「2011年3月11日」のことを思い起こす
〇 はじめに
今回は私の詩を交えて、東日本大震災にまつわる私のことを話してみようと思う。あくまで私のことだ。公的な情報を元に何かを断言したり提言したりはできない。あくまで個人的なこととして連載の場をお借りする。
私は東日本大震災を契機として詩を3編書いている。その3編を載せるので随分長いコラムになってしまうが、とりあえず進めてみたいと思う。
詩「怪物たち」(2011年)
glas! glas!
罪の地下の蛇が這い回る
グラッ! グラッ!
建物の二階から逃げ出して
まだ笑っていた
余震ではなかった
同時多発の地の震え
振動があった
目まい……
〈爆発 的 現象〉
(宮城の影響……全てが飲み込まれて聴こえてくる泣き声 電柱が折れ 危ないよ! の掛け声 坂の下まで怪物が迫ってきている)
〈原発〉
〈三月一二日 六時三六分
地震の報とともに
死の一七〇〇の報が〉
空が、沈殿して
空中に交わる電波
波は 大波は
油が混じった闇の水として
夥しい物々を 飲み込んでいった
怪物は神からやってきた
怪物は神からやってきた
部屋は水道管が破裂し、行き場所は失われた
『大洪水』を携えている
ル・クレジオの……文字の大洪水
〈一週間続く余震〉
汐の死の報(吉増さん……詩とは、
僕のしていることは
太田先生
僕のしていることは
書いている詩は正しいですか?) 詩が書けない
友人と話した記憶
グラスが割れる
水面を覆った人工の皮膚病から
泥が 泥が
泥のように眠れた……僕は家に帰れました
M・eight・eight――史上最大の怪物が揺れている
都市は失はれた
明は滅す 火も断たれ 水も断たれる
全てが壊滅していて
宮城! 怪物は
神が送ったのですか?
神の感情は 喜怒哀楽のどれですか?
悪夢から 私は逃れて今、書いています
悪夢にいる人々に
怪物に喰われた人々に
私は何ができるのか
夢想は打ち砕かれた
エスエヌエスでの原発を止めろ
という友人の発言に現実を感じる
友人は現実を生きている
私は現実を生きている
私の書いているこれは現実を生きていない
黒田潔と古川日出男の「舗装道路の消えた世界」が予言されている
『サウンド・トラック』
soundtrack――nearly stationary
夢のよーに穏やかな時から
夢の列車で現実に帰ってゆける
現実に帰ってきて
湯を浴び眠った
夢のよーな睡眠だった
人工の怪物は凍結から逃れる
人工の怪物の拡大は続く
sanからju sanからju
枝の先から発される媒体言語
「予想の範囲内」
「爆発的事象」→不吉な疑わしい報
「放射能物質の混じった雨が降る!」
サササササ
報が人々を混乱させる
juからniju juからniju!
風向き ポスト・ヒーニーは
新しい天候をどう読むか
まどっている 冷静な意見はためになる
私は冷静に見ていられる
「情報公開が必要だと」
しかし、
その意見がどれほどその場の状況を考えていないか
おそらく私は間違っている
死者は一七〇〇人 書きたくない数
冷静と現場に大きな相違がある
構築は脱されているのではなく
構築は崩されている
沈黙
被曝!
皮に爆弾を抱える抱える 刑事の殉職
san名
1と1と1
放射能を人工の怪物は吐いているのか?
