関口竜平(本屋lighthouse)

『過去と未来を照らし続ける灯台』
光へと導きたい店主のその想い

– 本は光となりうる。読むひとにとって。書くひとにとって。その間をつなぐ存在としての、灯台でありたいと思っています –

これは千葉県の幕張にある本屋 lighthouse のホームページに記された一文です。店主の関口さんはどういう想いで”本は光となりうる”と記しているのでしょうか。

関口さんは小さい時から高校生までサッカーに明け暮れていたといいます。そこで大きな挫折を味わったのですが、ただでは起き上がりません。挫折は今に繋がる貴重な体験に変わっています。それは「差別本は絶対に置かない」とあえて明言するポリシーへと繋がり、本屋 lighthouse を形作っています。

プロのサッカー選手を夢見た少年が本屋さんを経営するまで、どのように思考は変遷していったのでしょうか。ユーモアを持って話す中にも、常に希望を見出そうとする意志が見えました。

『全てに配慮は不可能でも最低限の人権意識を担保している、それを仕入れる時の最低条件にしたいと思っています』

<インタビュー>

1.選書の方法を教えて下さい

関口竜平:実はこれが一番難しい。いつも悩むんです。他の取材でも「どういう本を置かれているんですか?」は必ず聞かれるんですけど、置いている本より置かない本の方が言いやすいですね。

一番わかりやすいのはヘイト本、差別本は絶対に置かない。当然と言えば当然のことなので、個人で本屋をやっている人であれば特に意識していなくても、自然にそうなっているはずです。それをあえて明言するかしないかの違いだと思っています。

-個人の主張とヘイトの境目はどのように捉えているんですか?

関口竜平:そこの判別は厳密にはできないと思っているので「置きません」と表明することによって、自分自身に「ちゃんとチェックしろよ」と言っているわけです。どれだけ頑張っても見つけられない可能性はある。「ヘイト的な表現がどんな本にも入っていないか」というとそんなことはないと思っています。

僕はトランスジェンダー*1を排除する姿勢に反対をしているけれど、フェミニズム関連の本を仕入れる時にそういう視点で書かれた本も中にはあるし、そういう論が一部入っているものもあると思う。あるいは、共著の中には普段そういう言動をしている人が入っている可能性がある。全てチェックしたいけど、そこから漏れでるものはあるし、良い本と信じて仕入れた本の中にそういう表現や主張があって、僕を信頼してくれてお店に来ているマイノリティが買って読んでしまうことは絶対に起きるなと思っています。

そこをチェックしないといけないのはわかっているけど、現状はそこまではやりきれない。でも、それは差別やヘイトを受けている人からしたら甘えでしかないので、自分を戒めるためにもせめて明言しています。

-明言することによるリスクや負担はありますよね。

関口竜平:そうですね。でも自分に責任を背負わせるのがマジョリティとして最低限のできることだと思うので。全てに配慮は不可能でも最低限の人権意識を担保している、それを仕入れる時の最低条件にしたいと思っています。

そこから実際的なところで棚の物理的な制限や「この客層だと、この本は近所のくまざわ書店*2でいいかな(笑)」とか、そういうフィルターをどんどん追加していく中で、それでも残った本が並んでいます。

元々チェーンの本屋でバイトをしていて、そこでの経験が基本になっていますね。チェーンなので全方位に目を向けなければいけない。僕は文庫が担当だったんですけど、ノンフィクションや学術系の本もあって、言ってしまえばオールジャンル。

そういう意味でいい経験をさせてもらいました。自分の関心以外の本もきちんと仕入れないといけなくて、自分の人格を拡張して様々なタイプを頭の中に配置する。「この人格だったらこれを選ぶ」とかやっていたんですよ。それをここでもやりつつ、さらにフィルターを追加していく。この本屋はチェーンを縮小したイメージなのかもしれないですね。そういう意味では他の独立書店と選書の傾向は少し違うと思います。

-参考にされている本屋さんはありますか?

