グッナイ小形

『いくつもの夜を越えた詩』
グッナイ小形が孤独を埋めるワケ

タイトル:ライフイズペチャクチャ

※本人の楽曲を聞きながらインタビューを読めます

東京・高円寺の路上にわびしくもあり優しい詩がありました。
ボサボサの髪の毛に人懐っこい目をしたグッナイ小形さん。その詩は人生に”やりきれなさ”を感じる人々の救いのようです。

今の彼の詩を形成した1枚のアルバムとの出会い、なかなかうまくいかない少年時代。赤裸々に語るグッナイ小形さんの言葉を皆様にお届けします。

ファーストアルバム『正気です。』をリリースし、2019年7月15日には100人ワンマンライブを敢行し歌い手としてどんどんと魅力を増しています。精力的に活動を続けている彼の詩はどんな風に変化していくのでしょうか。そのヒントが当インタビューに隠されているのかもしれません。

さあ、とてもとても人間味のあるグッナイ小形さんを知る旅へと参りましょう。

『それをきっかけで教えてもらって、そこから全部変わってしまった』

<インタビュー>

1.なぜ音楽をやっているのですか?

グッナイ小形:元々は衝動的にはじめっちゃたもんだから、それが思ったよりも良かった。でも、やっぱり、僕が出会ったのが音楽だっただけだと思うんすよ。
それが仕事な人もいれば、詩だったり、演劇だったりとか、その中でこれがやっぱり一番、自分の中でフィットする表現の方法だったということですね。

-いつ頃からやられているんですか?

グッナイ小形:3年、3年ちょい前ぐらいで、心がガッとなっていて、欝っぽい時期があって、その時大学の4年生で、24だったんすけど、その時にがっつりはまっちゃって、曲はずっと作っていたんですよ。

やったことなかったんですけど。詩を作るのは。すごい、あるじゃないですか、中学生のクロ歴史みたいな、それがずっと、続いていたみたいな、詩だけはずっと書いていて。なんか、メロディも作ってたりだとか、誰にも言えず。

これやってみようと思って、最初、ギター弾けなかったんで、横にひとりいてもらって、ユニットで歌うみたいな。

-元々北海道で、その時に始められていたんですか?

グッナイ小形:北海道の大学の4年生になるときぐらいですね。

-ちょうど(精神的に)おちている時期でしたか?

グッナイ小形:おちているのと、重なっちゃった。友部正人さんを聞いて1972年にこんなことが、起きていたんだと思って。それが一枚のアルバム『にんじん』。こんな音楽あったんだ。これは音楽かどうかわからなかったんだけど、こんな詩があったんだ。だから、音楽をやっているのは詩人になれなかったから。

詩を普通に書きたいんですよ。多分、ずっと、書いていたんで。でも、そこでごまかしている。ごまかしているという言い方はあれだね、音楽はちょっと便利で。そこまでしか言葉が紡げなかったというのはちょっと関係がありますね。音楽は手段でしかなかった、そういう意味では。

詩人になりたかった、それになりきれていないし。

-詩を書かれていて、音楽をツールと考えた瞬間とかあるんですか?

グッナイ小形:瞬間はやっぱり、『にんじん』を聞いて。あれ完全に詩なんですよね。あのアルバムって。「ふーさん」から始まって「乾杯」があって、「一本道」があって、「君がほしい」で終わる。
あれはもう詩なんだ。あの人が完全に詩というものを音楽という手段を使って、伝えているだけで。

その衝撃を感じて、詩なのか音楽なのかわかんない、こういう音楽の作り方があるんだ。
それは1970年代に起こっていた。僕はフォークと言えば本当に神田川くらいしか知らなくて。

-友部正人さんの歌はどこで触れたんですか?

グッナイ小形:小樽。大学が小樽のずっともう入り浸っていた喫茶店、学校にもいけず、家にも帰れず、一日中、ずっとそこでお酒を飲んでいるみたいな。そういうところで、結構有名なツアーミュージシャンとか色々きてて、そのライブの手伝いとかも時々していて、ツケた分をライブのバイトで返すみたいな、そういうことをしていて。

-お店の名前伺ってもいいですか?

グッナイ小形:「ぐるぐる」、まあ、ちょっと今は喧嘩しちゃったんですけど。

-そこで、そのマスターに音楽を教えてもらったりしていたんですか?

グッナイ小形:まあ、あの正確に言えばもともと僕、森山直太朗が好きで、「さくら」だけじゃなくて、めちゃくちゃ良い曲がたくさんあって。ずっと聞いていて。

友部さんのことを初めて知ったのは、「ぼくらの音楽」かなんかで一緒にやっていて、「こわれてしまった一日」を歌っていて。なんだこの人と思って、初めて聞いたのがその時で、それで、その話をマスターにしたら、「うちに二年に一回ぐらい来るよ」って。

それをきっかけで教えてもらって、そこから全部変わってしまった。

-それで、「すぐ始めるぞ!」となったんですか?

