葛原りょう

『遥かなる希求』

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「オーケストラ」(葛原りょう)

地球は
弦楽70億協奏曲で 成り立っていて
指揮者は
太陽であり
月であり
観客は
海かエベレストだったはずだ──

加わってくる演奏者たち
つぎつぎ、
意図のないピチカートや
文明ごとにテーマが違って

人種ごとに
フォルテになりピアニッシモになり
ときどき眠る地球
大あくびする大海原、
虹に腰掛ける 山脈──

愛している と叫び
ありがとう と結ぶ
楽章が終わるたんびに
人生から去ってゆく演奏者たち
また入れ替わりに席に坐す燕尾服たち
まだ世界は
終わりまで遠い 最終楽章だ

なぜだろう
涙が頬を伝うのは
私の弓はひどく傷んで
もうハーモニーはされない
だからと言って私は
まだ席を立つわけにはいかないのだ

弾こう、落日を
朝焼けの鳥の羽根を
カノンのように追いかけながら
逐われながら
そして
覚悟のビブラートだ
月のタクトが私をうながす
太陽のタクトが最後のコーダを要求する

ここにきて
私はソリスト──
だれも聴いたこともない
私だけの パートを弾こう



東京・日暮里にあるBAR『工房ムジカ』。そこには表現の道を志す者、文学を愛好する人々などが自然と集います。
日夜繰り広げられる催しごとは文化的でありながら、その許容範囲もとても広いものです。創造性と触れ合いがともに響きあい『工房ムジカ』という空間を形作っています。

今回はそのオーナーであり詩人、歌人、俳人の葛原りょうさんにお話を伺いました。葛原さんの全体を捉える思想、寛容な人格は『工房ムジカ』のお店の原動力でもあり、また彼の表現の源となっています。加えて、行動し続けるその姿勢、そこから溢れるエネルギーには感銘を覚えます。

政治家、音楽家、様々な血を受け継いだ心根の優しい葛原りょうさんの世界にぜひ触れてみてください。

<インタビュー>

葛原りょう:声優になりたかったんだよね。

-声優になりたいというのは、小さい頃の夢ですか?

葛原りょう:いや、ひきこもりの絶頂期の時期に、金曜ロードショーでナウシカを見たんだよ。それで、ナウシカの声優の島本須美*1さんに参ってしまってね。あの透明な声、確かあの人はクラリス*2とかお姫様の役が多いからさ。その人に憧れてね。あとはガンダムのシャア役の池田秀一*3さんの声。

「島本須美『sings ジブリ リニューアル ピアノ バージョン』歌唱全曲試聴」

ナウシカとシャアに参ってね、「俺は男だからシャアのような声を出せないかな」と思って、高田馬場に東京アニメーションカレッジ専門学校に行ったのね。25歳ぐらいの時、そこで夏の無料講座があって、講師が島本須美さんとアズベル役、もののけ姫のアシタカ役の荒川さんが講師だったのね。これは行かないといけないと思って、行ったら周りはみんな15、6歳の男の子や女の子、俺だけ25歳で変な黒い服を着てさ、俺的にはいつも通りだけど、服装を間違えて、みんなドン引きしてたね(笑)。

でも、島本須美さんと荒川さんが声を当てる様子を再現してくれた。アスベルがコルベット*4でナウシカを逃がすシーンがあるんだよ。「いけ、僕らのために行ってくれ」というシーンを熱演してくれて、もう、2人ともだいぶ歳をとっているのに、声は若くてさ、すごかったよ。

-詩や短歌を始められる前にまず「声」にくらっていたんですね。

葛原りょう:そうだね。朗読しているのは別の理由があったんだけど、朗読を意識したのはさきほど挙げた人たち。声優さんが詩を朗読するのはあるんだけどさ、それとはまた全然違うのね。ただ、声の魅力には憑りつかれていたね。

-夏の講習を受けられる前から朗読はされていたんですか?

葛原りょう:時系列的でいうと、18歳の時に埼玉県の新しき村*5という共同体にいた。住み込み、入村というんだな。

武者小路実篤記念館 新しき村創立100周年記念特別展「新しき村の100年」

-新しき村というのは思想的な共同体ですか?

葛原りょう:そうそう。より良い社会、より良い命、より良い状態を目指して。そこでは信仰の自由があって、本当はお金を否定したいんだけど、とりあえず自給自足している村だったね。それを作ったのが小説家の武者小路実篤*6なのよ。俺は武者小路実篤とヘルマン・ヘッセ*7で文学体験が始まっている、それが最初だね。

「五行歌会 初出席(20歳ごろ)」

-実際に入村されてどんな印象でしたか?