荻窪の本屋 Title*3 がひとつの軸にあって、参考にしています。店主の辻山さんはリブロ*4で店長をやっていた人なので、独立書店だけど総合書店の雰囲気が残っているお店。日販*5から仕入れられるので仕入れの幅は広いんですけど、全方位に目を向けつつ丁寧に選書していますね。

「辻山さんが綴ったエッセイ『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』 」

参考にした部分でわかりやすい例を挙げると文庫の棚ですね。独立書店には文庫専用の棚はあまりないんです。基本的にはジャンルで別れていて、その中に文庫が入っていることが多いです。

-lighthouse さんも文庫棚を置いていますね。

そうですね。チェーン書店の感覚を残したいというのがあって、この規模にしては文庫棚は大きいんですよ。どういうことかというと、お店に入ってきた時に知らない本ばかりだと人は出ていっちゃんうですよね。「ここは自分の買うものがあるお店じゃない」と感じてしまうんでしょうね。

例えば、湊かなえの本が文庫棚に2,3冊あると「あっ、湊かなえだ」となるんですよ。「宮部みゆきだ、伊坂幸太郎だ」とかメジャーどころの読んだことのある本が置いてあるだけで、ちょっと印象が違うんですよね。

-おっしゃる通り、知っている本があると心地良く感じますね。

関口竜平:しかもなんだかんだで売れるんですよ。ド定番ってすごいなと。夏になると夏目漱石の『こころ』が必ず売れるんですよ(笑)

-夏休みの読書感想文の影響ですかね(笑)

関口竜平:そうですね。後はサン=テグジュペリの『星の王子様』とかも売れますよね。近くのくまざわ書店で売っているような本でも買ってもらえるというのも含めて、幅広くやりつつもフィルターをかける。そのバランスを試行錯誤してやっていますね。

-個人の思考や好きなものは入っていないんですか?

関口竜平:それは意識しなくても勝手に出ちゃうので、けっきょく人格をどれだけ排除しても、自分が選んでいるからそこは考えなくていいかなと。

-わざわざ考える必要もない感じですね。

関口竜平:そうですね。周りから見たら明らかに僕の本棚だと思うんですよね。僕の中では個人の好みは排除して選んでいるつもりなんですけど(笑)

-「好みを排除してみる」、その方法論は創作にも適用できますね。

関口竜平:創作する人と似たような感覚はあるかと思います(笑)

-“周りに置かれている本によってその本の見え方も変わる”というのもあり、「同じ本でもこの本屋で買おう」という動きはあると思います。

関口竜平:そう思って lighthouse に来てくれたらうれしいですね。とにかく、選書に関しては根本の部分は変えずに、その都度都度で試行錯誤している感じです。

-その時のご自身の状況、世情も関係してきますね。

関口竜平:たしかに、そうですね。

『学校の先生としてやりたかったことは本屋としての方が実現できるんじゃないかと』

2.なぜ、本屋をやられているのでしょうか?

関口竜平:子どもの頃から「本屋をやりたい」とはまったく思っていなくて、ずっとサッカーをやっていました。幼稚園から高校の1年の終わりまでやっていた。中学の時はクラブチームに通っていて、”プロになる”という意識を持って12年ぐらいサッカーをやっていました。なので本は怪我をしたときに読むぐらい。

-ずっと本を読んで育ったとかではないんですね。

関口竜平:むしろ読んだ記憶がほぼないぐらいです。つい最近までぐりとぐら*6がどっちかわかんなかった(笑)
「青い方がぐりかな!?」というレベルで、印象に残っている本もない。小学生の時にみんなが読む児童文庫みたいなのもあんまり覚えていない。とにかくサッカーボールを蹴っている時間が長かったですね。

ただ、よく骨折をしていて(笑)。その時は1ヶ月ぐらい動けないんですね。その間に「これを読んどけ」と父親がくれたのが例えば『竜馬がゆく』で、全部で8巻あるんですよ。「面白くなかったら読まなくていい」と言われたけど、一応読めちゃったので全部読みました。そんな感じで本には触れてはいるけど、自分からガツガツいくようなタイプではなかったですね。

-サッカー少年だったんですね。

高校1年の終わりで怪我が治らなくなって、サッカーを辞めちゃって大学受験もなんとなくで受けました。そこから大学の就活の時までそれなりに楽しい時間を過ごしているんだけど、「何をやりたいか」と言われるとよくわからない状況が続いていて。なんとなく教職の授業をとっていたので、とりあえずせんせいにでもなるか……と母校の高校に実習に行ったんですけど。

それがちょうど「英語の授業は英語でやりなさい」と文科省が言いだした時期だったんですよ。だから子どもたちみんな理解できてなくて。付属校だから受験もないしで、なおさら(笑)

