Dragon Chop

タイトル:

※本人の楽曲を聴きながらインタビューを読めます

『そういう時はなめられないように唸らなきゃいけないわけです。そこで唸るパワーを Reggae からもらいましたね』

5.音楽はいつから始められたのでしょうか

-音楽活動を始められたきっかけは何でしょうか?

Dragon Chop:大学1年生の時のバイト先の3つ上に田島さんという先輩がいたんですよ。田島さんはクラブが好きで「クラブ行こうぜ」って。大学1年生の僕は「クラブっすか!?」と行くわけですよ。ミッドナイトの渋谷 Harlem に Ryo the Skywalker がその時に来ていて。僕は Japanese Reggae を知らなくて、湘南乃風すら聴いていなかった。そもそも Reggae のイベントかどうかも知らなかった。

でも、高校生の時にブラックミュージックを聞いてたから、「爆音で音楽聴けるのか」とか「お姉さんもいっぱいいるし酒も飲めるのか…。うおぉ、いくしかねぇ!」と行ってみたんですよね。そしたら、なかなか面白くて。だけど、あれですね、眠かったですね。超眠かった(笑)

-そこからご自身で歌われるようになったきっかけは何ですか?

Dragon Chop:最初は僕は歌うつもりはなかったんですけど、田島さんが「いいか、Reggae というのは Deejay と Soundman がいて2人でひとつなんだ。だから一緒にやろうぜ」と。田島さんは今でもレコードを買ったり Reggae をすごい知っていて。「お前、歌えよ」と言われたけど、どこで歌えばいいのかわからない(笑)

田島さんと一緒に KINGS MUZIK という藤沢のレコード屋に行ったんですよ。そしたら店長の石場さんが「江の島 T&G というクラブがあるから来週の木曜日にそこに来てみなよ。みんないっぱいいるよ」って。それで行ったら人を紹介してくれたりしました。ただその時にはもう田島さんは辞めていたんですよね(笑)

-田島さんは Dragon Chop さんを Reggae 界に送り届けられた感じですね。

Dragon Chop:田島さんとは1回も一緒にLIVEできなかったですね。でも、自分は石場さんに歌い手始めたいって言っちゃったし、映画の『8 Mile』みたいで面白そうだし「やってみるか」って(笑)

「KINGS MUZIKが立ち上げたレーベル『湘南藤沢宿 RECORDS』」

Dragon Chop:ちなみに2年くらい前から田島さんがセレクターを始めました。10年経って町田で DJ TAZZY という名前でやっているんですよ。良かったです。

-最初は RUB A DUB に参加して面白さを感じたんですか?

Dragon Chop:そう。江の島 T&G のイベントで同い年ぐらいの駆け出しの歌い手達がいて、すぐに仲間に入れてもらいました。中でも僕の一個上で Climber という Deejay がいるんですけど、彼なんか青春の友ですよね。兄弟みたいなもんですよ。僕は最初、地元の相模原の Reggae ではなく湘南のシーンにいたんですよね。

-なるほどです。

Dragon Chop:近くの平塚にも歌い手がいて柳さんや SUNADEMAS さん、I-KEN さん、ちょっとガラが悪いんですよね。ヤンキーみたいな人たちが多くて「ブラックミュージックはヤンキーと対等に戦わなければいけない」というロック魂を持っていたんですけど、特に戦うことはなくて、みんな仲良くなりました。今でもみんな本当に友です。

「平塚での RUB A DUB の様子」

-それは何よりです。

Dragon Chop:あの人たちは神奈川ユーツですね。神奈川ユーツも少なくなっちゃったけど、これ以上減ることはないはず。

-ところで、今のスタイルは活動を始められた初期の頃から変わっていないんですか?

