Naoqki Doodah



※ページ毎にご本人の作品をお聴きになれます

『皆んな”自分の顔”と言うものがちゃんと有って、凄くカッコ良かったですよ。』

3.dADaPhONiCS 結成以前の過去の音楽活動について教えてください

Naoqki Doodah:1984年、15,6歳の時に地元仲間と結成したパンク・バンドThe Marvellsが最初です。最初はギタリストとして出発したんですが、ドラマーが中々見つからず、直ぐにドラムにコンバートしました。たまたま叩いたら割と上手く行ったんで、そのまま…(笑)この頃にパンクからモッズ*5・シーンに移行し、学校をドロップアウトして働きながら、古いBlues, R&B, R&Rを掘りまくりました。アナログ・レコードです。それら収穫物をカセットテープにダビングしたりして、仲間内でシェアし合ったり。

’86〜’89年は東京モッズ・シーンで、THE PYE, THE OWNなどを結成し活動、’89年には当時シーンで最強だったTHE HAIRにも加入して貴重な経験を積みました。その頃から徐々に、ハードでスピリチュアルな前衛ジャズなどにも興味が湧いて行き、ダンス中心のモッズ・シーンからは少し距離を置き、手探りながら即興主体のユニットを結成して、荻窪のGOOD MAN*6や新宿のMILO’S GARAGE*7、都内の様々な道でゲリラ・ライブなども演ったりしていました。

-80年代中ごろのパンクやモッズの音楽シーンはどういう雰囲気でしたか?

Naoqki Doodah:一癖二癖有るユニークな人ばかりでしたが、10~20代しか居なくて、若く純粋で直向き、真剣でしたね。皆んな”自分の顔”と言うものがちゃんと有って、凄くカッコ良かったですよ。逆に”自分”てもんが無いと居れない場所だったと思います。人も少なかったし、群衆に紛れて気配消して誤魔化すとかは先ず不可能だったでしょうね…(笑)。立ち去るしか無いでしょう。自分達しか知らないアンダーグラウンドの新しい世界で、これから何かが起こる場所。誰にも邪魔されず、自由に翔ける子供の王国。大らかな仲間意識も有った。先輩達もクレバーな人ばかりで威張る事も無い。親切に色々教えてくれたし、どんどんチャンスも与えてくれた。何て開かれた世界なんだと思いましたよ。だから普段の仕事場などでは名も無きペーペーで、一般社会からの疎外感を感じていたとしても、自分のスタイルが有れば、ここに来て皆んなが迎えてくれる、そんな場所でしたね。

「”THE PYE” in ‘The March of the Mods’ at JAM, August 1987(19歳)」

-当時の活動の中で今も印象に残っている場面はありますか?

Naoqki Doodah:有り過ぎて、簡単には答えられないです(笑)。16~21歳までの多感な時期、後先なんて考えず、完全にそこ中心で生きていたので(笑)。

-無我夢中というやつですね(笑)。

Naoqki Doodah:兎に角、寝る間を惜しんでよく遊びましたし、常に腹を空かしてました(笑)。ほぼ毎日、肉体労働に勤しんで居たにも関わらずです(笑)。服、レコード、スクーターのローンと遊興費への支出が大きく、家賃や光熱費は遅れ気味、一番割りを食ってたのが食でした。飯代を削ってでも、聴きたい音楽の方が勝ってしまう(笑)。

-好きに勝るものはないを体現されていますね。

今と違い、音楽はレコードを買わなければ聴け無かったので。CDも出始めてましたが、見向きもしません。再生機を持って無いし、未だレコードとカセットテープがメインの最後の時代でした。後から思えばCDへの変換期だった影響からか、中古レコードも大量に出回って殆どが安価でした。

服は高い物はスーツ、シャツなどを仕立てるし、当時は滅多に無かったフレッドペリーのポロシャツとか、他にも定番のクラークスのデザートブーツ、スタプレスト、そして米軍放出品の M-51 アーミーパーカなどは子供には些か値が張りました。なので、それ以外の服は基本的に古着屋と、普通の何処にでも有る街の商店街の古い洋品店や靴屋も行きましたよ。変な格好した子供達の来店に、店の人は目ん玉丸くしてましたが……(笑) 。