-英語の授業を英語でやると、ついていけない人も出てきそうですね。

そういう状況でやらざるを得ない実習を受けて、「教師としてやりたかったことはこれじゃねぇぞ」と気がついた。”生徒が学校生活を楽しく送れるように手伝うこと”が先生の役割と僕は思っていて。教わってきた先生もそういう人が多くて、そのイメージで実習に行ったら僕の育ってきた高校も英語は英語で学ぶような状況、つまり「たとえつまらなくても学業優先」みたいな雰囲気になっていたんですよね。

付属校ですらこれなら、「一般の公立や私立に行ったらこの状況はもっと深刻なわけ?」と感じて、そこで完全に「これは違う」って。その時点でまた路頭に迷ってしまった。今のように言語化できているわけじゃないけど、実習を経て違うと感じた。僕のやりたいことは今の教育現場はできないんだって。

-“仕組み的にできない”ということでしょうか?

関口竜平:仕組みもそうですね。僕が高校時代はできていたように思えましたし。くわえて、よく考えたらそもそも学校の先生も絶対になりたいわけではないと思った。サッカーをやっていた頃の影響で、好きなことじゃないとどうしても仕事にできなくて、「仕事はとりあえずでやって好きなことは趣味でやればいい」という考え方は僕の中にはないんですね。

-「仕事=プロフェッショナル」という捉え方なのかもしれないですね。

関口竜平:あっ、そうそう、それです。そういう感覚なので、また「どうすればいいんだろう」って。で、その時にやっていて一番楽しかったのが、卒論を書くことだったんですね。

-卒論のテーマは覚えていますか?

関口竜平:シャーロット・ブロンテ*7の『ジェーン・エア』ですね。3年生から入ったゼミでやっていたというだけで選んじゃったので、すごい好きな小説家と言われるとそうでもない。良い小説だと思うけど、自分で選ぶかと言われたら自分では選ばない。

それでもやっていて楽しかったんですよ。自分の意見や論点を組み立てて、それに対して説明していく過程そのものが楽しかった。当時文系の院は基本的に定員割れをしていて、内部進学で院に行けることがわかったのでモラトリアム期間を2年間延ばそうとなりました。学校側としても「頼むから入ってくれ」となっていて、確実に通る形だけの面接を受けました(笑)

-よかったです(笑)

今思えばどうでもいいことなんですけど、みんなちゃんと就職先を決めていて、大学4年の夏は僕だけ完全に取り残されたような感覚ですごく辛かったですね。でも院に行けることになって、時間も取れたので改めて何がしたいのかを考えてみた。それで、なんとなくメディア関係だなと。研究職も考えたんですが、やっぱり出版とかそういうところなのかなとなりました。

修論を書かないといけないので、毎日本を読んでいたんですよ。そこで「毎日、本を読むことは僕にとっては苦しいことじゃない」と気がついた。サッカーをやっている時と似た感覚だったんですよね。毎日、ボールを蹴って自分の技術を上げている、その状況と変わらない。で、「これは本か」と修士1年目が終わる頃にはなってましたね。

「学校の先生になりたい」と思っていたのはなんでだったんだと改めて考えると、しょうもない理由にはなるんですけど、サラリーマンになれる気がしなかったんですよ。スーツを着て普通に働くことはできない、学校の先生も組織の一員だけど、多少は違う流れの中にいられるイメージがあって。実際にはそうじゃなかったわけですが(笑)

何かひとつの科目や正解を教えたいのではなくて、色々な選択肢を提案したいという意識があったと考えると「本屋だ!」となったんですよね。本屋なら「自分がいいと思った考え方、これはヒントになるんじゃないか」という本を棚に置いておける。

それを選んでもらう。「答え」を教えたいわけじゃなかったんですよね。「これが正解だ!」と教えるのが授業で、テストはその答えを書かなきゃいけない。そしてそのことを評価するのが教師の仕事になってしまっている。自分がやりたいことは別にそういうことじゃなかったんだなって。

様々な選択肢が並んでいる本棚を作って、その中から自分で選んでもらう。あるいは選ぶための手助けをすること。学校の先生としてやりたかったことは本屋としての方が実現できるんじゃないかと。

-なぜ、ヒントを与えてあげたいと思うのかをお聞きしてもいいですか?

