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「鉱石」(葛原りょう)
地球という鉱石のなかで
こんなにも発掘してしまったからには
わたしはもう
鳥や雲や有象無象の
ましてや わたし自身の発掘などに
いそしむわけにはいかないのだ
流れてゆくことは
流されてゆくことだろうか
わたしが夕べ 川面に置いた笹舟が
今朝 あなたの入り江に着いたとしても
それはわたしの笹舟ではない
冬に 別れしな
「ありがとう」と言ってくれたね
それはあなたの真実だろうが
わたしにとっての真実とは随分違ったよ
「北斗七星のひしゃくをのばして
北極星を見つけてごらん……」
これはわたしにとっての真実だったのだけれども──
〇 〇 〇
すべてがサヨナラだったのか
地球のひとつのわたくしは
緑柱石の夢
ラピスラズリの歌
瑪瑙の愛を発掘しては
「わたくし」という化合物との相性を
天秤にかけて世界を
顕微鏡越しに覗いていた
さりげない 小児(こども)のような眼ざしで──
この指に触れたのは土である屍で
そこから生えていた苔、羊歯、胞子は、
わたしの半身を既に覆っていた
切り離したかったのは
わたしのそんな右手であったか
発掘するとは 痛いことだ
ハンマーとタガネを持つ
打つ
くあん と鳴ってわたしが生まれる
空気にふれてわたしが変わる
はじめ わたしは愛だった
はじめ わたしは歌だった
打つ
くあん と鳴って あなたが生まれる
はじめ あなたも歌だった
人は このようにして削られてゆく
〇 〇 〇
鳥が生まれて
重力が生まれたのだろう
わたしが生まれたから
あなたが生まれたように
地球の鉱石のなかで
どんなに光り耀いても
まるで見えないくら闇の中で
互い互いの重力に怯えながら
暮らしながら
くあん、くあん、
くあん、くあん、
どこかで今日も
蒼い火花を散らせながら
葛原りょう:読書は28ぐらいまでかな。それ以降はぱったりと読まなくなった。
葛原りょう:詩集も読むけど、書きたくなる時に、触発を受けるために読むね。短歌、俳句、小説、詩を書くために読んでいる部分はある。20 歳の時に俳句を始めているんだけど、一番短い俳句をやると詩と短歌のためにも良いわけさ。それでジャンルをまたいでやったね。
20 歳を超えて中原中也*16や寺山修二*17に触れるわけね。ちょっと遅いんだけどさ。俺の中での天才というのは15歳ぐらいでそういうものに触れる。
葛原りょう:ほとんど学校に行ってなかったから高校生で頑張ろうと生徒会に入った。立候補も俺一人。バスケ部と生徒会をやりつつ、外ではスカイラークと蕎麦屋さんで働いていた。やりすぎなんだよな。力の配分がわからない子供だった(笑)。それで潰れちゃって高校1年で俺の学歴が終わった。そのあと、クッキー工場で障害者の人と働いたんだよな。そういうこともあったり、色んな体験をしたね。
葛原りょう:そうね。新しき村に行く素地はそこら辺りも大きいね。障害者の人たちと共に生活をしていたから。桜ヶ丘から練馬まで電車で時間をかけて通った思い出があるね。ただ、俺人間の生活がダメでさ、人間といるとそれだけで吐いちゃうような。
葛原りょう:そうね。過緊張。過緊張は今でもずっと解けていない。両親にも内緒で家出する形で新しき村に行った。そうしたら、両親は俺のことを探さなかったね(笑)。何かの拍子で見つかって。テレビに出たからかな。新しき村に暮らしている時にテレビの取材があって、一番若いのが俺だったから主人公にされちゃうのよ。そういう主人公に仕立て上げられた嫌な経験も味わった。
葛原りょう:そうそう。そこでね、色々あったんだよね(笑)。新しき村を出て埼玉を転々としていた時、ある女性と出会った。テレビに出たからなんだけど、その女性はテレビ局に電話をして「新しき村はどこにあるんですか?りょうさんはどこにいるんですか?」と車で尋ねてきた。その子にお世話をしていただいて、とてもありがたかったんだけど、途中から重荷になって逃げるようにまた転々とした。
葛原りょう:新しき村を出た理由は、石を持って追われるかのごとく「堕落した人間だ」と周りから咎められて。唯一の救いは森田尚樹という後の大親友と出会ったこと。彼は哲学のプロフェッショナルだった。私は彼から哲学を教わった。逆に詩や尾崎豊の曲などを森田尚樹に教えたね。
カラオケによく行ったりして遊んでいた。森田尚樹は「村から出ていけ」と言われて 3 ヶ月しか耐えられなかった。それを黙ってみているしか出来なかったのは悲しかった。村の中ではいじめは平気だった。門のところに「この門を入る者は個人と他人の生命を尊重しなければならない」と書いてあるのにさ。村人は全然尊重していない。森田君が出てから1年は自分も頑張ったけど。
新しき村でどうしようもなく詩が降ってきて、仕事の手がつかなくなった時もあって。
葛原りょう:それは村を出ようという一つの契機になったかな。村を出て夜はバイトをして文学を続けた。「詩で食うんだ」と本当に思って、まず詩人として絶対に有名にならなければいけない気持ちがあったの。そのためには賞を獲らなければと。賞を獲るためには投稿して、詩集を出して認めてもらわなければならない。
