第1回

第1回 橋本ハム太郎の「南極」という曲とそのMVについて


筒井康隆の『家族場面』という短編集に収録されている「九月の渇き」という短編を読んでいるとはっとする一文があったので引用する。

「おれも含めてだが、このような状況になっても都心部にしがみついていなければならない人間がこれほど多いという事実はひとつの驚きとして新聞にも載った」

小説で描かれる「このような状況」というのがどういった「状況」なのかは実際に読んでお楽しみいただくとして(ヒント:スカトロ)、 現実のコロナ禍においても結局ぜんぜん都心部から人が離れていくような気配がなく、渋谷や銀座といった街から人が消えたのは本当に数日間だけだった。

で、そんな人が消えた街を映像として記録したのが、わたしも所属するボウガイズ というヒップホップユニットの「南極」という曲のMVである。


この曲ができたのは確か2年前だったと記憶している。2年前の夏もとても暑い夏だったので、タイトルだけでも涼しくとメンバーのmu knee manが「南極」という仮タイトルでトラックを作ったのだが、それがそのまま曲名になった。

なぜ「南極」というテーマで曲を作ったかというとはじめにmu knee manが思想のない曲を作りたいと言ったからである。うちのグループはわりと思想色強めの曲が多いのでたまにはそういう曲も作りたいと。他のメンバーからの反対もあったが、わたしは「南極」というテーマならアリだと思い賛成した。土地をテーマにしていたからである。これが「ラーメン」とか「車」だったら反対していた。

HIP HOPには土地をテーマにした曲は多く、古くは2pacの「California Love」とかJay-Zの「Empire State Of Mind」とか、日本でいえばSINGO西成の「ILL西成ブルース」などまあ要は「地元」もしくは「住んでいる街」をテーマにしているのだが、「南極」という土地は誰の地元でもないし、誰も住んでいない。従ってパロディになり得る。

この辺りの話は当MVを制作していただいたbacterサイト内でのインタビュー記事でもメンバーで語っているのでぜひご一読を!

ボウガイズ連続インタビューvol.3 〜bacter制作の新曲MV「南極」前史〜



というわけで倒錯した欲望により2年前に作られた「南極」という曲はその1年後にレコーディングされ、さらにその1年後にMVが撮られた。なぜ2年前に作られ、ライブでもたいして披露していないこの曲でMVを撮ったかというと、監督をしてくれた今津がこの曲が良いと言ったからである。だが実はわたしもボウガイズ の中ではかなり好きな方の曲である。なんとなく童謡っぽい感じが好きなのである。

撮影や演出はすべて監督の今津に任せたので何も意見は出していないのだが、撮影時期がちょうどコロナの第一波と被ってしまい、室内撮影をした3月7日の時点ではまだ国内で100人くらいしか感染者がいなかったように記憶している。そのあとにどんどん増えて一気に緊急事態になってしまったため、本当は室内だけでなく屋外での撮影も3月中旬ごろに予定されていたのだが延期になってしまった。

お蔵入りかと思ったのだが、ちょうど街から人がいなくなったのだからその風景を収めておけば良い、後々レアになるから、ということになり(まあわたしがそう提案したのだが)、急遽予定されていなかった「無人の街」ショットが随所に挟まれることとなった。

繰り返すがこの曲が完成したのは2年前である。もちろんコロナのコの字も出ていない。しかし、こうしてコロナにより無人となった街の上に、この曲がかぶさると、まるで南極というメタファーを使ってコロナ後の世界のことを歌っているように聞こえる。

【Lyric】
(hook)
ここじゃ誰も出会わない
まだ僕が来たことのない世界
あたり一面見渡す限り
雪、雪、雪


[FAT-LEE]
南極、南極、Big Island
ここでおがむのはせいぜいアザラシの産卵
ファミマもマクドもドンキもない
もはや田舎、とかの類いじゃない
北が寒いのは百も承知
しかし南を極めたらば極寒の地
お前が着るそのチャラいニットは
まったく役に立たんぜきっとな
常人にとっては、ただの地獄だが、
研究者にとって、この環境は珠玉だ
多面的に物事を捉えた一例だ
そんなこと思う白夜時間の経過
過酷な生活と寒さのせいか
いつもより一段ときつく感じる傾斜
人類vs自然、上等だ
必ず観測するでかいオーロラ

(hook)


[mu knee man]
まるでSF映画
一面の雪 マジ寒い寒い
手放せぬ防寒着 嘲笑うペンギン
ボーダーラインはない氷点下の平原
口呼吸は命取り肺が凍る
度数高いアルコールで暖をとる
缶詰タイカレー大好物
子供達とスカイプで交流
たまに戻りたくなる時が来るその時はひとり泣く
クソみてぇな地元のフィリピンパブも今思えば極楽
オメェらは何も知らぬまま
平穏無事な日々を過ごすダラダラ
そのついでに稼いでる円やユーロ、ダラー


特にmu knee manの「まるでSF映画」「口呼吸は命取り」「子供達とスカイプで交流」「フィリピンパブも今思えば極楽」などはもろコロナの世界を描いている。FAT-LEEの「人類vs自然、上等だ」も熱い。「ここじゃ誰も出会わない/まだ僕が来たことのない世界/あたり一面見渡す限り/雪、雪、雪」も隠喩に聞こえる。繰り返すが2年前の曲だ。

こういった確実にコロナのことをテーマにしているわけがないのに、聞きようによってはそう聞こえる偶然の曲は他にもあって、例えばくるりなんかもそうだ。



目を閉じれば そこかしこに広がる
無音の世界 不穏な未来
耳鳴り 時計の秒針止めて
心のトカレフに想いを込めてぶっ放す
窓ガラスに入ったヒビ
砕け散る過去の闇雲な日々
止まった時計は 夜明け前5時
外の空気 君だけのもの


吸うも吐くも自由 それだけで有り難い
実を言うと この街の奴らは義理堅い
ただガタイの良さには 騙されるんじゃない
お前と一緒で皆弱っている


その理由は 人それぞれ
耐え抜くためには仰け反れ
この街はとうに終わりが見えるけど
俺は君の味方だ


サビで繰り返される「上海蟹食べたい」というのもコロナがテーマと思うとより切実に聞こえる(まあ今書いて思ったが、コロナでもなんでもないのに「あなたと上海蟹を食べられない」という事実の方が悲しいような気もするが)。

くるりの凄いところは偶然はこの一曲だけではないところである。



雨降りの朝で今日も会えないや
何となく
でも少しほっとして
飲み干したジンジャーエール
気が抜けて
安心な僕らは旅に出ようぜ
思い切り泣いたり笑ったりしようぜ


「安心な僕らは旅に出ようぜ 」こういうのをただの偶然と笑ってしまうこともできるし、予言だなんだと騒ぐのも楽しいが、それよりかは極限まで不安だったり寂しかったりする人の気持ちに寄り添って日頃から曲作りをしていたら、自ずと自然災害の時にもフィットする曲ができるのだと、そう考えた方がテンションが上がるのでわたしはそう考えることにする。

そういえば東京圏の人口が減っているとニュースでやっていたな。この街も歌詞のようにいよいよ終わるのか。昼間のオフィス街なんかを歩くとまだまだ人は多くて、とても減っているなどと感じないが、たしかに夜の街は確実に人が少なくなった。おい、たんに夜遊びが減っただけではないか。なんだそれは。くだらないにもほどがあるだろう。バカかお前らは。

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『橋本ハム太郎の才能を呼び起こす超習慣術2.0』

橋本ハム太郎

 


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