尾崎友直


※本人の楽曲を視聴しながらインタビューを読めます

ベストを尽くした、やりきったんだって自分に思えるぐらい

渋谷 円山町にある秘密基地のような場所。
想像力を掻き立てる音の発信地EARは、いくつものいい音楽と夜を生んできたことでしょう。

EARの経営者であり、また、創造的な作品を生み続けるアーティストでもある尾崎友直さん。
心の琴線に触れる音楽と言葉を私たちに届けてくれます。

ギターに詩、常に創ることとともにあった根源を今回の取材で少し知れた気がします。
影響を受けた9つの作品では、9つの言葉をご紹介いただきました。その言葉の詩的な側面を感じてみてください。

aulymosquito代表「笹谷創」が「尾崎友直」に取材を敢行。
力の抜けた、まるで音楽のセッションのような会話の中に、その生き方を知る手掛かりはありました。

『アメリカの方は日本語が分からなくても、僕の気持ちは伝わるなと思ったの』

<インタビュー>

1.なぜ音楽をやっているのですか?

尾崎友直:実際に人前に出て、演奏するライブは昨年でもうやめたので、自分の名前が出て、告知されて演奏されるというのはやらないから、どちらかという辞めてるんだよね。

笹谷創:-昨年で区切りをつけられた理由、心境の変化等はあるのですか?

尾崎友直:その3年間ぐらいかな、その間も(ライブを)年に一回ぐらいにしようと思って、極力減らしていたんだけど、結局、辞めたのは音楽の優先順位が結局下がったから・・か。

笹谷創:-その3年間の中、「年に一回しよう」という時もガンガンやっている頃よりは、優先度が下がりつつあったってことですか?それは、聖書のことを伝えるというのも大きいのですか?

尾崎友直:関係はやっぱり大きいですね。大きいね。…普通の、いつもの、しゃべり口調で話していいんだよね(笑)緊張するね意外に。

笹谷創:-聖書を伝える活動が大きくなって、物理的に時間を割くようになったから、音楽の優先度が下がったってことですか?

尾崎友直:そうだよね、音楽にあんまり時間をそんなにとられたくない。
音楽は嫌いになっていないし、大好きだし、音楽に対する気持ちは変わってない。けど、そんなに時間をいっぱいとられたくない。

笹谷創:-それは、つまり、聖書の教えを伝える方が重要!となった…ってことですか?

尾崎友直:そう、その辺の話にあまりいかないと思ったけど、ド頭からいったね(笑)
やっぱり、クリスチャンになったことがすごく大きくて、日に日に、より重要なことに時間を割きたいと思うようになったし、その結果、ライブの本数がどんどん減ってきて、辞めたのも、その流れにある。
…あんまり盛り上がらない方向の話になってない?しょんぼりする感じだよね(笑)

笹谷創:-そんなことないです!笑)…質問を時系列にしますね。音楽の始まりは、確か中学生ぐらいの時に一人で作曲していてというですよね。

尾崎友直:そう…、聴くってことじゃなくて創りだしたってこと?

笹谷創:-聴きだしたのはいつ頃ですか?

尾崎友直:聴きだしたのは、家族がみんな(音楽)大好きだから、物心ついた時から音楽漬けみたいな方だったと思う。

笹谷創:-レコードで聴いていたんですか?

尾崎友直:当時、レコードだったね。

笹谷創:-どういうジャンルを聴いていたんですか?

尾崎友直:ええっとね、母の世代って、渋谷にジァン・ジァンというお店があって、もう閉店しちゃったんだけど、高橋竹山さんとか津軽三味線の人なんだけど、それとシャンソン、今そんなに流行っていないと思うんだけど、シャンソンが僕の母の世代の人たちが聴いていた時代があったのね。ちょっと、アンダーグランドな感じだったのかな。ジァン・ジァンもどちらかというアンダーグランドなのね。
で、母がそういうの好きで一般の家庭と違うのは、僕が聴いていたわけじゃないけど、自然と流れていた。その影響はあるなと自分で感じる。

笹谷創:-それで、作るのは自然っちゃあ、自然ですね。

尾崎友直:何で作ったんだろう…。あっ、思い出した。中一で…、中一じゃないな、あれ、いつ?中一だ。中学何年か覚えてないんだけど、同級生からギターを一万円で買ったんだ。それだね。

笹谷創:-確か一度聞いたことありますが、録音の方法も面白かったですよね。

尾崎友直:MTRもってなかった。ラジカセに録って、それを流しながら演奏して、多重録音。それを三回繰り返すみたいなことをやっていた。

笹谷創:-今も音源はどこかに残っているんですか?