グッナイ小形:「やるぞ」っていうのは、やっぱりつながったんですよ。ずっと書いていたし、人知れず。大学生の時ずっとノートを持ち歩いていて授業のノートと一緒に。それで授業中に書いて。

-詩の本とかは読んでいたんですか?

グッナイ小形:詩の本、読んでいたんだと思う。

-中学生ぐらいから詩を書いていたんですか?

グッナイ小形:小学生ぐらいから書いていましたね。高校生ぐらいの時はあんまり書いて無くて、大学の時にまた書いて、ちょくちょくなんかこう、なんかね、そういうサイトがあったんですよ。

クロ歴史みたいな感じで、詩を投稿するサイト、名前わかんない、忘れちゃったけど、詩を300件ぐらいずっと投稿していたんですよ。

しかも、それが大学を一回辞めて、旭川の大学にいって、辞めて入り直すというのが20歳ぐらいで、その時ぐらいから再入学して、浪人生時代は、まあ、ある程度勉強はできるから、時間有り余っていて。そこで悶々としたものを詩書いて発散して、友達同士で交換してみたり、そういうことをやっていた。人知れずやっていたのが、繋がった感じ。

ああ、じゃあ俺もやろうと思って。

『だから酒飲むのも一緒なんですよ。ライブの状態、できるだけ緊張感も落として、空の状態でライブをするという』

2.創作の方法について教えて下さい

-書き溜めていた詩を使っていたりするんですか?

グッナイ小形:溜めていた詩、今、歌っているのは、2曲ぐらいですかね。そこである程度の下地ができちゃってたんで、作るということに関して。

だから、わりとぱっと思いついて、ぱっと書く。そこに音楽が入ってきたら、そこと音楽が一致するんですよね。この言葉、このフレーズ、この言葉でワンフレーズ降りてくるんですよね。

「おやすみ」という曲だったら、「10年前の哲学とビールと変わらない信号機 おやすみ 放っておいたレコードとカラスと革命前夜の笑顔 おやすみ」というのが最初に出てきて、ああもうこれだと思って。そこからもう。

「きみは、僕の東京だった」という曲なら「君は僕の東京だ」という言葉から。だいたいそうですね、サビとかAメロとか。

-言葉があってメロディが浮かんでくる感じですか?

グッナイ小形:結構、同時にですね。自然と。

言葉だけ出ちゃって、それがストックされている状態もあります。企画の名前に使ったりとか。ワンマンの名前にしたりとか。どこかにぶちこんで。

-(言葉の)フレーズをずっと持っている状態なんですか?

グッナイ小形:持っているというか、今もそうですけど、なんか聞こえてきたときにこれいいなってなって。
感動できるような、手の広げ方をしている。何も考えていないです。

-何も考えていないで生きている?

グッナイ小形:ほんとうにそうです。何も考えないことでやっぱり周りの音とかも聞こえる。こうやって話しているときとかも、気持ちの盛り上がりとか。そこらへんに素直に感動できるような生活になっちゃったから。あんまり深く考えていないな。

頭がだいぶ弱くなってしまった。

前と変わっちゃいましたね。すぐなんかあった言葉に、俊敏に反応できるようにして、その言葉を考えていたら、フレーズがすっと頭に降りてくる。

-以前、カフェを経営していたと聞きましたが、その時とは、また違った感覚ですか?

グッナイ小形:全然違いますね。あの時も何も考えていなかったですけどね。大学生の時、カフェをやっていたんですけど、その時にやっぱり腐るほど暇だったので、音楽を聴きながら、そこら辺の時期ぐらいからですね。

-創作の方法っていうのは空の状態にするというのが一番大きいんですか?

グッナイ小形:ああ、そうです。だから酒飲むのも一緒なんですよ。ライブの状態、できるだけ緊張感も落として、空の状態でライブをするという。

人と接する時も、絶対なんか先入観とか持たないように。そういう風にして、するために、酒が。ただのアル中なのかもしれない。

-(笑)

グッナイ小形:「手段として」という風の意味合いの方が大きいかも。

-お酒を呑んだ方がリラックスするから、あんまり緊張状態を作らないようにしているのでしょうか?

グッナイ小形:出来ちゃうじゃないですか。そこまで、もっていけない。自分自身が甘々だから。甘ちゃんだから。緊張したら緊張しちゃうし、うわぁって。いいところ、いいゆるさを保つために。

リハなんかよりもよっぽど重要。だから、今日とかはいいライブできる。こういう状態でいろいろ話して。もう一杯ぐらい飲んで。何とも言えないこう、気の緩み方と気の貼り方。

-やり方は全然違えど、イチロー選手ぐらいストイックですね。

グッナイ小形:やり方が全然違う(笑)
イチローがお酒をガバガバ飲んでいたら、めちゃめちゃ面白いじゃないですか。

僕の場合は、そういう詩の吐き方の模索というか。まず、やっぱり自分自身が空っぽというか。フラットな状態に持っていくために。それをしちゃうとかなり楽なんですよね。創作にしてもライブにしても。変に奇をてらわず。気がしているだけなのかもしれないけど。

-それがある種、創作の方法なんですね。

グッナイ小形:ただ、ガッとやるときにできなかったりするんですよ。そういう状態だと。やんなきゃいけないことがあるとき、ダラダラやったりだとか。そうなっちゃう。弊害は、あまりにも生活に対して大きすぎる。

-ちなみに小さいころ、ピアノを習われたりしたことはないんですか?