葛原りょう:草刈りから始まって椎茸、カボチャ、養鶏、梅、お米、果汁、ゆず、一通りやったんだよ。とにかく重労働だね(笑)。学校に行かないような子どもたちを新しき村に住まわせて更生させていた。

-そういう場所でもあるんですね。

葛原りょう:そういう使い方をする人が多くいた。みんな、一ヶ月も持たないね。

-志を持つ人と事情により入村した人が混じっているんですね。

葛原りょう:そうそう。理想を持っているというより、農業をやってただ暮らしている人が多かったね。武者小路の村だけど、武者小路の本をそれほど読んでいない人もいた。

-なるほどです。

葛原りょう:普通の社会から脱落したような人たちが住んでいるのもあって、人間的に非常に残念なケースが多かった。もちろん、中には人格者もいたけどね。私がいた時は 35 人ぐらいで、入る前は 100 人ぐらいいた時もあった。村の中に幼稚園、床屋、美術館があったね。

新しき村の旗があるのさ。海のブルーがあって、黒と黄色と白と赤、この4つの色は様々な人種を表していて、それをひとしく海で囲っている。

「新しき村の旗」

「五族協和」という言葉があるんだけど、ヨーロッパの植民地支配から解放する名目で、日本が「アジアなどを平等にしたい」、「色んな民族が調和できる理想社会を作りたい」と言うわけだけどさ。それとはまったく別で、新しき村は文学の方でね。

-新しき村はどれくらいの期間、生活されていたのですか?

葛原りょう:俺は新しき村で3年間、暮らしたね。その時にはヘッセに触発されて詩を書いていたのよ。

-いつ頃から詩を書き始められたのですか?

葛原りょう:俺が詩を書き始めたのは 15 歳の冬かな。新しき村の前、桜ヶ丘に住んでいた時には書き始めていたね。同時に短歌も作ってさ。短歌は石川啄木*8ぐらいしか知らなくて、とにかく 5・7・5・7・7 でかけば良いんだなと。

-創作は自然と始められたのですか?

葛原りょう:やっぱりヘッセの詩に感銘を受けてね。生き方にも憧れて、『デミアン』や『荒野のおおかみ』などの私小説、そこには苦しんでいる少年がいるんだけど、要するに成長していくわけね。人間には光と闇の部分があって、闇の部分の自分がどうしようもなくて、苦しむんだけどさ。卵が世界で鳥がその卵の中から抜け出ようと。

「『デミアン』ヘルマン・ヘッセ(岩波文庫)」

生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。鳥は神に向かって飛ぶ。神の名はアプラクサス*9。

今の一節はデミアンの中からなんだけど、要するに鳥は卵から出ようと戦う、そういう人間成長のロマン小説なの。そこに痺れたんだね。それでヘッセのような詩を書き始めた。俺は真似から全て始まっている。俺自身に詩や短歌の才能があるとは思っていない。最初はゼロだと。

-最初はヘッセのような詩を書こうとしていたんですか?

葛原りょう:真似から入ったね。でも、短歌だけは唯一説明できなくて、なぜか 5・7・5・7・7 で書けたんだよね。石川啄木の短歌もそんなに数があったわけでもないのに、そこは書けちゃったんだよな。

「工房ムジカに飾られている葛原氏の作品」

何千冊と読んできた。カミュ*10の『異邦人』やカフカ*11の『変身』とか中編くらいの小説、ヘミングウェイ*12の長編『武器よさらば』など、一時期は 1 日で 3 冊ぐらいの文庫本を読んでいた。とにかく読みまくった。

当時、夏に書店に行くと「新潮文庫名作 100」というフェアがあって、そこにある本を手当たり次第に読んでいた。それだけの宝物で今でもやっている。今はほとんど読書していないのよ。

-暮らしていた家に本がたくさんあったのですか?

葛原りょう:そうね。小学校 2 年から学校に行ってなくて、10 年間ぐらいずっとひきこもりだったの。外出する時は深夜。家庭内がめちゃくちゃだった。あと学校で人間との共同生活ができなかった。共同生活ですごいプレッシャーを感じて、嘘をついて「足が動かない」と言ったのが始まりで、そうしたら本当に足が動かなくなったんだよね。

病院に行って精密検査をしたんだけど、身体的には「何とも異常がない」と診断されるんだけど、歩けなくて。なので、膝をついた状態で手で這っていた。そういうことをするぐらい学校に行きたくなかったんだと思う。

「13歳ごろの写真」

-人がいる状態だと心地が良くないんですね。

葛原りょう:そう、プレッシャーをすごい感じる。家でも気を遣っていたからね。母親と父親が事ある毎に口喧嘩。バイオリストなんだけどさ、母親は気が強くて父親に牛乳をかけたり、ガラスが割れる音ばっかりなのよ。だから、音にすごく敏感で皿が割れる音にビクッとする。目の前に包丁が飛んできたからね(笑)。