尾崎友直:ある。アルバム50作品ぐらいある。本当に。

笹谷創:-えっ、(笑)

尾崎友直:あるある。

笹谷創:-50個ぐらいアルバムが…、作りまくっていたということですか?

尾崎友直:そうね。

笹谷創:-基本はギターで作った曲ですか?

尾崎友直:家にキーボードというか、エレクトーンもあったから、そう、色んなのやってたな。

笹谷創:-歌も歌ったりしていたんですか?

尾崎友直:あったね。…なんか、恥ずかしいこんな話(笑)

笹谷創:–すごいですね、集中力。
その頃流行っていたものとかって、ビートルズとかですか?

尾崎友直:もっと、昔かな、ビートルズ…、近所におばたくんという友達がいて、おばたくんにお兄さんがいて、お兄さんがストーンズとビートルズのレコードを集めていて、お兄さんがいると弟って影響受けるじゃない。
おばたくんはお兄さんも持っているけど、自分でもストーンズとビートルズを集めていて、で、僕も家にすでにビートルズは何枚かあったんだけど、持っているのは持っているんだけど、持っていないのを集めだして、中一ぐらいかな。でも、人とちょっと違ったのはプリンスを集めてた。僕は。

笹谷創:-当時、プリンスを集めるのは結構めずらしかったんですか?

尾崎友直:いや、大ヒットしていたけど、ちょっと、僕の周りには、聞いたりプリンス好きだって人はいなかったかな。

笹谷創:-それで、ビートルズやプリンスのコピーなどをしていたのですか?

尾崎友直:えっとね、最初、友達からギターを一万円で売ってもらって、ギターを自分で独学じゃないけど、学ぶじゃない。やっぱり、コード譜みたいなのを、そのコードがどういう風に進行していくかというのは、学んだよね。そういう、すでにある楽曲たちから。
なんか、恥ずかしいね。自分の話を(笑)秘密にしときたいみたいな気持ちが働くね。

笹谷創:-(笑)
その当時は、友達と「音楽やろうぜ!!」みたいにならなかったのですか?

尾崎友直:友達と?おばたくんとスタジオに入ったね(笑)

笹谷創:-中学生ですか?

尾崎友直:中学の時に、おばたくんが泊まりに来たりとかして、で、また例のカセットの多重録音、今思えば「MTR買えよ」ってさ…、持っているもので、作ってたね。

笹谷創:-ギターはアコースティックギターだったんですか?

尾崎友直:確か、クラシックギター、エレクトリックギターを一本づつ持っていたね。

笹谷創:-人前で初めてやったのは、いつなんですか?

尾崎友直:それは18歳の時かな。新宿アンチノックというライブハウス。

笹谷創:-その時はバンドですか?

尾崎友直:三歳ぐらい年上のボーカリストと、ベーシストとドラマーのいるバンドだったね。自分はギタリストとして。自分だけ18歳、若いね(笑)

笹谷創:-ちょっと上のお兄さん方とやられていたんですね。

尾崎友直:その時の3歳って大きいじゃない。だから、すごい、多くを教えてもらったというか、学んだというか。

笹谷創:-ジャンルはロックだったんですか?

尾崎友直:そうだね。でも、やっぱりちょっと変わってたね。色んなジャンルのファンクとかレゲエとか、あとはそういう、クロスオーバーするようなのを柔軟に取り入れるというかね。ドラムの人とかも、意欲的というかさ。そうだね。

笹谷創:-「最初のなぜ音楽をやっているのですか」という質問はギターを一万円で買って、ずっと続けていたからということでしょうか。音楽をする意味を改めて考えることはなかったんですか?

尾崎友直:そうだね。やっぱりシンプルな答えとしては、楽しいからということだけど、でも、ただ楽しいだけじゃないようなテーマも取り上げたり、作ったりするから、ただ単に楽しいということではないのかもしれないけどね。

笹谷創:-どういう内容のテーマを歌っていたんですか?