-(笑)。

当時は未だ’60年代から20年前後しか経って無かったから、質の良い当時物の新古品が奇跡的に店頭に埋もれてたり、バッグヤードに当時の売れ残りの革靴なんかが山と有りました。スルメみたいに縮んだ中敷きを新品に替えて磨いたらバリバリの新品になる(笑)。

「そんなのは1,500円で良いよ」、なんてお店のおばさんやおじさんがニコニコしながら売ってくれましたね(笑)。こないだ原宿の何とかってお店の人が来て、古い革靴を沢山買ってってくれたよ、なんて聞いた事も有りました。なるほど、それを5,000円で売ってんだな!と、思わぬ内情を垣間見たり(笑)。

はたまた、オリンピックとかのスーパーと言うかデパートで売られてる安価なツルシ服なんかもチェックしてました。案外と造りもシッカリしてたり、使えそうな物が有ったりするんですよ。それを直し屋に持ち込み、幅を詰めてもらったり、ボタンを自分で違う物に替えたり、兎に角、金が無いからDIY全開ですね(笑)。

当時1980年代には自分が欲しい服は簡単には売って無かったけど、逆にそういう工夫が楽しかったんです。宝探しと生活のサバイバル、智慧ですよね(笑)。

レコードもジャマイカ盤と原盤以外の輸入盤は非常に安かったです。だからついつい買い過ぎて、飯代を端折る事になり、ガリガリに痩せてましたが、景気は良かったんですね。仕事は沢山有りましたから、就職なんかしなくても、バイトしながらそんな生活をギリギリ出来ましたからね。

「MODS MAYDAY ’88 “THE PIE”にて出演した当時のフライヤー」

-モッズ・シーンから距離を少し置かれたあとの活動について教えてください。

Naoqki Doodah:1990年からモッズの仲間内でも稀有な、フリージャズに興味を持つ数人が集まり、セッションを重ねました。荻窪のGOOD MANや、都内近郊あちこちの道や広場などで演ってました。サックス、ウッドベース、ドラムスのトリオでフリージャズを始めました。サックスはギタリスト、ウッドベースもギタリスト、って人達です(笑)

ストリートライブでは、立ち止まって聴いてくれる方もいて、チップを弾んでくれたり、優しくしてもらいました。道端は直ぐにお巡りさんが来てしまって、そんなに長くは出来ないんですけどね…(笑)
1991年になると、モッズ時代の仲間で、当時はスカパラのギタリストだった Marc 林が、何か演ろうよ!と誘ってくれて、やはり同シーン出身の 吉田カズマロ(ex. The Maybells)をお誘いして、ベーシストとして参加してもらい、それまで吸収して来たR&B, R&RなどにJohn Coltrane, Charlie Mingus, Ornette Colemanの様なハードなジャズ、また、ヒップホップのループ要素などを融合させるべく、EXPRESSION!!と言うバンドを組みました。ベースは間も無く、ピアニカ前田さんのピラニアンズでコントラバスを弾く長山雄二さんに替わりました。

「EXPRESSION!! ’92 -左から Marc Hayashi (guitar), Naoqki (drums), Nagayah-Man (contrabass):宝島社 掲載」

「Naoqki Doodah – drums」

「Marc Hayashi – guitar, cello, flute, alto sax」

「Kazumaro Yoshida – acoustic bass guitar」

-EXPRESSION!!はどういった形態・場所で活動されていましたか?

Naoqki Doodah:このバンドは私がリーダーとなって運営し、徐々に様々なアーティストが去来する流動的音楽共同体となり、’93~4年頃は、ギター、コントラバス、ドラムスのトリオに加え、トランペット、サックス、トロンボーン、そして、コントラバスがもう一人加わってツインベースになるなど、ラージコンボ化したりしながら、都内のクラブを中心に活動していました。UFO(United Future Organization), DJ KrushとMuroのKRUSH POSSEなど、様々なアーティストともコラボレーションしながら活動し、後期は、渡邉ヨシキ(ギター)、菊地雅晃(コントラバス、ベースギター)と私のドラムのギタートリオ編成に戻り、’99年にFAN BOY THEREの変名でアルバムThese Dog Daysを一枚出して解散しました。

「EXPRESSION!! ’98 -左から Naoqki Doodah (drums), Yoshiki Watanabe (guitar), Masaaki Kikuchi (bass):WHAT’s IN? 掲載」

