Naoqki Doodah



※ページ毎にご本人の作品をお聴きになれます

『何か前向きな、ポジティブなバイブスを感じて頂けて、それによって、よし!何かやってみよう!とかなったら最高ですね』

5.なぜ創作をやっているのですか

Naoqki Doodah:通常の言動、行動、社会生活などだけではコミュニケーションが充分だと思えない者達が昔も今も創作をやるのではないでしょうか?少なくとも私はそうです。

-「言動におけるコミュニケーション」と「表現におけるコミュニケーション」ではどういった部分が違うとお考えですか?

Naoqki Doodah:日常生活においては、言動だけで充分な事も有るけれど、例え事務的言動だったとしても、その中に個々人の個性なりの表現が無意識だとしても有る。声のトーン、話し方など。これがアートともなれば非日常、その中で意識的に何かを伝える作業となりますね。そしてそれは日常をも豊かにするはずですね。

-日常と非日常は相互的な関係であるということですね。その点は気がつかなかったです。
Naoqkiさん自身は表現を通してどういったことを伝えていきたいですか?

Naoqki Doodah:伝えようとしているのは音楽その物です。それは私の喜怒哀楽や、言葉に出来ない感情や、気付いた事、社会に対する意見、その他様々な要素から産まれて来るものですが、それを聴き手の方がどう捉えても自由です。音楽自体がその振動で身体と心に働き掛ける物です。形は無いし、不思議で深淵な物ですね。何か前向きな、ポジティブなバイブスを感じて頂けて、それによって、よし!何かやってみよう!とかなったら最高ですね。例えば私が最初にPistolsを聴いた時の様に。

-それは表面的ではない素晴らしいコミュニケーションの形ですよね。
「音楽は様々な要素から産まれて来るもの」とお答えいただきましたが、受けとる側として創作物に触れる際にはどのような点が大切だとお考えですか?

Naoqki Doodah:あくまでも先ずは主観で捉えてもらえたら良いと思います。で、その主観は一体何処から来てるのか?って事です。何かをそこに感じ、しかもそれが心惹かれる場合、それは貴方の中に有る大切な何かを、その創作物の中に見出したのだ、と捉えて間違い無い、と、アメリカのジャズ・ピアニストのHal Galper氏が仰ってましたが、本当にそうだと思います。

『そんな時にたまたまTVでピストルズを観たわけです』

6.音楽をやっていなかったら何をやっていると思いますか?

Naoqki Doodah:さあ??全く想像もつきませんが、音楽だけをして生きて来れたわけでは無いので、実際に生きて行く為に色んなシノギをして来てますけどね(笑)

-おお、なるほどです(笑)。小さい頃の夢などありましたか?

Naoqki Doodah:小さい頃の夢は、画家、電車の運転士、豆腐屋、タコ焼き屋、鯛焼き屋、プロバスケットボール選手など…(笑)

-豆腐屋さん、タコ焼き屋さん、鯛焼き屋さんなど食に関わる夢が多かったんですね。
得意料理などはありますか?

Naoqki Doodah:子供の頃は近所が商店街だったんで、屋台も焼き鳥、たい焼き、たこ焼き屋さんなんかが出てて、たまに買ってもらう以外は、よく横に張り付いて、調理作業を見てました(笑) 。それで、楽しそうだなと思って…(笑)

-なるほどです(笑)。料理が出来る過程を見るの楽しいですよね。

Naoqki Doodah:得意料理はお袋直伝の炒飯ですかね?(笑)

-炒飯いいですね。……お腹が空いてきました(笑)。
過去にスポーツは何かされていましたか?