尾崎友直:昔、その18歳の時は、リーダーバンドじゃなかったから、すぐ、そのバンドを抜けて、自分のリーダーバンドというか、もっと自分のやりたいことをやれるのをやりだした。

笹谷創:-前のバンドとどういう点が違うのですか?やりたいことというのを具体的に教えてください。音楽面ですか?

尾崎友直:そうだね。自分も楽曲を作っていたけど、その時からも、でも、もっと全面的に全部の曲とか、人の曲をやるのが嫌なわけではないけど、もっと自由にやりたかったのかな。なんか、すごい恥ずかしい、こんなこと聞かれることないからさ。やだなあ、なんか(笑)

笹谷創:-すいません…(笑)
ちなみに当時の思い出とかありますか?

尾崎友直:何歳ぐらいの?

笹谷創:-18歳とか超えて、自分でリーダーバンドをやり始めたぐらいの時とかの思い出や印象深いことがあれば教えてください。

尾崎友直:ええ、音楽を通して色んなことは学んだかな。そうだね、例えば、自分でバンドやりだしたときは、その相方のベーシストに、こう…、色んなことを要求しちゃったりするじゃない。
自分も人間的にも未熟だし、自分がこうバンドというものの運営みたいなの慣れていないから、自分の思い通りに相手が弾けないとすぐイライラしたりするけど、そんなのって相手も嫌だし、人をコントロールするという方向だと、物事ってうまくいかないというのは、音楽で学んだ。人ってコントロールしようとするもんじゃない。

笹谷創:-(印象深いことは)人間関係とかですか?

尾崎友直:人間関係、相手に敬意を、やっぱり自分が子供…、子供っていうかね。
そうだね(笑)

笹谷創:-詩の方にいったのはバンドのどれくらい後ですか?

尾崎友直:それは、だんだんいったのかな。うん、だんだん。そのバンドじゃないけど、あんまり、音楽の話じゃない方がいいなと思っていたんだけど。そういうさっきの人と接するのも苦手だったし、自分の思い通りにいかないとイライラするみたいな方が大きくなってきて、ある時、すごい簡単なことに気付いて、じゃあ自分一人でやろうと。
それで、いろんな友達ができたり、嬉しかったな。自分が好きで聴いていた人が海外から手紙をくれたりして、それがきっかけで、ニューヨークにライブしに行って、単身。

で、その時に向こうが招待してくれたわけじゃないから、自分でいくんだよね。自分でお金払っていくんだよね。だから、失敗したくないでしょ。それまでは、言葉とかが特にない、言語は言っていなかったんだけど、歌詞とかがないというか、ギター一本でインストゥルメンタルというか、それとかやってたんだけど、ニューヨークでライブしたときに失敗したくないから、英語をたどたどしいけどしゃべって。

その時にあることを思ったんだけど、日本語でもし歌詞があって、「僕は本当にあなたたちに伝えたいことがあるから、今話します。聞いてください」と言ったら、アメリカの方は日本語が分からなくても、僕の気持ちは伝わるなと思ったの。

イコール言葉は関係ないと思って、だったら、やはり母国語で話した方がいいと思ったのね。母国語で話すことにはすごく意味があると思って、で、帰ってきてから、即興の音楽に日本語の言葉が入ってきたわけ。普通に喋りだしたというか。

笹谷創:-現在のスタイルに通ずる感じですね。

尾崎友直:そうだね。だから、日本の中でやっていたら、そう思わなかったんだけど、向こうに行って逆に日本のことをやりだす、日本語でやりだしってことかな。

『小5か小6の僕に聞いたんだって、「神様っていると思う?」って小学生の僕に』

2.創作の方法を教えてください。

尾崎友直:もうちょっと、狭く聞いてもらってもいい?

笹谷創:-曲を作るときは、どこから作ったりするのでしょうか?