中原中也賞を16歳で獲っている人もいて、たいていは 10 代や 20 歳ぐらい。みんな、若いわけよ。俺は 20 歳を超えて出遅れたなと。その時にも色んな職業に就いたね。警備員、ピザ、宅配、カクヤス、土型、あとは松屋、松屋、……松屋。
葛原りょう:松屋が多かったね(笑)。2年半ぐらいは松屋にて接客も学んだ。松屋フーズの中で接客グランプリがあって、そういうのに選抜されるぐらいには接客は良かった。きっかり 360g、今でも牛丼盛れるよ(笑)。丼を用意してご飯を 2 回、そこに牛をシュシュっと、これで360gになる。
葛原りょう:グリーンの野菜は 90g、コーンが 15g か。5gも変えちゃいけない。16 歳の時にすかいらーくと大島屋で働いていた時から、飲食には入っているのよ。創作以外でできることは飲食だけ。人といるとダメなのに接客は向いていた。人が何を要求しているかもわかるからさ、気遣いが先回りして疲れているんだよね。それで欝になって。
10 代の時に足が動かなかったのも、すごい強迫観念が強かったのと関係しているよね。精神科には 10 代から通っていて薬も飲んでいた。新しき村を出てからは一番、精神的にひどくて薬漬けになった。破壊衝動もすごくて「農薬を飲み干して死のう」と。農薬を飲んだんだけど死ねなかった。劇薬よ。
葛原りょう:そうそう、もう死のうと思ってね。20 代の前半は毎日死にたい、どう死ぬかばかりを考えていた。新しき村でもダメだったから人生終わったと思っていた。
葛原りょう:そうなんだよ。それこそ本当に詩と死が同時並行だった(笑)。だから自分の詩は応援、エールなんだ。根本的なところしか書けないのよね。重いテーマだからさ、今重いテーマってウケないじゃん。
葛原りょう:しかも、入口は抒情詩人で新しき村は武者小路さんだから白樺派文学*18。自分のこと「我」、もしくは「自分」と呼ぶんだよな。今でも俺は自分を指す場合に「自分」と言ったりする。「我」とは言わないけどさ。石川啄木なんか自分のこと「予*19」と呼ぶ。予は天才であると。本当にイカれているよね。平民なのに「予」だよ。
文学者はそんなもんだと思っていたけどね(笑)。ライトバース、村上春樹的な世界はよっぽど後に読んだね。それまでは、カミュの時代のものが多かったかな。あとはショーペンハウアー*20、ニーチェ*21。まあ色々だね。文学や哲学はとにかく読みまくった。あとは新しき村自体が神秘的な部分があるから、そういう宗教や信仰について勉強していたね。父親が真言宗で母親がクリスチャンだったから、よっぽど、分裂するね。
葛原りょう:真言宗の空海の考え方は好きでさ、真言密教は結構学んだね。今でも光明真言*22を言えるんだよな。「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらはりたや うん」、そういうお経だけどさ。サンスクリット語だね。アボキャなどそれぞれ意味があるのね。
葛原りょう:他の仏教と違って体験主義なんだよね。頭から入って南無阿弥陀仏を唱えて終わっちゃう。だけど、真言密教は違って、自力と他力でまた違うんだけどさ、他の仏教はほぼ他力よ。自力で唱導といって自分をとにかくカルマアップさせる。真言密教の中には理趣経というのがあって、性に対してタブーではないのね。逆に異性と交わること、すなわち、菩薩の境地という……。これ、ちょっと誤解を生みやすいんだけどね。
心理は大宇宙だと。考え方が壮大なドラマで、俺の性分に合っていたね。人間くさいんだよね。自分を努力で高めていく。他の仏教では、やっぱり自力には限界があるから他力にして仏様にすべてを任せなさいと。俺から見たら放擲ともとれる。
どっちがいいかというのは質だと思う。俺はそういう真言密教の世界が好きだから。そこには曼荼羅があって、曼荼羅のひとつひとつが理想社会なのよ。そういう中に囲まれている宇宙観。
葛原りょう:そうそう。新しき村で出会った森田直樹はクリスチャンで牧師になろうとしていた。どもりが凄くて虐められていたんだけど、学長賞などをもらっていたり、頭はとてもいいの。そいつが 24 の時に死んだんだよ。それは自殺に等しくて、食べ物も水も全部断って教会のお祈り中に倒れた。日赤病院で一旦元気になったんだけど、薬の過剰投与による医療ミスがあったのよ。24歳の若さで死んで愕然とした。
そこから俺は黒い紙で朗読するようになった。俺は生涯喪に服すと思ってね。
葛原りょう:気がついてくれていたんだね。ああ、ありがたい。嬉しい。
*16 中原中也…明治40年4月29日生まれの詩人。16歳の時に高橋新吉の第一詩集『ダダイスト新吉の詩』に憧れて本格的に詩人を目指す。
*17 寺山修二…昭和10年12月10日生まれの歌人・劇作家。演劇実験室を標榜した前衛演劇グループ「天井桟敷」主宰。
*18 白樺派文学…1910年創刊の文学同人誌『白樺』を中心にして起こった文芸思潮の一つ。
*19 予…平安時代から男子が用い、明治以降も改まった、あるいはやや尊大な表現として用いられた。
*20 ショーペンハウアー…1788年生まれのドイツの哲学者。主著は『意志と表象としての世界』。
*21 ニーチェ…ドイツの詩人、哲学者。ショーペンハウアーの意志哲学を継承する「生の哲学」の旗手でもある。
*22 光明真言…密教の真言。正式名称は不空大灌頂光真言(ふくうだいかんぢょうこうしんごん)。