第10編

オカワダアキナ『ミントマイナスマイナス』

作家活動をしていくなかで個人の作品をどこに発表するか、という選択は重要だと思う。
紙書籍(同人誌、個人誌、自費出版等々)、電子書籍、投稿サイト、SNS……多くのサービスがあることは私が書くまでもないだろう。
私は紙書籍をベースに同人即売会に出展し、同時にKDP(Kindle Direct Publishing)の電子書籍サービスを併用するといった具合で媒体を使い分けている。KDPは無料キャンペーンなどを行なえるため、作家としての活動を無料でまずは全国の読者に見てもらえる利点がある。また、このコラムももちろんのこと、重要な表現の場所だ。

同人即売会に行くと様々な個性ある書籍が手に入る。内容が尖っていて装丁はコピー本なものもあれば、重厚な装丁に惹かれてジャケ買いしてみればライトな青春小説の世界が拡がっていることもあり、出会いは時の運、読書を楽しめるかは相性に依る。

そんな同人即売会を縁にお会いしたオカワダアキナさんは本づくりも小説も巧みにして楽しませる作家で、私自身いつも楽しく学ばされることが多い。
今回ご紹介したい小説『ミントマイナスマイナス』はぜひ書籍で手に取って、まずはカバー紙の手触りの良さを知ってもらいたい。(蓮見重彦『伯爵夫人』(ハードカバー版)、今福龍太『書物変身譚』、それから選挙の投票用紙に触れたときの感動を思い出す)
馬鹿なことを書いているが、心地よい紙に触れる幸福を共有したいので、このコラムを通して入手してくれる方が増えるよう頑張って書いていこう。(いつも頑張って書いてるけれど)
下記のサイトより購入できる。(他にもありましたら申し訳ございません)

【購入先① BOOTH

【購入先② 犬と街灯 online store

まずはあらすじを「犬と街灯online store」より引用させていただきたい。


“誰かの妻ではなく、母親でもなく、恋人でもなく、打ち込むべき仕事も持たないが、孤独ではないし、好きなものも多少ある……。50代レズビアンの「わたし」。旧友とその娘が始めた古着屋を手伝うことになった。”


本作は〈母のことをママ氏と呼ぶようになったのはいつからだったか、もうだいぶ長いと思う〉という印象的な一文から始まる。ママについて記述した冒頭といえば、カミュ『異邦人』の〈今日、ママンが死んだ〉(窪田啓作訳)が想起される。主人公のムルソーは無意識下の変化と身体の無変化の軋轢によって犯罪を起こした(と私は読んでいる)と思うが、本作は日常の複雑に絡み合う事々の中で緩やかな変化を起こす。

主人公のわたしは老齢のママ氏と共に住み、物流倉庫でドローンによる積込・配送を担当している。その一方、旧友の余田と余田の娘・ゆめあの始めた古着屋を手伝いながら日常に従事する。
主人公のわたしは夢を持たない。若い頃には誰もが夢見た「野球選手になりたい」とか「ケーキ屋さんになりたい」とかそういう類のもの。あるいは、レズビアンとして「パートナーが欲しい」と強く望むこともなく、「同性」のための制度改革を叫ぶこともない。
日々が日々としてあり、(時には嫌な気分の日もありながら)緩やかに過ぎるところにもドラマが確かにある。
ドラマや小説、と聞けば私のような浅学な者は強い刺激も求める。まさにドラマチックな展開を求めようとするし、私自身の表現も読者を意識してそのような展開に持ち込もうとしてしまう。
しかし、本小説はさりげなくBGMの音量を上げるような―――ジャズ喫茶の趣で――ドラマチックな展開を緩やかに繰り広げていく。シームレスにして平静、しかしこの物語の質量・熱量は何にも増して濃い。そもそも、ドラマチックな展開を大胆に用いず、人々へ読ませていくのは筆力・物語る力の強靭さ故に他ならない。

また、小説内のマクガフィンも配置も巧みだ。
自らが住む団地とコンテナの積まれた様子に類似性を見いだし、コンテナを欲しがる余田と、物流倉庫で働くこと。BROCKHAMPTON というボーイバンド(ゲイのバンド、と称してよいだろうか)によるバンド内の恋愛関係と、語り手であるわたしの一人にはなりきれない孤独。
髪を染めることと友人の娘とするキスに因果関係を求めようとしたら〈おまえのそれとわたしのこれはなんの関係もねえから〉と突っぱねられてしまいそうだが、小説を読み進めていくうちにこれらの要素が静かに噛み合っていく快感は何物にも代えがたい。

静かに見えるモブみたいな日常――でも(私も今読んでくださるあなたも)一人一人に平熱程度のドラマは必ず潜んでいて、夢や野望や目的だけに向かって物語が車輪を回すのではないことに気づかされる。日々に忙殺されてくるくると同じような日常を過ごしていると勘違いしてしまいそうになるけれど、少し過去を振り返ってみるだけでも、人生というのはこんなにも緩やかに変遷している。
ドラマチックではないドラマがあって、それを掬い上げて人々の目に楽しく届ける小説、という大切な人間の仕事を見せてもらった一作でした。人間の仕事、というのは何ともおかしい表現と笑われてしまうと思うけれど、いまの私にはそうとしか表現できない。
オカワダさんはウェブ上でも色々な媒体で作品を発表しているので、そちらから触れてみるのもオススメです。
皆様、ぜひお読みください。

最後に、小さなファンレターとしてのお返誌を BROCKHAMPTON の「If You Pray Right」に心奪われながら。

詩「中程度」

望む一日ではなかったと
布団にもぐり目をつむる

今日は本当なら
夜明け前のジョギングとストレッチ
シャワーを浴びてグラノーラなど食べつつ
昼からはロックフェスの配信観ながら
原稿を終わらせる日だった
なのに昼過ぎに起きて
ゲームアプリなどしていたら
もう夕方で
聴きなれたゲーム配信を
流し見するばかり

もっと完全な一日もあっていいはずだ
ロックフェスに出る自分が
いたっていいはずだった
ゲームの主人公とはいえなくとも
小説の主人公くらいの日常を
望む一日としてもよいはずなのに

そこへ行き着かないのは
想像力の欠如?
ううん、
ゆるやかな
日常の
甘受

ポルノグラフティの歌ったように
マイケルにはなれなかったし
「幸せについて本気出して考えてみた」こともなかった
ユーチューブにあの名曲は
ショートバージョンしかないんだ
だからベストアルバムをダウンロード購入して
もう夕陽も仕事終わり

夕食にはようやくロックフェスを見始めた
かつての青春が鳴っているように見えたが
鳴らしているのは
もう生ける伝説の
熟年プレイヤーの
ギター&ボーカルのお前
イカの燻製が
この夜と音楽に良く似合う

望む一日ではなかったと
布団にもぐり目をつむる

しかし、悪い日ではなかった
中程度の休日にも
最高の平日にも
等しく明日が来ることは
希望か怠惰か

真夏の夜
夢の映写機が回りだして
安眠へとゆるやかに落ちていく
夕陽が向こう側で仕事する間に


(文章:遠藤ヒツジ)

前編:Pさん「シン・小説」
次編:小川三郎『あかむらさき』

『光よりおそい散歩』

 


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