「EXPRESSION!! – Live at MILK on Aug.13, 1998(30歳)」

Naoqki Doodah:その後2000年代に入り、現在のdADaPhONiCSの母胎となるDADAPHONIC ENSEMBLEを結成しましたが、子育てや病気などによる活動の失速期に入り、バンドもライブも辞め、単独で、電子楽器による自宅やスタジオでの音楽制作に本格的に取り組みました。その最初の成果は、2010年に出版された、画家・杉村篤さんの”異分子”と言う前衛漫画集の付録DVDの音付けの仕事(TZARAPHONIC ENSEMBLE名義)です。バンドとは何もかも違う、全て独りでの作業で大変でしたが、非常に楽しい仕事でした。

2009年頃から再び様々なバンド、THE LOCALS, 水口晴幸(ex. Cools)さんのTHE JAPS, KASHMERE & THE VINTAGE SCRAPS, THE TOKYO BLUE MOUNTAINS, THE SECRET CARNIVAL WORKERSなどで活動、リリースも幾つか有りました。そして2018年夏にdADaPhONiCSを立ち上げ、現在に至ります。

-ありがとうございます。
2009年以降の様々なバンドに参加していた時期は、がむしゃらに取り組んだ90年代と比べて活動への取り組み方に変化はありましたか?

Naoqki Doodah:その時代の数々のバンドへの参加は、昔から知る人達やその関係者からお誘いが有り、いちドラマーとして自分が出来る事を精一杯演る、というスタンスでした。これは本当に有り難い事だったと思います。必ずしも完全に自分が指向する音楽では無かったとしても、数年の停滞期から復帰し、再び現場を踏む事が自分に取っての良いリハビリにもなって居たと思います。

-音楽・表現に対する捉え方はいかがでしょうか?

Naoqki Doodah:’90年代のExpression以降、ジャズや民族音楽、電子音楽などの影響から、大きなビートの中に内包される細かいビートを探求して来て10数年経ち、自分なりに丁度一周して飽和状態の様になり、そこで再びロックやレゲエなどのシンプルな(と思われて居る)ビートを基調とする音楽に戻って演ってみる事は、非常に意味の有る作業になりました。

ジャズなどに取り組む以前とはまた違う引き出しが幾つも出来て居た中で、シンプルな形式の音楽を演る。それで改めてよく解ったのは、ロックもレゲエも、やはり実は凄く複雑なリズムのシンコペーションの上に成り立った音楽なんだ、という事でした。一見シンプルなビートの中に、非常に細かい複雑なビートがビッシリ内包されて居るって事です。

(※過去に参加された作品については【Discography of Naoqki Doodah】を参照)

『ただただカッコ良過ぎて、我を忘れて無我夢中で聴きまくりました』

4.創作の方法について教えて下さい

Naoqki Doodah:様々なやり方が有るので一言では言い表せませんが、インスピレーションを元に、リズムの中に内包される微細なシンコペーションを探究しながら、メロディ、ハーモニー、サウンドを紡いで行きます。使用楽器はドラムス、ギター、ドラムマシーン、サンプラー、シーケンサー、鍵盤、クラリネット、トランペットなど。

「制作に使用している機材」
(上:AKAI MPC2000XL 下:AKAI S950)

-とても多くの楽器を使用されていますね…、すごい(笑)。
リズムという面で影響を受けたアーティストやジャンルについて教えてください。

Naoqki Doodah:一番古くはやはり幼少期に聴いた昭和歌謡から近所の祭りの御囃子、太鼓や当鉦の音、また、テレビや映画のサウンドトラックなどが、あの頃はジャズやロックや前衛的な電子音楽の影響下に有るサウンドが主流でしたから、そこはスポンジみたいに無意識に吸収したと感じます。

-無意識でもすでに影響は受け始めますよね。
自らで音楽を聴き始められてからの影響はいかがでしょうか?

