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「星の語るを」(葛原りょう)
こんなにも
懐かしさで占められた わたしの胸は
別れた友人でいつも賑やかで
手をふって、また手をふって、
ふり続けることで、
終わりにしないで、
君を
終わりにしないで
わたしを終わらせないで
弦の糸の切れても
とわのワルツを踊ろうよ
§ § §
人型の輪郭を保つので 精一杯な歩き方です
捨て猫の型、野良犬の型、狼の型、
すれ違いざまの涙
型の輪郭が破け──
そんなとき
星は並び方を間違えます
オリオンの三つ星は崩れ
リゲルがデネブと手をつなげば
神話はもう 違う結末
§ § §
殺された星は生きていて
逐われた星は静かな海に憩うのです
並び方を間違えた星の下で
愛し合うことができれば幸せ
いま、かすがいの このひと時を
あなたと過ごせたならば それは幸せ
そして 何度でも手紙を書きます
「拝啓、その後お変わりありませんか?
わたしは変わりました
なぜとは知らず
しかし確かに変わったのです
季節が二度とは戻らぬように」
§ § §
万感の朝焼けに縛られて
よぎる東雲の鳥の群れ
終わりにせず
終わらせもせず
すれ違いざまの
あらゆる眼差しを結びながら
駆け足で遠ざかる人の
星の語るを
わたしは聴いた
葛原りょう:技術とかではなくてすべては格なんですよ。詩の格があってもはや個人の粋じゃないんだよね。全世界、宇宙と詩が等しいと思っていいぐらいの感覚。
葛原りょう:そうそう。難解な詩は書きたくない。優しい言葉だけで落としたのも書きたくない。それは谷川俊太郎さんがもうやっているから。半分は堕落だけど半分は言葉遊びを含めて詩を普及したよね。
「かっぱかっぱらった」とかは谷川俊太郎から聞きたくなかったけどね。彼は『二十億光年の孤独』、『六十二のソネット』を刊行していたり、「私は人を呼ぶ すると世界が振り向く」というフレーズを詠んでいたりさ、宇宙と私との関係を哲学的な手法を持って書いていたよね。彼はよっぽど哲学的だったけど、途中から大衆に落とし込んでいったね。「朝のリレー」は良い作品だけど、それ以降はやっつけ仕事に見えてしまう。
葛原りょう:そうそう。もっともっと彼は哲学を極めた詩を書いてほしかったのよ。その階段を下りて幸せで金持ちで。まあ、最初から金持ちだけど(笑)。20代でスポーツカーを乗り回していたりね。
親父が哲学者の谷川哲夫で友人が三善達治で彼の序文をもらって、詩集を出せたからね。芥川賞作家が出るような雑誌の文学界に 16 歳で「ネロ」の三部作。でも、彼は彼の悩みがあるのよね。詩が書けちゃうという悩み。その苦しみ。それは谷川俊太郎から感じている。
葛原りょう:自己模倣はなるたけ避けたいね。無限にできちゃう。
葛原りょう:だから、即興をしていてもある程度の基準しか出来ていない自分は許せない。即興もある程度はすぐにできるのよ。詩の用語や語彙はあって、俳句をやっていると特にそれが身につくのね。俳句をやっているおかげで即興が出来ている。俳句は瞬間で書くものだよね。即興朗読は可能性はあるんだけど、マンネリ化してしまう自分には辟易している。
葛原りょう:だけど、聴いている人が幸せになってくれることが一番だ。でも、自分も幸せになりたいからね。言葉の方で少しは満足したい。宮沢賢治も「全世界の幸福がないかぎり、個人の幸福はありえない」と言っていたね。全世界の幸福と個人の幸福が瞬間で訪れないといけないなと思うな。
自分の幸福が全世界の幸福より下の価値じゃなくて、幸福は等しくある。全世界の幸福と同時に自分も幸福であることが理想かもしれないね。宮沢賢治と少し違うのはそこかな。段階があってそうなるのは分かるんだけど、そうじゃなくて同時。今、自分は幸せであるように思いたいと。
宮沢賢治はどこか自分の幸福をおざなりにしている気がするね。彼自身、お父さんが許せなくなったり、お金の貸し借りの仕事をしているから、家が許せなくなったのかもね。
葛原りょう:あるね。あるけど、望んでも得られないことを知っているから望まないようにしている。望んだら無理な力が入るから、自然に到達できる道がいいなと。だからガツガツしないでね。詩即宇宙、宇宙即詩、そういう詩を書きたいね。それは、ナナオサカキ*55の「ラブレター」という詩なんだよね。
彼は良い作品を残している。宮沢賢治も宇宙即詩を残していると思う。中也も良い線いっていると思う。中也は人間がみえるから宇宙観はそこまで感じないかな。それであれば、金子みすずの方が哲学的だと思う。願わくばそういう哲学的なことを、哲学的と思わないで、即表す、楽園的なる言葉を作りたいよね。みんなが入国可能である詩を書きたい。……みんなが入国可能、それはひとつ大きいかもしれない。