AtoM? 君は……
一瞬の孤独にも耐えられない言葉たちが孤独を強いられる
長女だけ見つけました
私の家族は無事でした
だから全ての言葉が胸を打つのかも知れない
それは私にも分かりません
〇 詩「怪物たち」について
私は震災当日、千葉県にいた。大学卒業間近であって、入社が決まっていた会社の打ち合わせ・顔合わせがあったためだ。被災のため東京へ帰ることができず、同期社員とともに会社の方にお世話になって、一晩を過ごした。そして翌朝から動き出した電車で無事に帰宅できた。東京にいた家族はみな無事で、シャワーを浴びて眠った後に、茫然とテレビを見続けた。そして3月13日、突如乱暴にノートに詩を書きつけた。詩とも呼べない代物だったと思うが、私はそれを今では詩と呼ぶ。後日清書されたものがこの「怪物たち」だ。
詩「誤読の青猫」
では一時間半で帰ってくるよ――
グラグラ揺れる車内で乗客は疲れと惑いに目を瞬かせていた 私も夢中に逗まる心地して過ぎる風景を追っていたが ふと左に腰掛けている少年が大きな青猫であることに気づいた 青猫は私と同じように 朝の光に塗れている風景に目をやっていた
らっこの上着が来るよ――
しばらく青猫も私も無口を守った 車内の他の人々も無口を守った しかし私が口を割ることになった
――君もどこからか帰ってきたのか
青猫は大きな猫目を私に向けて語りかけてきた
――僕は僕たち一緒に行こうねえって言ったんだ でも応えてはくれなかった ただ幸のことばかりに頷いていたよ
――君もではやはり帰ってきたのか 一晩をどこかで過ごせたのか
――厭 僕はずっと乗っていたさ ずっと乗っていこうとしていたさ だって あのそらは冷いなんてとても思えなかったんだ
みんなは、一ぺんに下りて、車室の中はがらんとなってしまいました――
――あの夜は楽しかったさ それでもって辛かったさ
――私はあの午後からずっと足止めをされてしまって それで朝明けから やっと動き出したこの電車に乗っている
――僕にこう話しをさせるのは何だろう
――私をこの日に引き戻して語らせるのは何のためだろう
――僕はきっと誤読された少年だよ 誤読された青猫だよ
――そうだろう 君はきっと誤読を承知の上で話しをさせられている
――うん……誤読なる僕からの告白が許されるなら あの夜 僕は友達の赤猫がいなくなるのが耐えられなかった それだから僕は赤猫に追っついてあんな夜を過ごしたんだよ
――うん
――でも僕が一緒に行くことを赤猫は許してくれなかったよ だって赤猫は本当の幸を望んでいたから
私は青猫の告白が辛かった 青猫が涙ぐむのではないかと思い胸がつまった だが青猫はしかと目を開いて 俯きもせず話し続けた
――僕だって分かっていたよ 僕にとって本当の幸は行って帰ることなんだって 行ってしまっても帰ってくることなんだって だから僕はミルクを取りに行ったんだよ
私は詩人を知っている この詩人は二〇一三年六月から私達を白紙に写しだして こうして語らせている 私の胸を詰まらせようと
青猫から残酷な言葉を吐かせるのだ
――ミルクを取りに行ったのさ お父さんの帰還する噂も風にのせて聞いたさ 僕は、帰ってきたさ お兄さんは帰っている?
違うね、お兄さんは帰っていないよ 僕があの夜の鉄道に逃げ込んだように お兄さんもこの電車に揺られて 逃げこむんだ
お兄さんは 実家でテレビ画面を通して 被災地を見るんだ
お兄さんは これから始まる社会人の忙しない日々を理由に この日を忘れるんだ
お兄さんは 逃げ込んだ先で現実を詩にして封じ込めるんだ 誰かが僕に話させるんだ お兄さんは二〇一一年三月一二日から三日をかけて 三一一について怒りと惑いの詩を書いて まるでフィクショナルな その詩を封印してしまう
お兄さん
お兄さんは いつミルクを取りに帰るの?
お兄さんの 一時間半って――何時間?