グッナイ小形:あります。ギターもまだ2年半ぐらいしかやっていない。
鍵盤最初に持ってきて、フレットって似てるかもしれない。

-コードを決めるときは、先に歌があるんですか?

グッナイ小形:完全に音域ですね。ギターも僕全然うまくないし、知識もないし。だいたい、5,6,7カポのCか1,2,3カポ、カポなしのG。

1フレットだけあげてCのセーハをやってみたり、そうやってなんとかごまかして。無頓着で。別にくそみたいなギターでも、めちゃくちゃいいギターでも。遠征とか行くときは全部借りるんですよ。自分のギターに対しても愛着ないから。大阪に行ってその足で札幌いくんですよ。

その時に大阪でギター借りて、札幌でまたギター借りて。いい意味でも悪い意味でも、あまりこう楽器っていうものに左右されるような、あれでもない。音響とかも一緒なんですよ。

だから、路上でやるんです。
このぐらいのキャパぐらいだったらいらないよなって。

-そういう向き合い方なんですね?

グッナイ小形:向き合っているのか、向き合っていないのか、わかんないけどね。

『あの70年代の吉祥寺とか、中央線あたりにうごめいていた、名の知れぬフォークミュージシャンのことをもっと知りたいし』

3.好きなアーティスト、憧れのアーティストを教えて下さい

-さっきの話とかぶりますが、好きなアーティストは誰でしょうか?

グッナイ小形:やっぱり、友部さん。と、そこらへんに生きたフォークの70年代、陽水とか、高田渡とか、加川良とか、あのあたりのアングラフォークの。

-最初に聞いた衝撃がすごくて?

グッナイ小形:聞くじゃないですか、その時代にいた人たち、環境にいた人たちの歌。そういう時にやっぱり、共通して感じるものというのは、例えば、反体制とか、反権威とか、そういう安っぽいものじゃなくて。
やっぱり、あの70年代って、ココリコ坂みたいな、ジブリの。あれって学生運動。学生運動だったり、安保闘争だったり、別に僕そこらへんの思想、寄っているとか寄っていないとかはないんだけど。

単純にあのエネルギー量というか、学生が何かを信じて、自分のそれがなんなのか、自由なのか、何かにガッとみんなが熱中して、すごい稀有な時代だと思ってて。

そういう時代背景があり、だからこそ、ああいうフォークが生まれた。独特なそのアングラフォークの、その時代だったからこその。今は個人主義になりすぎちゃって。

-それぞれが細分化されちゃっている感じですよね。

グッナイ小形:単純にうらやましいですね。ああいう、エネルギーの発散の仕方というか。逸脱するか、のっていくか、その中での個人という流れが。そういう時代背景がある。なおさら、多様でちょっと悲しくて、あの時代のフォークのすごい良いところって、喜怒哀楽の真ん中にいてて。悲しいときとか嬉しいときとかって、聞く音楽が変わるじゃないですか。

でも、あの時の音楽って、友部さんも大体そうなんですけど、聞いちゃうと、全部の感情を全部しまってくれるんです。楽しいときは落ち着かせてくれるし、悲しいときは悲しいままでいさせてくれる。ちょっと元気づきたいときは元気づくし。まあ、完全にバイアスがかかってますけどね。

-友部さんのそういうところに憧れがあったりするんですか?

グッナイ小形:そういう音楽をやりたい。だから、やっぱり、ライブミュージシャンとかになりたいとか、あんまりなくて、まあ、売れたいですけど。それよりもやっぱりそういう曲がばっと、たくさんあるというか。

曲の方が大事かな。やっぱりあの時代の人、そういうアーティストというか文化というか、それが単純に反戦とか反体制とかならなくていい気もするし、昔のフォークみたいに。左翼だの、フォークだの。それはまあ、個人の分派としてそういう方向に行ったときに。

そういう時代の音楽って聞いた中で、あの70年代の吉祥寺とか、中央線あたりにうごめいていた、名の知れぬフォークミュージシャンのことをもっと知りたいし、そういう中にああいう人たちがいて。っていう、なんかリスペクトをすごいもっている。
みんな、死んでますけどね。死にはじめてますけどね。

-フォークに触れたのも北海道の喫茶店なんですか?

グッナイ小形:バンドのアルバムとか、弾き語りとか。好きなミュージシャンはたくさんいるんですけど、やっぱり、そこでアコースティックなものが耳になじみやすかった。

クリープハイプの何がカッコいいって、Youtubeに10年前ぐらいにあがった「ボーイズ END ガールズ」で、画質もガラケーで撮ったビデオみたいなやつで、コインランドリーとかで撮ってるやつで、それを見たときに、やっぱりクリープハイプを好きになったし。はじまりはやっぱりある程度そういう感じで、アコースティックみたいなところで。そこからフォークを知り始めて。


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