第12編

KOTOBA Slam Japan2021松戸大会

気づけば連載が12回目となった。とりあえず1年間エッセイを更新できたことに安心している。次の目標はまた1年、更新を続けること。連載の場所をいただけることに感謝をしながら。

 私はそもそもエッセイをあまり書いてこなかった。自分のことを語るのが気恥ずかしかったし、誰かの作品にモノを言えるほど観察眼が鋭いとは思っていなかったからだ。何より、エッセイにかける時間があるなら、小説や詩といったフィクションに傾倒していたいと考えていた節もある。
 でも、このような連載の機会をいただいて、四苦八苦しながら書いているうちに、未熟ながらエッセイも書けるんだな、という小さな自信が湧いてきてもきている。

 私のお付き合いする詩人にもたくさんのタイプがいる。詩だけをこつこつと書き続ける人、エッセイも得意とする人、大学機関での詩学(論考)を多く残す研究肌の人。また朗読の現場でいえば、詩を書くよりも歌に集中する人、即興ですべてを表現できる人、全身を使ったパフォーマー、暗記が苦手な人(私)、毎回テキストに真摯に向き合って読む人――。
 そんな風に色んな個性や方法をもって、詩や言葉に臨むイベントの一つが先日開催された。

 KOTOBA Slam Japan2021(以下KSJ)は、言葉と身体パフォーマンスのみで競い合うスラムイベントの一つである。各地方の予選大会から全国大会出場者が選出され、全国大会で日本一と決定された者がフランス・パリで開催される世界大会(W杯)に出場する権利を獲得できる。2021年現在、日本のスラムイベントでは最大規模のものだ。
 先日、地方大会の一つ、千葉県のKSJ松戸大会で優勝することができた。今日はその大会について書いてみようと思う。

 松戸大会は、8人制のトーナメント・現地観客とオンライン配信による投票のハイブリッド採点方式で行なわれた。
 一人3分以内のパフォーマンスを見て、観客一人一人が採点を行なう。
 ここまでは、多少の同異はあるものの、スラム文化を知る人ならば見慣れたルールかと思う。そのルールに加え、松戸大会は独自に各パフォーマンス後に1分のアンサー・パフォーマンス方式を導入した。
 一見すると、HIP HOP文化のフリースタイルバトルやレゲエのDeeJayクラッシュを思い出す人もいるかも知れないが、実際は全く手触りの異なるルールだ。
 Aさん3分→Bさん3分→Aさん1分(アンサー)→Bさん1分(アンサー)の流れで、行なわれるため、フリースタイルのように即興で言葉を紡ぎだす必要はなく、要は3分間で相手のパフォーマンスに対する作品(私の場合は詩)を1編書き上げるといった感じだ。半即興というべきか。
 松戸大会は本当に素晴らしいイベントだった。私を含め8名のパフォーマーたちのコトバが匂いたつような個性を放って視聴者の感覚に訴えかける。

【1回戦目 遠藤ヒツジ VS タケベ稜】
 私は「僕のドッペル」という<もう一人の自分>について描いた2分程度の作品にアンサーの「反ゲンゲル」というアンサーを組み込んだ「僕のドッペル 反ゲンゲル」という作品。1作目で既にアンサーがあるのって良いかな、と考えハイリスクハイリターンな作品を選んだ。
 タケベ稜さんは自ら吃音症の経験を語り、いま吃音症に悩んでいる人たちへのダンプカーのごとく力強いメッセージを送る。直情的なストレートパンチ。ラップとポエトリーの融合が素晴らしかった。
 アンサーはタケベさんの「行けばわかるさ」(アントニオ猪木の名言)から吃音症と私の既往症である喘息を引き合いに出して、コンプレックスを抱えたままでも行くことができるエールを送るつもりで私もアンサーを返した。
 タケベさんのアンサーは「分かんない」という開口一番が素晴らしい。そうだ、分かることなど本当に微々たるもので、私たちはほとんど何も知らない。「いろんな感情がある中で全部が一致する感情」という瞬間を観に来ている。極上のコトバをいただいた。