辛く 目頭を抑えて 青猫の問いかけに応えられずにいると やがて降車駅へと至る 青猫の姿は消えてしまった……
これは経験された予言だが
私は自宅で泥のように眠るだろう
そして震災に固く封をするために
詩をしたためる 私は――詩人は
〇 詩「誤読の青猫」について
この詩は2014年頃に書いて、同年『白亜紀142号』に発表した。有名な宮沢賢治の童話をモチーフにしている点、震災記である点、会話体で理解しやすい点から朗読でも時折読むことがある。
その時期、私は被災当時にお世話になっていた会社を辞めて、半年ほどボウっとしていた。就職先なども探していたが、基本的には人生の隙間と呼べるような時間だったと思う。「誤読の青猫」という詩には先述したとおり宮沢賢治の童話「銀河鉄道の夜」の主人公ジョバンニが登場する。詩の舞台は電車の車内で、話者とジョバンニが隣り合って座っている。この電車は震災直後、朝方にようやく動き出したもので、話者とジョバンニは会話をする。ジョバンニは銀河鉄道からしっかり帰ってきたことを語り、話者に問いかける。その問いかけは糾弾に近い。私が震災直後から仕事を理由に震災を“忘れた”ことに対してジョバンニを媒介に詩を書く私自身に問いかける詩――。
私はこの詩が書けたことを悪いことだとは思わない――しかし都合がよいとは思うことがある。
詩「はげしいゆりかご」
非在のレールに乗っかって
進みゆく幻想汽車
ゆれるふれるくずれる
羊の眠りを妨げて
ゆれるふれるくずれる
追われて崩れた詩体の
眼窩より空道であった唇より
耳道より草花よ群生し
時の番人たる熊さん日の下で鮭を喰らう我らの大罪を罰せよ
手は曼珠沙華なれ
数多の詩体がそのようであれ
(空から降るという全能感)
詩の身体の山積するを
自我を捨てもうはや
自然の野へ返れ(環にきちんと入れよ)
名もない――(言葉を忘れて)――獣へ立ち帰れ
(もうはや、私の管理権は失われたから)
獣らしい言葉で書くしかないわけだ!
静かにseeeeeeeeee
土に休め
我を捨て
自然に帰れ
管理権を放棄せよ
(文字が水浸しになってしまったのだから――)
たしかにもう半分はレールに乗っかった
幻想汽車に乗車したのだから
自然の野よ
優しく
はげしいゆりかごから白い
純白の!
無二の!
幼い
詩
の魂が転げたら
優しく
やさしく受けとめてくれ
祈りだ 全き祈りだから
熊もいつか大罪を許して
滞在を許して
森の奥へその姿を
消失させる
(おやすみ)
(おやすみ)
ゆれるふれるくずれる
せめて幼い詩体の眠りは安らかであれ
ゆれるふれるくずれる
優しき詩体の降り積もる上で 優しく
ああ天球体
あなたが転じるならば
その大きな舌(シタ・シタ・シタタ・ル・シタ・タタル)
が世界の音楽をどうどうと
呑み込んでしまった
それは
虹の根を食べ尽した
ものの責任です
(ああ確かにそうです)
ああ そうか、
虹が倒れたので
舌が一切の言葉なく
音楽なく
慈悲なく
(クマさんの蹄が容易に肉を裂くごとく)
一切合切を呑み込んでいって
ああ しかし こんな
週末に書いた詩にも
救済は訪れるだろう
クマさんが大罪を赦し
森に帰るように
獰猛な舌もやがてその唸りをおさめるでしょう!
体に川の巡る時よ、来りませ
叫ぶ者に励ます者が来りませ
沈黙と暗示も来りませ
詩の数多身体の殻が
山々の悼む波々(山波・地層の皺も波のごと)
はげしいゆりかごから転げた白い詩体を
その柔らかい華と草花で
詩の体を包みませ
来りませ来りませ来りませ来りませ
来りますことを祈る
幻想の内に
未来の詩者は身体を
優しく揺らしませ
*
(幻想汽車に乗れたなら
せめて足を伸ばし心地豊かに
柔らかな詩体として終着できますように
来りませ全能感 日の下に
日の下に全能感 来りませ
管理権を奪われた弱さがゆりかごを
優しく揺らしませ)
〇 詩「はげしいゆりかご」について
この詩は自分の中で震災の区切りという感覚で書いた記憶があって――と書いて、そのことに嫌気がさす。まだ復興が成しえていない、とテレビの報道を見れば瞬間的に感じるのに、自分の中では勝手に境界線を引いて次に行こうとしている。この詩は今年の3月11日14時45分にYoutube上に朗読動画をアップした。リンクを貼っておく。
(https://www.youtube.com/watch?v=2vV8Dp-tIpk&t=244s)
「はげしいゆりかご」は2015~16年頃に書いていて、大きな振動に揺さぶられた魂に優しいゆりかごを与えてほしいという希望を書いたものだ。詩体(したい)という造語が2021年現在の私にとっては違和感があるけれど、それでも当時の私が必死に書いたものを否定はしない。