関口竜平:付属高校だったけど大学受験をすることにしたので、勉強を頑張る組になったんですよね。ただ、9割の人間がそのまま内部進学するので、だいたいの人は何もしないんですよね。だから授業は本当は簡単なのに、何もしていないからテストが難しくなる(笑)それで、僕は教える側に回っていて、その居心地が良かったんですね。具体的な例を出すと、良い点数を取らせたいということではなくて、「自分は30点を取りたいんだ」と言っている人がいたら、30点で OK なんです。

もっというと「嫌いにならなければいいんだな」とわかった感じですね。例えば英語が嫌いになると「やれ」と言われてもやりたくなくなる。社会に出て TOEIC がどうとかの話になった時も「英語は無理」となるんですよね。でも、学校のテストの点数が取れなくても嫌いになっていなければ、後々必要になったときに勉強できるんですよね。

-将来に可能性を残す考え方ですね。

嫌いになっていなければ、何とかなるんですよね。クラスメイトはだいたいマジメに勉強してないから点は取れないんだけど、勉強自体は嫌いじゃないんだなって。スポーツ校だから部活優先で勉強する時間がないだけというのもありましたし。

そういう経験が、教師ではなく本屋に向かわせた要因のひとつになっている気がします。「これは(自分にとって)正解かもしれない」と思ったものを選べる環境を作るというイメージですね。だから「選択肢を提示する」が本質です。

-ヒントを与えるってことですね。

関口竜平:そうですね。最終的に掴みとるのは自分なので、提示された選択肢を全部受け入れる必要もない。

そして、本屋ならスーツを着なくていい(笑)

-その理由もまだ健在だったんですね(笑)

関口竜平:最終的に独立しやすいし、自分のペースで出来る。自分にとってのメリットもばっちりハマりました。ああ、これだこれしかねえ!!って。

2回目の就活のときには、出版社も考えたんですけど、入るのも大変だし入ったところで会社だから、やりたくない仕事や作りたくない本も出てきてしまう。色々な本屋を巡っていると、本屋をやりながら本を出版している人もいると知った。「本は会社に入らなくても出せるんだ」と思って、だったらいいじゃんって。あとは「どうやればなれるんだ」というのを考えて、段階を踏んでいっています。

すごい遠回りをしたけど、「なぜ、本屋をやっているか?」は人生の長い期間をみないときちんと説明できないですね。「本が好きで本に救われたからやっています」というきれいなエピソードじゃなくてすみません(笑)

-いえいえ(笑)サッカーへの未練はありますか?

関口竜平:僕の中でサッカーは高校の途中であきらめて切り替えたつもりでいたんですよ。大丈夫と思っていたんですけど、なんだかんだで引きずってましたね。だから就活で失敗した(笑)

中学校まではサッカーの理屈がわかっていなかったんですよ。何のための練習なのか、どういうルートをたどればうまくなるのか、どういう選手を目指せばいいかなどはっきりわからないままに練習をやっていた。

高校に入ってからロジックが追いついたんですよね。コーチが言っていたことは「こういうことなのか」と分かってきて、「こういう風にやっていけばいいんだ」と見えかけたところで身体が追いつかなくなってしまった。

それで本当に悔しかったので1、2年ぐらいサッカーを全く観なかった。辞める段階で道具を部活の同期に全部あげたりもして、強制的にサッカーから離れるようにしました。

そこから数年経って、「頭を使ってスキルアップしていく」方法論が卒論で応用できたんですよね。「プロフェッショナルになるための軸はサッカーと同じなのかも」と思って、そこで本の仕事にも応用している感覚はあります。


*1 トランスジェンダー…出生時に身体で割り振られた性が自身の性同一性またはジェンダー表現と異なる人々を示す総称。
*2 くまざわ書店…くまざわグループが経営する1890年(明治23年)に創立された書店。
*3 本屋 Title…東京・荻窪にある本屋。カフェやギャラリーも併設されている。
*4 リブロ…かつて東京都豊島区東池袋に本社を置いていた中規模の書店チェーン。
*5 日販…日本の出版物の取次会社である日本出版販売株式会社の略。
*6 ぐりとぐら…中川李枝子・山脇百合子による子ども向け絵本のシリーズに登場するキャラクター。
*7 シャーロット・ブロンテ…1816年生まれのイギリスの小説家。『ジェーンエア』の作者として最もよく知られている。



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