【2回戦目 松山尚紀 VS 由井明彦】
 松山尚紀さんの「嘔吐する亡霊」。ランボーやボードレールなどの雰囲気が感じられる詩を読み上げる。アレクサに呼びかける、というアイデアが面白い。ソウル・ガイド、問い返しの対象として――ポーの「大鴉」のような応答ができる気がする。
由井明彦さんの「君の生まれた日」。孫と一緒の誕生日。すなおでやわらかな家族憧憬と「ポーン」という破裂音が印象的だった。「角ばった骨の指先」という表現は記憶と経験によって生まれてくる言葉だと思う。
松山さんのアンサーは、松戸の経験から父母の苦労を思い、自らのイメージの源泉なのであろう――ジャズへ繋げていく。
由井さんは<詩のプレゼント>としてのアンサー。人の孤独を埋めるのでなく向き合う、と語り、<大津波に耐えた松の木>と孤独に耐えている人たちへ語り掛ける場面が印象的だった。

【3回戦目 Nadeha VS 一筆】
 Nadehaさんの「意味のある命」。感熱紙とインクによって生まれたレシートはすぐに握りつぶされる、というレシートの命について語る。意味のある命とは<誰かに惜しまれる>ことである――その観点からエモーショナルにコトバが熱をもった声にのって舞ってくる。ラスト一行もストンと落として、聴者にきちんとパフォーマンスが向かっていることが分かる。
 一筆さんはアカペララップで22才のリアルを綴る。数字じゃなくて筋を通しに来ている姿、レペゼン地元の姿勢に心打たれる。「自らを変えてすべてを変える」のリリックにILL-BOSSTINOの「地元も仕切れずになに歌う気だ」を想起した。
 Nadehaさんのアンサーは、太陽が睨んでいるのか微笑んでいるのか分からないことを一刀両断する。見る人の心により喜怒哀楽が変化してみえる仏様のお顔――アルカイックスマイルのようだ。自らのパフォーマンスと一筆さんのラップを織り交ぜて、ラップで見事に切り返す。
 一筆さんのアンサーは、生きてる意味が分からないまま進む。僕もそれは正しいと思う。分からないまま進んで、意味を掬ってみてはまた違う意味を見出す。「ガキのまま喉を楽器にしてんだよ」と絶唱が胸に沁みる。自分のコトバが誰かの世界を変えるとは本当にそうだ。世界を反転させるのではなく、世界の視野を少しずらすようなかけがえのない変化をもたらすことができると思う。

【4回戦目 鈴木陽一れもん VS 佐藤yuupopic】
 鈴木陽一れもんさんはドルヲタ漫談でアイドルの神楽みお(みおち)について語りまくる。会場に常に笑いが巻き起こる話芸に聞き惚れる。と同時に「これはアンサーしづらいな」と思った。
 佐藤yuupopicさんは開口一番「来ないで!」と叫び一気に聴衆の目と耳を惹きつける。1回戦最終戦、みな真剣に見守る中でもジャッジの疲労から集中力が途切れかける辺りでもあって、そこを引き戻すのに有効だったろう。はじめは心の距離をとろうとしない不躾者への警告にも聴こえたのだが、途中から震える声音は艶めきを増していき「椿の花」などの血潮の色が際立ち、臆病にして優しい親和の詩であることが分かってくる。声の表情がいかに大切かを学ばされる。また巧みに野球を絡めてくるところにふと笑ってしまった。
 れもんさんのアンサーも開口一番の効果を十全に理解して「行くぜ!」と叫ぶ。来ないで、という臆病な距離感をストレートで踏み込んでいく。粗暴でなくユーモアを携えて。「KSJ、くそほど素敵な女子」というパワーワードで打ち抜かれて、きちんと神楽みおさんで心をキャッチさせて落とす。強い。
 yuupopicさんのアンサーは、「KSJ、くそほど素敵で大好き」、キモオタ最高、パリの灯、れもん色の太陽などなどパフォーマンスよりもパフォーマーに対する真摯なアンサーをしつつ、パリへ先に行くのは自分だと宣言する力強さは剛速球の即興だった。