〇 2011年3月11日を思い起こす
2011年3月11日――この日を忘れる人はいないだろう。と思いたいが断言はできない。
たとえば100年後、日本国がなお続いていたとして、この日が大切な日であったと歴史に刻まれたとして、教科書に載っていたとして、自らが経験していないことを忘れないということは可能だろうか。
そして私が年老いたときにこの日のことを忘れないのか――詩をもって区切りをつけようと考えていた私には自信がない。
私は毎年、3月11日が近づく度にそんな風に東日本大震災を思い出す。そして、心に疑問を抱える。その疑問は「都合よく思い出す自分への詰問」に他ならない。
〇 2021年3月11日のこと
先ほどの自作動画とは別に、2021年3月11日に公開された一本の動画を紹介したい。映像作家の河合宏樹さんが公開した朗読劇「コロナ時代の銀河」。このリンクから全編観ることができる。(https://www.youtube.com/watch?v=X_I1SCNECTc&t=1055s)
朗読劇『銀河鉄道の夜』は東日本大震災後、小説家の古川日出男さん・詩人の菅啓次郎さん・音楽家の小島ケイタニーラヴさんを中心に2011年12月24日に初演され、後に翻訳家の柴田元幸も出演メンバーに加わった。公演はこの10年で多く行なわれ、私は2020年に東京で初観覧する予定であったが新型コロナウイルス感染症の影響でやむなく中止となってしまった。
今年は本動画が公開され、本屋B&Bで主要関係者によるトークイベントが催された。トークイベントでは朗読劇にまつわるエピソードの他、朗読劇も配信されて充実のイベントであった。
質問の時間があり、私はこんなことをその日の出演者へ問いかけた。
「震災があった日になると、当時のことを思い出し祈ってしまう自分の都合のよさに嫌気がさすことがあります。皆さんにとって忘れないとはどのようなことですか」
答えのないことに、出演者のそれぞれが真摯に答えてくれた。私はその答えを聞きながら、泣いていた。身勝手な涙だと思う。それぞれの言葉を一言一句受け止めて、明日へ力強く踏み出せない自分を慰めるための涙だと思う。福島のことを思いながら、同時に私自身の過去を含んで心を慰めようとする行為。
これを善悪で断じることはできない。私はどちらでもあるから。
〇 最後に
生活にも小さな選択肢がたくさんあって、のんびりしている私でも忙しない時間には体の処理速度をあげるようにどんどん気分や状況に合わせてあらゆるものを選択していく。
震災に対する私の思いだってそうだ。今はこのように書いているが、10年前の自分はもしかしたらもっと違う感情を抱いていたのに忘れているのかも知れない。10年後のまだ見ない自分はもっと別の行動をとっているかもしれない。
貫くものがない自分に打ちひしがれてしまう時に、思い出す詩がある。これも宮沢賢治。「小岩井農場」の末尾だ。
もうけっしてさびしくはない
なんべんさびしくないと云ったとこで
またさびしくなるのはきまってゐる
けれどもここはこれでいいのだ
すべてさびしさとかなしさとを焚いて
ひとは透明な軌道をすすむ
人は揺れていい。逡巡していい。迷っていい。戻っていい。忘れて生活してもいい。でも思い起こす心だけは捨てない。不誠実だと言われても、今の私はここにあって、これでいい、と記す。
2011年3月11日から10年を過ぎて幾日の春の嵐吹く東京の夜。福島県の復興を、心を迷わせつつ祈っていることを――記します。
自らへの返詩「被災についての私信(2021.3.21→2011.3.11)」
断言とは力に溢れ勇猛果敢
握力の弱い私はか細い声を断たない
時空に断層ができている
裂け目に反響する風は巨大なホルンの音
身勝手に流れた、と書いて
ひどい心地の悪さを覚える
流されてしまったのだ 不意に涙が
書きつけてしまったのだ 乱暴にノートへ
過去にとらわれないように
置き去りにはしないように
私は地べたを踏む時の
足の裏の影のことを思い起こす
思い起こす
寸分違わない再生ではなく
今日の心身と向き合うための記憶
だから、今日でなければ気づけなかった
十年間気づけなかったことに気づいた
私も被災者であった
程度こそあれ私は千葉で被災した
それなのに何故、私は対岸にいたのだろうか
気づき直す――そのために何度でも思い起こす
行って帰ってくることを幾度でも云い聞かせる
「私は断言によって
自らに線をひかない」
(文章:遠藤ヒツジ)
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