば酒鬼薔薇聖斗こと少年A事件が隣りの校区で起こりまして、家から一歩も出られない生活をしばらく送っているうちにTVゲームをやりすぎたため視力を悪くしたのが小学校2年生の時でした。
その後、中学受験をして関西学院中学部に入学し、tofubeatsの1学年先輩として中・高・大をエスカレートで過ごしました。大学は勉強熱心だったため5年ほど通い、卒業後は魚屋に就職。早朝に市場を駆け回る生活を1年ほど送りましたが向いていないということで系列の三重県にある水産加工工場に左遷され、ブラジル人たちと一緒に魚の缶詰商品などを作る仕事に従事する日々を25歳まで過ごしました。
それで、そのまま三重県に住み続ける人生プランもありえましたが、思い立って上京し東京は浅草の吉原に居を構えます。上京してからは主にクスリの売買に携わり生計を立てながらDJや映像制作などを本格的に開始し、創さんなどと知り合い、現在は赤羽でヒモ生活を送るに至った、というのがわたしのざっとしたプロフィールでございます。
というわけで(ここから敬語やめる)、25歳まで関西弁圏内でずっと生活をしてきたので当然わたしは関西弁話者なわけだが、最近何人かから関東出身だと思われていた事例が続きなんでやねんと思ったということを今日は書こうと思う。
さて、生粋の関西人のわたしがなぜ関東人と思われたのか、だが、よくよく考えるとその勘違いした人たちとわたしはほとんど長くお話をしたことがなく、かつ向こうが年上なのでこっちはずっと敬語で話していて、そりゃ分からんのもしょうがないかと。もちろん敬語といってもちゃんと聞いてもらえればイントネーションではっきり関西弁が出ているはずなので、ちゃんと聞けば分かるように思うのだがちゃんと聞いていないので致し方ない。さらにわたしの容姿や振る舞いがシュッとしているため、関西人=ガサツというイメージとそぐわない、という面もある。しかし、そのような関西人のイメージというのはどこから来たのか。
わたしは関西にいたときに一度も東京の人と間違えられたことがないし、関西らしくないなどと言われたこともない。だが、わたしが例えば「ホンマでっか」とか「儲かってまっか」といったコテコテの分かりやすい関西弁を使うかといえば答えはNOである(面白いので今度から「儲かってまっか」と挨拶してみようかと思うが)。
だいたいそのようなホンマでっか的、いわゆる明石家さんま的関西弁は、まあ東京でいえば江戸落語の言葉遣いに近い、といえば一番ピンと来てもらえるかと思うが、つまりあんな喋り方の奴ストリートにはいませんよというわけで、あと関ジャニの村上の喋り方。あれも嘘で、東京向けの関西弁キャラの関西弁であり、違和感しかない。
もちろんあんな喋り方の人も、いる。いるにはいるが、まあそういう人は少なく見積もって80歳以上である。しかし東京に来て変に大阪を意識しすぎて言葉が崩れた馬鹿が、その80歳以上の使う関西弁を急に使いだす。やっぱりスカイツリーより通天閣でんな、とか言うのである(流石にそんな奴はいないか)。しかしそれに近い。こういう無駄に大阪を意識した馬鹿が東京に来ているせいで東京の人たち(もちろん蛇足情報にはなるが東京にいる人たちのほとんどは「地方の人たち」でもあるわけだが)が関西の人は本当にこういう喋り方をするんだ、と間違った情報をインプットされるのでわたしのようなプレーンな関西弁話者が逆に関東っぽいと間違われてしまうことになる。
この変にコテコテした関西弁を、上京したアホ関西人がこぞって使いたがるのはやはり大阪vs東京という構図を意識しているからに異ならない。昔、家族で所用があり東京に来た際、祖父がお店で料理が出てくるのが遅いという理由で「大阪やったらどつきあいやぞ」と店員にキレたことがあったが、あれなんかもうイヤになるくらいアホ関西人の典型で、確かに料理が出てくるのは遅かったが、なぜそこで「大阪やったら」という言葉を付け加えたのかというと、祖父が勝手に「舐められてる」と思っていたからである。
当然、お店は関西人だからという理由で料理を出さなかったわけはないのだが(おそらく。もしかしたら関西人嫌いのコックだった可能性もあり)、とにかくこっちは大阪vs東京という対立構造を意識して上京しているのだから、なにかやられた際には大阪代表という看板を(勝手に)背負って東京に立ち向かう。しかし、祖父はそもそも福井県出身で大人になってから大阪に出てきた人だから大阪代表でもないのである。
というわけで、上京してきた関西人というのは看板を背負うか外すかのどちらかを迫られがちなわけだが、それは関西人が勝手にやっていることで、東京はそんなことまったく気にしていない。関西人のその変な自意識は、かつて都のあった関西が、今や経済でも文化の面でも大きく東京に離されてしまったことによるコンプレックスの裏返しにすぎない。昔、関西ローカルのなにかの番組で、東京の女の子の好きな男性の1位が「優しい人」であったのに対し、大阪の女の子が「ツッコミのうまい人」を1位にしていたことがあったが、あれは東京の1位を先に見せている状態でのアンケートだったので、大阪への「忖度」が反映された結果に過ぎないのではないかと思ったことがある。どう考えても大阪でも優しい人がいちばんモテる。フットボールアワーの後藤やダイアンの津田を好きだと言っている女の子を見たことがない。しかし、そのへんの女の子ですら、妙に東京を意識している自意識を持っているのが問題なのではないか。
地元を愛する気持ちをわたしは否定するつもりはないし(わたしだって神戸が大好きである)、上京したからといって言葉遣いや風習を東京風に直す必要もないと思う。だが、過剰に意識をし、結果的に元々のものや本来のものとは違うものになってしまっている。その対抗意識が、結果的に大阪を歪なものとしている。今、大阪で断トツの支持率を得ている大阪維新なんかを見ていると、そんな大阪人のコンプレックスを刺激した非常に巧みなやり口に見える(そういえば東京都知事は「兵庫県出身」の小池百合子だが、彼女の上昇志向を満たすのは、やはり地元ではなく「東京」なのだろうと思う)。
だいたい、世間では「関西」と簡単に一括りにされがちだが、大阪と神戸をあんまり一緒にしないでほしいと個人的には思う。あまり大阪と神戸を一緒にしないでほしい。まったく別なので。大阪と神戸は違う。
以上、眠くなってきたので今日はこのくらいにしといたるわ。
次回:第1回 橋本ハム太郎の光宙(ピカチュウ)君という名前はやたらと馬鹿にされるがじゃあ白竜という名前の役者はどうなんだの巻