 ここで一休憩。こうして原稿を書くころに気づいたのだが、松戸大会のルールは恐らくだが先攻が有利になる稀有な大会だと思う。
 スラムは今回のようなタイマン形式もあればグループ形式もある。グループ形式となると、先のパフォーマーの印象がどうしても薄れていき不利になりやすい、という理由から「同点だった場合、先攻の勝利」とする場合がある。(もちろん制約があるわけではないが、そういう傾向がある)
 松戸大会ルールは「相手のアンサー内容を含めたアンサーは不可」としている。そうすると後攻は先攻の3分+1分を聴いたうえで、1分の内容は忘れてアンサーを返さなくてはならない。その点、先攻は後攻の3分の内容だけに集中できる。特にタイマン形式だと先攻パフォーマンスの印象が薄れる時間も短いので、総体的に見て先攻有利だと感じた。
 当日は肌感覚で漠然と思っていただけで、こんな風に説明できるものではなかったが、結局私は全部1番手を取った。1回戦目を勝ち上がれたゲン担ぎの意味も込めて。

 閑話休題。
【準決勝1回戦目 遠藤ヒツジ VS 松山尚紀】
 私は「コーヒー・ツアー」という新作で挑んだ。どんどん一気呵成に突き抜けてく作品だが、最後をどう捉えてもらえるのか分からない作品だった。割合早口で読まないと容易に3分越えてしまう作品なので視聴者に理解されるか否かも不安ではあったが、取りあえず大丈夫だったようだ。
 松山尚紀さんはテキストの持ち方と佇まいが似合っていてカッコイイ。作品は「ナルキッソス」。歩行が思想の原点であると語るように松山さんの詩は歩行する。自己愛についての会話。様々なものを「経て」口にした彼女の言葉を無視してしまった罪を自らと向き合いすぎたナルキッソスになぞる。対置がしっかりしている。
 私のアンサーは、ナルキッソスのように没頭する先に過ぎ去ってしまった女性のコトバに再会できるという旨を松山さんにお返した。ナルキッソスのモチーフにはアンサーパフォーマンスの練習ツイキャスで一度使っていたので、割合戸惑うことなくお返しできたと思う。
 松山さんは罪の暗色とコーヒーの黒さをかけて、それを飲み込もうとする。未来までコーヒーの味は届くか――失われてしまうものと継続していくものの境について考える。

【準決勝2回戦目 Nadeha VS 佐藤yuupopic】
 Nadehaさんは「本当は役者になりたかったんです」から始まる、取調室での告白調が展開を心待ちにさせる。一筆さんの語った「やりたいことで食っていく」にも通じること。鏡に向かう自分も期せずしてナルキッソスを想起させる。真面目な僕を殺す――という罪。「ウィリアム・ウィルソン」や「ジキル博士とハイド氏」から続くモチーフは人間の根源に触れようとする。落ちの巧みさは1回戦目と同様の切れ味をもっていた。
 佐藤yuupopicさん。「ゴーレム」はSF的で今までと違う感触を覚える。土塊から生まれたゴーレムの姿に何故か特攻隊として命を賭した人々の(見たことのない)姿が重なって胸が締め付けられた。睡眠のレムがかかっており、浅い眠りへの誘いは社会人の忙しなさを象徴しているのだろうか。「しゃべるのが怖い」という感覚が大切だと思う。畏怖や畏敬がなければ、コトバとは対峙できない。朦朧、ゴー、レム。
 Nadehaさんのアンサー。自転車に乗れない自分からコクピットの話者へ語り掛ける。そして、動物と毒の愛。佐藤yuupopicの詩が化石の眠るような多層性に富んでいたせいか深くまで沈むことが難しかったように感じた。いや、アンサーは強かったのだが、「ゴーレム」が私の心の中で天上の鐘のごとく高らかに鳴り響きすぎたのだと思う。
 佐藤yuupopicさんのアンサー、現在よりも未来への心のときめきをより遠い方位へ向けて声を放る感覚。れもんさんの行なったようなストレート剛速球を投げてきた。パフォーマンスよりパフォーマーに焦点を当てて語るのはこの大会で佐藤さんだけだったかもしれない。こういう自由や型破りが世界を少しずらしてくれる。