尾崎友直:もう、そっちにそんなに意欲的ではなくなったんだけど、人と違うなと思うところは、みんなって「作ろう」という時に盛り上がって作ったりすると思うんだけど、自分はどっちかというと、その作業はやめちゃったんだけど、バスドラ4つ分、ドンッ、ドンッ、ドンッ、ドンッってあるじゃない。それ分の歌詞を気分がのってものらなくても、詩をずっと作り続けていた。結構、長い間。そこは多分人と違うんじゃないかな。ルーティンだね。日々の日課。

そうだね、それは多分人と違うのかもしれない。だから、感動したことがあろうがなかろうが、良い日だろうが、曇りの日だろうか、時間はそんなにかかんないんだよね。多分、だいたい2,3分あればできるけど、その2,3分はすごい集中して作ったね。一番最初の話と似ているかもしれない。前から、音楽にあんまり時間をとられるのが嫌だったのかも。

3分だけど、集中してやるけど、1日、3分しかやらないみたいな。

笹谷創:-今、ビートはOrganさんとかが作られたりしているじゃないですか。前は自分で作ったやつで詩を書いたりしていたんですか?

尾崎友直:CDとかをみんな作りだす前はカセットとかを、例えばこのEARのカウンターとかに並べて500円とか1000円とかで売って並べてて、それがすごい楽しかったというか。そういうのは昔からしてたかな…。

あっ、ビートの話か。ビートはその日本に帰ってきて、日本語で話すことが急に始まって、すごい時間がかかっちゃったんだけど、自分のアルバムを作ろうと思って、長い間、ちゃんとしたのは出してなかったんだけど、でも、元々そういうラジカセ二台で、中学生の時はダビングするような、どっちかというと、手作り感あふれるみたいな、タイプだったから、自分でわかっていて、自分はこう、ちょっともっとデザインされたような、無機質な感じ、洗練されたような感じ、テクノとかハウスとかと組んでやったら合うんじゃないかというのは、ちょっと思ってた。

だから、人と違うなって思うのは、ラップとかって16でしょ。16ビートというか。
でも、4つ打ちでラップする人いないって思ってて。じゃあ、4で僕はやろうって思ったね。だから、僕のって4つ打ちなんだよね。ヒップホップに影響受けたわけではないんだよね。

笹谷創:-母国語をやろうというのが先にきたんですか?

尾崎友直:そうだね、最初はビートがなかったんだよ。ただしゃべってたね(笑)

笹谷創:-ヒップホップには影響受けてないんですね。

尾崎友直:受けてないね。むしろ、嫌だったかな、ヒップホップに影響…、受けてない。

笹谷創:-単身ニューヨークにライブいかれたのは何歳ぐらいだったんですか?

尾崎友直:それは27歳。

笹谷創:-確かEARをオープンしたのは28,29歳とかでしたよね

尾崎友直:オープンした春に行ったんだよね。

笹谷創:-では、その年は転機の年ですね。

尾崎友直:それは、そんなに大きい出来事じゃないよ。さっき、笹谷さんが聞いたから…。なんて言って、その話になったんだっけ。笑

笹谷創:-現在のスタイルがなぜ出てきたことか、ってところです。

尾崎友直:そうそう、そういうのやってなかったんだよね。その時にやり始めたんだよね。
でも、今思うと不思議だよね。

笹谷創:-音楽のプレイスタイルの変化と、EARのオープンと、信仰の三つの時期感が知りたいです。

尾崎友直:最初はそういう、ギターを弾いていたっていうぐらいだから、弦楽器じゃない?で、一人でやっていた時もマイクだけでやった時もあるし、ギターだけでやった時もあるんだけど。

笹谷創:-信仰はもともと母親から始まりなんでしょうか?

尾崎友直:違うよ。僕から学びだしたよ。小5か小6ぐらいの時に伝道者の方が来てくださって、僕、昨年、その方にあったんだけど、色々たどっていたら、「僕のところに一番最初に行ってくれたクリスチャンの女性のことを知ってるよ」と教えてくれた方がいて、お会いできたのね。

本当に感謝を伝えたんだけど、その方が言うには当時、小5か小6の僕に聞いたんだって、「神様っていると思う?」って小学生の僕に。「いると思う」って言ったらしいんだよね。

でも、相手がまだ子供だから、伝道者って聖書のよいたよりを人の住む全地に述べ伝えることをしているわけなので、当然、日本でも、述べ伝えるよね。その流れで僕のところにも来たわけだけど、親の許可はいるじゃない?

でも、母が育った鹿児島はそういうキリスト教の方が多い町だったみたいで、昔の宣教者とかがたどりついたとかと関係があったみたいで、母は聖書とかキリスト教によいイメージを持っていたんだよね。で、「学びなさい」ということになって、それで僕が「はい」となって、それで絶大な影響をうけたよね。

それで、継続的に中高と学んだんだよね。

笹谷創:-一度、遠ざけたみたいな時期もあるんですか?