Dragon Chop:転機になったことがあって、24歳の時に『ドッペルゲンガー98』というファーストアルバムをリリースしたんですよ。その反響が手渡しした人たち、聴いてくれた人たちだけに良かったんですよ。そして噂で僕を知ったある人が、声をかけてくれたんです。その人が僕の Reggae の師匠で、ついでに盆栽を僕に教えてくれた人なんです。その人はケンジさんといって名古屋から横浜に引っ越してきて、そこで『50 caliba music』というスタジオをやっていたんですよ。

「50 caliba music/SoundCloud」

Dragon Chop:横浜のちょっと悪い人たちがいっぱい集まっているところで、そこでみんなが聴いてくれて、ケンジさんと僕の師弟関係がそこで生まれたんです。

-なるほどです。

Dragon Chop:毎日のように超説教されて「Reggae とは…」をずっと叩き込まれたんですよね。「お前、考えが甘すぎる」みたいな(笑)音楽に対する考え方でも「認識が、レベルが低すぎる」とガンガンに言われて。

僕のファーストアルバムって音質とかがちょっとガタガタなんですよね。そんな状態でリリースするぐらいで「お前、これでクロ歴史を作りたいのか」「違いますっ!」みたいなやりとりをケンジさんとしていました。…そういう人って必要なのかもしれませんね。マスターヨーダが。

「ドッペルゲンガー98」

Dragon Chop:20代前半は先輩に感化されやすいじゃないですか。僕も感化されて傷ついて鬱みたいになったんですよね。でも着々とね Reggae のその人のマインドが伝わった。ある時、僕もちょっと我慢ができなくて、それが続くと自分の精神的にもきついし、一生悩んでいるのも嫌だし、人間として嫌いになっちゃう部分もあるから、僕はそこから去ったんですよね。

今では師匠なしで盆栽も音楽も突き詰めています。盆栽もよりマニアックになった。師匠からもらった錦松も元気です。

-その師匠にとって、どういう音楽こそが良いのでしょうか?

Dragon Chop:”真面目に突き抜ければカッコいい”というのは教わりましたね。照れがあってはいけないとか基本的な部分。カッコつけ切る、わざとやる、変なことも思いつきじゃなくて狙ってやる。その経過を冷めた目で見る能力がないと一流のミュージシャンにはなれないと。それは、その人が教えてくれたのか、自分で気がついたのかは分からないですけど。「Reggae を聴け」とは超言われましたね。

-師匠もずっと Reggae をやられていたんですか?

Dragon Chop:ダンスホールの人で元ダンサーなんですよ。Ya-Low Production*10 の付き人をされていました。ケンジさんにReggaeを教わった人達、僕の兄弟弟子が結構います。愛知に一緒に行った時、「お前の兄弟子に今から会わせる」と連れて行ってくれたり、繋がりの多い人でした。

そういえば、今年の5月にイベントが潰れて僕がへこんでいたら、その愛知の兄弟子のスピ太郎さん​​から電話がきて、「Twitter みたけど、残念だったね。野外イベントやるからおいでよ」とわざわざ旅費もくれて呼んでくれたんですよ。Akame Rockers みんなで行きました。ケンジさんが繋げてくれた縁は今も健在です。

「師匠から Dragon Chop 氏へ贈呈された錦松」

-誰と出会うかで活動に対する意識は変わるかもしれないですね。

近道に遠回りと色々ありますよね。師匠に会った方が上達が早い人もいるのかもしれないし、逆に師匠と出会わなかった方がミュージシャンとして大成している人がいるのかも。

-Dragon Chop さんにとっては、今に繋がるマインドを伝えてくれた人なんですね。

Dragon Chop:そうですね。教えてもらったことのメインは心意気でしたね、気構え。

-その気構えは普段の生活の中でも役に立っていますか?

Dragon Chop:例えば、先輩や上司など職場で自分より力関係がちょっと上の人がいたとして、その人に悪気があって自分に害が及ぶ場合、1回やられて容認してしまうと後に長引く可能性が高い時があるでしょ。そういう時はなめられないように唸らなきゃいけないわけです。そこで唸るパワーを Reggae からもらいましたね。

―(休憩中)―

Dragon Chop:いやぁ、取材は面白いですね。良く喋ったペラペラと。途中で録音していることを忘れていたし。

-いい感じにお話できていますか?

Dragon Chop:いい感じの時は「毘沙門天が降りてきた(笑)」とバンドメンバーに言っているんですけど、その状態と近しい感じですね。

「毘沙門、降臨!!!」

「リラックスした様子の Dragon Chop 氏」


*10 Ya-Low Production…愛知県の三河のプロダクション・チーム。 サウンド・システムの名前は「サムライ・スーパー・パワー」。


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