 決勝は勝ち上がった2名(佐藤yuupopicさんと遠藤ヒツジ)に敗者復活投票で最多得票を獲得して鈴木陽一れもんさんの3名で行なわれた。
ジャンケンで私は上記の考えからまた1番手を選択。去年のKSJを総括して書いた「赦し」という詩を読んだ。この詩は3分で収まることを想定して書いていなかったので一部センテンスを削るなどして調整。スラムの場に立つこと自体の正しさを伝えたいと思った。
2番手は鈴木陽一れもんさん。神楽みお(みおち)への愛を注ぐドルヲタ漫談。水色のサイリウムを全力で振っても視線を合わしてくれないみおちに絶望し、泣きながら帰宅する哀愁は何物にも代えがたいものがある。
3番手、佐藤yuupopic。去年のKSJ全国大会で会場を魅了した「だあれ」。見知らぬ人と繋がり、恋に落ちる――スラムのことのように聴こえ、人々の出会いそれぞれのことも想起させる。そして恋に落ちる二人のきらめくような瞬間のことも語っている。聴く人それぞれの想像力により詩の表情が変化するアルカイックスマイル・ポエトリー――詩の力を感じる。そしてマイクを通して伝わる声の震えがコトバの感情を加速させる。
私の最後のアンサーパフォーマンスはれもんさん8割、yuupopicさん2割といったぐらいの配分でゴドーを待たなくなったアイドルヲタクの詩を読んだ。
れもんさんは「だあれ」と「赦し」を見事にミックスしたパフォーマンスを披露。「詩という、コトバという、噓の中でだけ素直になれる貴方」というパンチライン。個人的な感覚でいえば、アンサー力の高さはこのパフォーマンスが随一だと思った。
yuupopicさんはまずパフォーマーへのアンサーから、徐々に加速し今までと今日の自分へのアンサーも返そうとしていたことが印象的だった。強靭なるスラムポエット。優しいユポさんもスラムに貪欲なユポさんもくそほど素敵でジャンルレス・ボーダーレスなパフォーマンスだった。

 最初に書いた通り、結果として優勝することができた。幸福な瞬間だったと同時に、この日に渦巻いたコトバのエネルギーをしかと抱きかかえて全国に向かうことへの責任もある。
 また、アンサーパフォーマンスで勝ち上がった分、全国大会はそれを発揮できない状況であることも見過ごせない。アンサーなしでどう観客を惹きつけるか――課題は残る。それでも、それはそれ。KSJ松戸大会、学ぶところ多く、なにより楽しく実り多い体験をさせていただいた。
 KSJ松戸大会に携わったすべての方へ感謝を。
 全国大会、恥じないコトバで楽しく臨みます。
 最後に、KSJ松戸大会に渦巻いたコトバを拾いつつお返詩を。


詩「出会わずとも」

、は二秒
。は三秒
間を開けて話すように、と語る教育の隅で
吃音症を抱えていた子供が
いまでは髪を逆立て
一筆書き一気呵成に一人舞台に立ち
喉を楽器にしている街の一角

(ナルキッソス――私は君を愛する
鏡に映る前後真逆の私を艶めかせる
ナイトパープルの口紅と
ワインレッドのアイシャドウ
あなたは土塊の私よりキレイ、と
ふしだらな自分を愛する
そんな夜を眠らずに歩行せよ)

世界をぶっかえす音色を
恋願う不器用な歌声が
意気揚々啖呵切る街の一角

(濡れた夜に君は
街灯のない場所を歩いて
騒がしい影を殺す)

(骨ばった指先で
蜜舐めるあどけない兎に触れようとする
小さな密室で舌は蜜にあふれ
眠りの入り口で
誰もが自分と対峙する)

<こんな気持ちは自分だけか――
いいや、感じてみるがいい
お前の心の扉――その先の気配を。>

がなりたてていた喉が
笑いを泡立てながら濡れた街路を行く

(美しい化粧に彩られたナルキッソスの君が
向こうからハイヒールを鳴らしてやってくる)

二秒、三秒――私と君が近づき出会えば
それぞれの瞳の内に自らの影を見るだろう
しかし、二人は出会わない
夜中の見知らぬ通行人として
ただ行き過ぎる

私も君も誰しもが等しく眠る
そんな夜を見守る街の一角
誰しも安堵し眠れるように
そっと優しく空気を揺らす
ゴー、レム
ノン、レム
揺りかごゆられ
しずかに眠れ
ゴー、レム
ノン、レム
眠れ、眠れ。


(文章:遠藤ヒツジ)

前編:小川三郎『あかむらさき』
次編:遠藤ヒツジ「椿と雪」

『光よりおそい散歩』

 


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