Naoqki Doodah:サブカルチャーとして意識的に音楽を聴き始めた10代半ばからはパンクに始まり、反逆の形式を追う中で、古いブルーズ、R&B、ロックンロール、スカ、レゲエ、そしてジャズに辿り着き、そのルーツとしてのアフリカやアジアの民族音楽まで聴き及ぶに至り、また、ヒップホップ、ハウス、テクノにも少なからず影響を受けました。

-多くの土着的な音楽から影響を受けているんですね。

Naoqki Doodah:最初に強い影響を受けたのは1960~’70年代のロックです。聴き始めたのが’80年代前半頃なので、世代的にも完全に後追いでしたが、当時のメインストリームの商業ポップスやロックには見向きもせず、ストリートではパンクによる先祖帰り現象が起きている時期でも有った為、古い新しいなんて事はまるで気にもせず、ただただカッコ良過ぎて、我を忘れて無我夢中で聴きまくりました。

-影響を受けたドラマーを挙げていただいてもよろしいですか?

Naoqki Doodah:影響を受けた全てのアーティストをここで挙げ切れませんが、ドラマーをちょっと挙げるとすれば、Paul Cook(Sex Pistols), Rat Scabies(Damned), Ringo Starr(Beatles), Charlie Watts(Rolling Stones), Mick Avory(Kinks), Keith Moon(Who), Kenney Jones(Small Faces), Mitch Mitchell(Jimi Hendrix), Ginger Baker(Cream), Nick Mason(Pink Floyd)などの英国のドラマー。そんな’60年代英国のビート・バンドの影響でアメリカ各地から大量発生した無数のガレージバンドのラフ&タフなサウンド、そして、これらロックに影響を与えた1950~’70年代初頭のアメリカのブルーズやR&B/ソウル、ファンク、ポップス、それらのバッキングを務めた数々の陰の名ドラマー達、Fred Below, Sam Lay, James ‘Peck’ Curtis, Al Jackson Jr, Clyde Stubblefield, John ‘Jabo’ Starks, Benny Benjamin, Hal Blaineなど。

「”Keith Moon” in The Who, 1965」

Naoqki Doodah:そして、ジャマイカのスカ、ロックステディ、レゲエのドラマー達Lloyd Knibbs, Hugh Malcolm, Carlton Barrett, Leroy ‘Horsemouse’ Wallaceなど。究極だったのが、1940~’60年代のモダン・ジャズ全盛期の前衛的なジャズ・ドラマー達、 Elvin Jones, Roy Haynes, Philly Joe Jones, Max Roach, Art Blakey, Tony Williams, Ed Blackwell, Milford Graves, Sunny Murrayなど。

「”Elvin Jones” in John Coltrane Quintet, 1961」

「”Milford Graves” in his quartet, 1973」

Naoqki Doodah:これらドラマー達が携わった音楽は他の全ての楽器の演奏もドラム的要素が強く、非常に深いリズムの理解から成り立った演奏なので、そこにも多大な影響を受けている事は間違い無い。更に、1980~’90年代のヒップホップを中心に、ハウス、テクノなどにも、リアルタイムのアメリカのストリートの濃厚なジャズ臭、ブルーズ臭を嗅ぎつけ、非常に刺激を受けました。

-ヒップホップで影響を受けたアーティストはいかがでしょうか?

Naoqki Doodah:Ultra Magnetic MC’s, Boogie Down Productions, Public Enemy, Jungle Brothers, De La Soul, A Tribe Called Quest, Gang Star, Da Beatminerz, Pete Rock, Large Professor, J. Dilla, Madlibなどなど… 近年ではFlying Lotusの登場に驚きました。彼の音楽はヒップホップの系譜に有り、ダンス・ミュージックで有りながらブロークンなフリージャズ的リズム要素や、異常な低音が加わり刺激的。素晴らしいです。

「”A Tribe Called Quest” Jazz, Buggin’ Out 1991」

Naoqki Doodah:ハウスは’90年前後のヒップホップが取り入れていましたね。その他、Theo Parrish, Moodymannなどの何処か土臭くブルージーなデトロイトのDeep Houseにハマった時期も有ります。


*5 モッズ…イギリスの若い労働者の間で1950年代後半から1960年代中頃にかけて流行した音楽やファッション、それらをベースとしたライフスタイル。
*6 GOOD MAN…1973年荻窪グッドマンとして開店。2006年7月以降は高円寺グッドマンとして営業中。日々、フリーミュージックやジャズの生演奏が行われている。
*7 MILO’S GARAGE…新宿・花園神社近くの地下のクラブ。1989年、第三倉庫の跡地としてオープン、その後 CLUB WIRE と店名を変えて営業。アンダーグラウンドシーンを牽引した場所。現在は閉店している。


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