Naoqki Doodah:バスケットボールは9歳から14歳までやりました。11歳まではサボってばかりいましたが、監督が担任になり、促されて更生して、12歳の時には関東大会まで行ったくらい頑張ったんですがね、中学入ったら下手くそな先輩達の玉拾いと理不尽な虐待の日々で(笑)、或る日とうとうブチ切れて辞めてしまい、再び非行に逆戻りしてブラブラしてて、そんな時にたまたまTVでピストルズを観たわけです。

-音楽を始められたきっかけには、そういういきさつがあったんですね。

『その為にも、今こそ政治に無関心ではいけない』

7.子どもの頃のエピソードを教えて下さい

Naoqki Doodah:色々有りますが、絵を描く事が大好きだった反面、外で遊ぶのも大好きで、何日か絵ばかり描いていたかと思うと、その反動で外に出突っ張りになる(笑)。徒歩、三輪車、自転車、公共交通機関と、成長するにつれ、行動範囲が拡大して行くものですが、私の場合は異常に遠くまで行ってしまい、補導されてパトカーに乗せられて帰宅したり、鉄道のキセル乗車で群馬の高崎まで行ってしまい、鉄道公安官に捕まり、継母がガラ受けに来たり、色々問題行動が有りました(笑)。

-とても活動的ですね(笑)。

Naoqki Doodah:兎に角、日常を飛び出して冒険がしたかったんですね。逸脱したかった。小学低学年の頃には既に反抗的な子供になってましたが、それは大人達からの理不尽な抑圧も原因としては有ったと思いますね。例えば、毎日の様に殴られ、水が満タンのバケツを持って廊下に立たされたり、クラス内で起きた問題で、担任教師から言われ無き嫌疑をかけられ、幾ら否定しても犯人に仕立て上げられた事も有りました。

Naoqki Doodah:大人達との確執の中でも一番強烈だったのは、やはり継父(養父)って事になりますかね。兎に角、やる事なす事全て気に入らなかった様で、別に大それた事など何もして無いつもりでしたがね(笑)。彼は昭和一桁生まれで本家の長男、あの第二次世界大戦、太平洋戦争の時代に子供だった人です。戦前から戦中にかけて、明治生まれの祖父さんに相当厳しくされ、それに耐え切れ無かったんじゃないかなあ?と思います。

彼が小学6年生だった1945年の東京大空襲では、生まれ育った家が目の前で全焼、焼け出されて家族とはぐれ、止まない爆撃で火の海、死体の山だらけ、正に地獄絵の渋谷の街中を一晩中、たった独りで半狂乱となって泣き叫びながら、命辛々逃げ惑ったそうです。話を聞くと、それはそれは大変なトラウマを抱えていたで有ろう事は想像に難く無いです。

-90年代に生まれた自分は想像することしかできませんが、その体験はトラウマになりますよね。

Naoqki Doodah:我々子供時代は、そういう生々しい戦争の話は、大人達からたくさん聞きました。だから、戦後20年以上経ってすっかり復興し、物質的に豊かな時代に生まれて来た奴らなんて駄目だ!認めない!みたいなね、そんな感じの人も少なく無かったですよ。

-そういったエピソードをお聞きすると、街は復興しても戦争は人々の気質や考え方に大きな影響を与え続けるものと感じます。
日本で生活をされていて現在でも戦争の影響を感じられる時はありますか?

Naoqki Doodah:そうですね。先ずは自分自身がその影響から脱し切れて無いのだろうと日々感じながら生きてます。常にそれを意識して居るわけでは無いですよ。しかし例え無意識的でも常に付いてまわってるんじゃないかと思います。もしかしたら、自分の子供達にも影響してやしないか?と不安になる事も有りました。継父にされた事は絶対に子供にはしないと強く意識して育てて来ましたけどね。

-そのように考えないといけない時点で影響はあるかと思います。

Naoqki Doodah:今は戦争体験者もだいぶ高齢化し、お亡くなりになったり、少なくなって来てますが、そんな中で再び、戦前の軍国主義時代への回帰を唱えて居る人達が、現政権の中枢を担ってたりしますよね。彼らの殆どが戦後生まれ、しかも富裕層出身者です。普通の庶民感覚から乖離した人達が戦前回帰を目指して張り切って居るのは非常に興味深いですね。何なんでしょう?我々一般市民は彼らを監視すべきです。

-そのままだと、権力を持つ側の都合のいいように進んでいきますよね。

Naoqki Doodah:その為にも、今こそ政治に無関心ではいけない。放っておいたら、自由な行動言動も出来なくなります。再び戦争にも巻き込まれて行きます。現在我々が当たり前に享受して居る人権や自由は、先人達の血と汗と涙がたくさん流れた犠牲の上に成り立って居るんですよね。そこは知って、忘れるべきでは無いです。


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