尾崎友直:そうだね、遠ざけたわけではないけど、渋谷に引っ越した時に、学び続けたいから来てくれるように手紙を書いたんだけど、その支部というか、渋谷に住んでるから渋谷のクリスチャンが来た方がいいわけじゃない。はるばる遠いところから来てもらうの悪いというか。

だから、来てくださいと言ったんだけど、行き違いかなんかで来なかったんだよね。
でも、すぐ下北沢に引っ越すんだけど、数か月で。でも、前の時と同じように間髪入れずに来るんだよね。その方とは、今日、朝メール来ていたけど、すごい尊敬しているよね。

当時、お互い19歳同士だったけど、その方はその時、クリスチャン伝道者になった方で、「僕、昨年まで学んでたんです」と言って、それで、「聖書はすごい良い本だと思ってます」と言ったら、何度か来てくれたから、遠ざけたわけではないよね。

でも、当時やっぱりクリスチャンとしての生き方をしていたかって言われたら、全然違うよね。イエスには圧倒的な敬意と影響、イエスが大好きだったし、でも、その時点で本当に神の言葉だなと確信して、それに添うように行動していたわけでは全然なかった。

笹谷創:-その当時は音楽への気持ちが強く、音楽が優先だったんですか?

尾崎友直:そうだね、優先順位はやっぱり音楽をやることの方が上だったよね。

笹谷創:-キリストの教えに沿っていない時は、矛盾しているなと苛なまれたりしなかったんですか?

尾崎友直:えっとね、自分では覚えていないんだけど、ロシアにライブに行ったときに、その時一緒にいたアーティストもいたんだけど、「友直、そういえば聖書持ってきていたよね」と言って、自分では覚えていなかったんだけど、だから、飛行機とか時間があるときには読もうと思っていたと思うんだよね。

だから、どこに引っ越すにも必ず持っていたけど、さっき言ったようにそんなに、読んでいなかったし、それに沿った生き方はしていなかったよね。

笹谷創:-どういう生活だったんですか?

尾崎友直:えっと、何歳ぐらいの時のこと?

笹谷創:-25歳とか。

尾崎友直:25歳はEARのお金を貯めてたね。

笹谷創:-EARのお店は20前半ぐらいからやろうと思っていたんですか?

尾崎友直:24の時にお金を貯めだして、27の時にたまってEARを出したかな。

笹谷創:-EAR出すときのコンセプト、こういうお店にしたいとかってありましたか?

尾崎友直:ええとね、ジャズのライブハウスで23の時に、G.H nineというライブハウスがあって、ジャズの。で、それはすごいいい思い出だったんだけどね。日本のジャズの方がね、時々、海外からも来ていたんだけど、渡辺香津美さんとか。

夕方アーティストさんが集まって、軽くリハーサルして、演奏が2ステージぐらいあって、終わると社長のところにアーティストが並んでね、封筒に入ったギャラをみんながもらうっていうのは、なんか、いい風景だったね。その時に「自分のお店やりたいんだな」って思ったんだと思う。確か。

笹谷創:-実際にEARを経営して、苦労とかってあったんですか?

尾崎友直:さっき、エアコン変えたじゃない。いや…、お金ってかかるよね(笑)

笹谷創:-EARって20年ぐらい経つんですか?

尾崎友直:今、47だから27の時に開けたから、20年、20年半経っている。

笹谷創:-21年、振り返ってみてどうですか。自分は店を持ったことがないので、その感覚が分からなくて。

尾崎友直:すごい早い段階から、EARは副業というかね。結構すぐ、大工。こっちのウェイトもすぐに。なんか、こっちがメインというわけではないね。

笹谷創:-ちなみに、イエスが30歳まで大工をしていましたが、大工をされているのもそれと関係あるんですか?

尾崎友直:昨日も現場で一緒に働いた塗装屋さんに、仕事しながらそういう話に自然となっていたから、「イエスって大工だったんですよ」と伝えたら、「えっ、そうなんですか!」ってなって、「だから尾崎さん大工してるの?」って、「だとしたらすごい」と言われて。同じ話になると思わなかった(笑)

たまたまです。(笑)