手をついたり車椅子や松葉杖を使って、3 週間に 1 回は学校に行くんだけどね。アトピーが特にひどい時は包帯を顔中に巻いて、ミイラ男になっていたんだよね。そういう毎日だったので、周りも気を遣う。先生が「優しくしろ」と言うと、周りは余計に気を遣うし本当の意味で友達がいないんだよ。

だから友達が自分の中では大きい。今こうやって人と珈琲を前にして喋っている、その原体験は友達が欲しい(笑)。友達 100 人できるかな、それを 40 何歳まで続けているということね。

-素敵ですね。

葛原りょう:ひどい中年だよな。40にもなって。小学校 4 年生の時に家が全焼しているんだよな。母親がついにぶちぎれて油をまいたと俺は思っているんだけど。

-原因は分からず、ですか?

葛原りょう:原因は天ぷら油。母親は火の回りから走りまわって逃げて、命は助かったんだけど大火傷。それで三鷹にいれなくなった。

-三鷹に住まわれていたんですね。

葛原りょう:そうそう、三鷹。幼稚園の時は公文に入っていて頭は悪くなかった。勉強できる子でさ、幼稚園の時には割り算、分母の計算もできていた。その頃は三鷹幼稚園に通っていて、それが太宰治の墓の裏なんだよね。太宰治の墓と知らずにそこで遊んでいた。

-どういう遊びをされていたんですか?

葛原りょう:ひとりで虫を触ったり暗かったね。でも、幼稚園の時は友達が多かった。今でも覚えている。りょうくんが俺を含めて 3 人いてさ、菊池りょう、青木りょう、葛原りょう、その3人でよく遊んだね。

「1歳の時の写真」

-小学生の時、家ではどのように過ごされていましたか?

葛原りょう:家にいるからファミリーコンピューターをずっとやっていたね。ゲームが凄くて両親が寝てから始める。スーパーファミコンになった時はびっくりしたね。音やグラフィックの良さ、俺はファイナルファンタジー党なんだけど、「なにこれ、クラシックみたいな音じゃん」って、Ⅲ から Ⅳ になった時は感動しまくったね。

ドラクエⅣはその時まだファミコンだった。「エニックス*13頑張れ」と思ったんだけどさ。

「ドラクエⅣ(ファミリーコンピュータ)」

とにかく、ゲーム人間でひとりでしているから大体、ロールプレイングゲームなんだよ。だから、ロールプレイングのゲームはかなりの作品をやった。タイトルたくさん言える、ここでは言わないけれど(笑)。

-今振り返ってみて、当時のゲームはどうでしたか?

葛原りょう:当時のゲームは想像力が働くんだよね。今のゲームはすごい綺麗で声優も一流だし、映画のようで想像力が働く余地が少ない。当時は声優もいないし話す時も北や南に向かって話す。北や南に向かって話すのはドラクエⅠの話だよ(笑)。

-東西南北、4つの方向しか向けなかったですよね。

そうそう。それでも全然苦じゃなかった。ゲームを再開する時、冒険の書にパスワードを入れるんだけれど、間違えると続きが出来ない仕組みだった。

-厳しいですよね(笑)。

葛原りょう:平面だから実際と違う。頭の中では勇者になっていて、会話も頭で声に出しているわけよ。思い込みで。そういう風に想像力が働いたていのよ。だから、ゲームをやっていたから詩人になったと言ってもいいくらい。

-平面という制約があるがゆえに現実世界に変換する力が働くわけですね。

葛原りょう:そうそう。今の子供は今の時代の楽しみ方があると思うけど、当時は不足している分、イマジネーションできる可能性が溢れていて、それはゲームだけじゃなくて、様々な側面でそうだった。だから、空想する少年になっていたね。

武者小路実篤もヘッセもそうだけど、空想するんですよ。タイトルに「空想先生」とあるぐらい、理想主義、いい社会を想像する主人公が武者小路には多くて。それが15歳ぐらいなので、それまではゲームとファンタジー小説。水野良*14さんの『ロードス島戦記』、田中芳樹*15さんの『アルスラーン戦記』は大分読んでいたね。

-ゲームから小説にイマジネーションを働かせる対象が変わっていったんですね。

葛原りょう:そうそう。やっぱり自分が好きなのはファンタジー。SF も好きだったけどさ。頭の中には自由な世界があってさ、その延長線で新しき村の生活もあった。農業をやりながら本を読んで暮らすのは夢でもあったからね。小学校 2 年までしかほとんど学校にいっていないけれど、そうはいっても時々は行っているから、小学校も中学も校長室で卒業証書をもらっていた。

-高校へは進学されたのですか?