要するに難解にならない。簡単でもない。そこの感覚はずっと保っているようにするには努力がいるね。元々はヤクザ的なところがあって、ビート詩人とか、今ムジカの本棚をみてもブコウスキーとか目に入るね。こういうのが趣味なんだなって(笑)。
俳句、短歌は書いているけど、忙しすぎて詩を作れていないね。ナナオサカキのラブレターのような詩が書けたらそれだけで違うんだけどな。
葛原りょう:それが難しいところ。外部からの触発、5~6割。自分と言うのはそんなに多くない。書く内容は自分になるんだけど、書くきっかけや動機は、要するにイマジネーションを与えくれるもの。他者の隕石。隕石が地球にぶつかって化学反応が起きて鉱物がぶつかって、そんな感覚なのかもしれない。
そういう出会いを待っているし、常に欲したいし、その出会いの確率を高めたい。だから、ここを作っている。ここには、堀口くんや笹谷くん(インタビュアー)のような隕石がいるわけだからさ。
葛原りょう:大きいと思う。だからどこまでも社会的。それが政治的になると権力になるから、与謝野鉄幹が政治家になるとダメだと思うけど、やりたくなるのは分かる。自分の中には政治家の要素が結構あるのよ。だから、嫌だね。俺に詩がなかったら共産党で立候補して志位委員長みたくなっているかもしれない(笑)。
葛原りょう:色んな血があるの。盲目の葛原勾当の血もあれば、農民の血もあれば、祖先は九州の大友宗麟だからさ、王様の血もある。葛原しげるじゃない方の俺のひいおじいさんは東条英機内閣にいた大山文雄中将だしさ。
葛原りょう:関東軍や二・二六事件の裁判に関わったりね。あとは葛原大明神といって百姓のために年貢を安くしてくれと切腹した人もいる。義民の血もある。自分の中には色んな血があるなって。
葛原りょう:初期の東条英機内閣。1945年8月15日に切腹した阿南惟幾*57という陸軍大将がいるんだけど、それと大山文雄は義兄弟だからさ。唯一、戦争責任を個人でとったのは阿南惟幾。みんな、生き延びて東京裁判で首つりになるんだけどさ。阿南惟幾は切腹して「一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル」と血文字の遺書を残しているんだよね。
よっぽど政治家の血が強いからちょっと参っているね。共産党にも関係があったから未だに YouTube に自分が演説している映像が出てくるんですよ。「取り下げてくれ」と言っているのに、取り下げてくれないのね(笑)。2,3回強く言ったのに無視された。人権を守ってないよねって(笑)。俺は共産党も大好きで極右の思想も嫌いじゃない。要するに、土地を守る、根差して愛しているというのは同じだからさ。ただ、日本国とは思いたくない。ただの島であってアジアがあってそこで暮らしているだけ。
いつか地球から国という概念がなくなった時は幸せなんじゃないかな。地球一国民、地球一民族。土地でみんな違うんだから、「みんな違ってみんないい」と言うと金子みすずのコピーになるけど、みんな違ってよしとする社会にならないと地球が壊れちゃう……、という話をするとガンダムになるけどさ(笑)。
シャーの隕石落としの話になるね。でも、その気持ちわかるよ。地球を休ませなければいけない。シャーは好きだね。赤い詩人と呼ばれたいね(笑)。
*55 ナナオサカキ…日本の詩人。1950年代から放浪を始め、60年代には新宿でヒッピーコミューン 「部族」を結成。
*56 ブコウスキー…アメリカの詩人・作家。酒や女、競馬を愛し破天荒なスタイルを貫いた。
*57 阿南惟幾…日本の陸軍軍人。1945年4月に鈴木貫太郎内閣の陸軍大臣に就任。
(俳句、短歌では髙坂明良こうさか・あきら)

【プロフィール】
1978年東京都三鷹市生れ。幼少より病で籠りながらも太宰治の墓裏で遊び、少年期は不登校をしながら釣りに興じる。10歳の折に自宅全焼、以降居を転々とする。中卒前後、読書体験にて文学に目覚める。18歳で家出をし共同体「新しき村」に入村、農業に約2年半従事する。その後、埼玉県を転々としながら創作活動に明け暮れる。20代半ばに東京根津、谷中に落ち着く。バイクで全国を放浪する。日暮里谷中で出版社「工房ムジカ」とBAR「日暮里モンパルナス」オーナー。酒、煙草、保護猫クリムを愛し、現在、定型句集、自由律句集上梓に向け活動中。
詩集に『朝のワーク』、『魂の場所』(H氏賞最終選考)、歌集に『風の挽歌』。同歌集で第八回日本一行詩大賞新人賞受賞、第四回芝不器男俳句新人賞対馬康子奨励賞受賞、第三回黒田和美賞受賞、ほか受賞多数。短歌は「月光」主宰福島泰樹に師事。俳句は「河」主宰映画監督角川春樹に学ぶ。他朗読絶唱バンド「ムジカマジカ」リーダーとして仏国パリ公演を成功させる。『大衆文藝ムジカ』代表。「ラジオ成田」レギュラー。
曾祖父に童謡作家葛原しげる「夕日(ぎんぎんぎらぎら夕日がしずむ)、村祭り(どんどんひゃららどんひゃらら)、とんび(ピンヨローピンヨローとべとべとんび空高く)」、大山文雄(東条英機内閣法務省中将)がいる。