葛原りょう:高校生の年齢になってこれが最後だと思って、もうこれ以上、人と違う生活を送れないと思った。それで農業高等学校にぎりぎりで試験に通ったのよ。三鷹で火事になったのが小学 4 年生の時、それからは武蔵小金井で暮らして桜ヶ丘に移った。三鷹で大きな火事を起こしたからそこではもう暮らせない。消防車が6~7台きて周りも焼けたからね。

-こんなことをお訊ねするのもあれですが、火事の時はどういう心境でした?

葛原りょう:火事の時は学校で放課後バスケットボールをやっていた。ひとりでやっていたんだけどさ(笑)。そしたら、煙が見えたんだよ。「あっ、火事だ。すげえ」と思っていたら、チャイムが鳴って「葛原君、職員室に来てください」って。先生と一緒に帰ることになり途中で火事になったと聞かされた。

マンションなんだけど、家にいったら真っ黒で玄関から庭まで全部見通せちゃうの。

-マンションなんですね。

葛原りょう:生き物が好きだったからザリガニや熱帯魚、鳥とか飼っていたんだけど、鳥籠も焼けていた。とにかく匂いがすごくてね、焼け跡の匂い。本当に匂いだけは記憶に残るね。木造じゃないから不燃物が焼けた匂いがするの。親父の寂しく立っていた姿は覚えているね。それで、叔母とおばあちゃんが来て抱きしめてくれたのを覚えている。あとは服も何もないから学校のクラスから段ボール2箱分くらいの服をもらった。

もらい癖がついたのはそこからだね(笑)。みんなのものは俺のものと思っているのも、そういうこと。逆に俺のものは全部持っていってくれとも(笑)。

俺の原稿、ノートパソコンだけは守りたいけど、ここ(工房ムジカ)にある物もなくなってかまわないんだよ。分け合うこと。理想的な社会、物々交換のある生活、武者小路さんは理想社会についてたくさん書いていたから、そういうのに痺れて、新しき村にも行ったしね。

-新しき村はいつごろから存在するのですか?

葛原りょう:大正時代からの共同体なんですよ。世界で一番古い共同体のひとつ。ちょうど今年、2022 年に新しき村は解散した。村人はみんな出ていって、膨大な土地だけが残っている。俺がそこに戻って若い人を連れて耕したいんだけどね、本当は。新しき村でも虐めがあったからさ。理想社会とは言っていたけど、村人は理想ではなかったんだな。


*1 島本須美…1954年生まれの日本の声優、ナレーター。「ルパン三世 カリオストロの城」(1979年)のクラリス、「風の谷のナウシカ」(1984年)のナウシカなどで知られる。
*2 クラリス…『ルパン三世 カリオストロの城』に登場するヒロイン。モーリス・ルブランによって書かれた小説『アルセーヌ・ルパン』シリーズの『カリオストロ伯爵夫人』がモデルといわれている。
*3 池田秀一…1949年生まれの日本の声優、ナレーター。『機動戦士ガンダム』のシャア・アズナブル役をはじめ、『名探偵コナン』の赤井秀一役などで知られる。
*4 コルベット…軍艦の艦種の一つ。風の谷のナウシカ内では航空機として登場する。
*5 新しき村…武者小路実篤らにより創設された埼玉県および宮崎県にある村落共同体。
*6 武者小路実篤…日本の白樺派を代表する小説家。ゴッホやレンブラントなどの西洋美術を日本に初めて紹介した人物としても知られている。
*7 ヘルマン・ヘッセ…ドイツ生まれのスイスの作家。20世紀前半のドイツ文学を代表する文学者として知られている。
*8 石川啄木…岩手県出身の日本の歌人、詩人。旧制盛岡中学校中退後、『明星』に寄稿する浪漫主義詩人として頭角を現す。
*9 アプラクサス…ヘレニク・グノーシス主義の初期教師であったバシレイデースの「宇宙論」に付随して提示されたもの。
*10 カミュ…フランスの小説家。1930年代から1950年代に多くの作品を発表しジャーナリストなど幅広い分野で活躍した。
*11 カフカ…現在のチェコ出身の小説家。幻想的な彼特有の作風を持つ。
*12 ヘミングウェイ…20世紀を代表するアメリカの作家。シンプルで力強い文体とリアリズムの描写で知られている。
*13 エニックス…1982年に設立。ゲームソフトウェアを開発・販売していた。2003年にスクウェア(Square)と合併した。
*14 水野良…日本の作家、ゲームデザイナー。『ロードス島戦記 灰色の魔女』で小説家としてデビュー。
*15 田中芳樹…日本の作家。彼の作品は文学的な要素とエンターテイメント性を融合させたものとして、SFやファンタジーの分野において重要な存在となる。



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