遠藤ヒツジ


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traffic report

どこにもない路地裏の
パースペクティブの消失点から
楽の音が響く

やわな音楽隊
赤信号青信号
交差する点滅

曇天の街路
駆け抜ける黄色い声
車輪と安楽椅子から響く妖精のおらびに

耳澄ませて
視えないはずのおらびが視え
聴こえないはずの点滅が聴こえる

胸につかえていた
ごろつく石を吐きだして
景色に転がりつづけて石はどこ吹く風

導きはない
あの点滅する交差点
あるいは消失点

交通情報が響いて、いる
ベビーの存在を証明する
吊り目で巨大な義足に乗車して

手の曼珠沙華が
蛇を断ち切り
少女は渡る大田区から彼岸へ

赤垂れ流し
青ざめた尊顔で
嬰児はずるりと産まれ黄色いおらび

交通情報をお伝えします
日本道路交通情報センターより
失・明文化された交通情報をお伝えします

夏の霊魂が高速道路を駆け抜け
感情線を抜けてその先へ
濡れてかつ燃えて魂は

夏のいっときの狂景に過行く
恋人は視界から消えた
ベビーは見えないベビー

果たされない血縁のカーチェイス
感情線を越えて子午線
子と牛と午後と紅茶と同じ空

火で洗い水で洗い
あらいざらい風になびき
あなたの言葉に心なびき

あなたの心に感情線を抜けて
いっときの狂景を抜けて
本当ならばすぐにでも

子と恋と交通情報
霊魂と肉体が車輪の中で行き交い
あちらとこちらで目くばせしあい

交通情報をお伝えします
波の乱れた交通情報を
おつたぇ――

どこにもない路地裏の
消失点それと点滅
マニュアル車の速度は場所を見失う

感情線に取り残されて
子午線を越えたもののために
消失点を探し求める

滑走路を駆ける少年の足裏は柔らかく
熱こもる路にも硬くならず滑走しろ
世界を舐めるように柔らかな足裏で

数多の狂景にいつからだろう
気づいたことがある
それぞれがそれぞれの消失点を求めている

感情線は肌を割り
おらぶように泣き
数多を滑る舌で包んで子午線へ

交通情報をお伝えします
環状線外回り
三途往生産湯地獄油本線が一空間の渋滞

天球体の被膜
大月ジャンクションから
消失点まで不明空間の渋滞

一切は赤と青の点滅
希望の純白の光を失し
失す光視する叶わぬ明滅

夜な朝な夕暮れに蛇が立ち上がり
すれるような舌が鳴り 鳥がおらび飛び立つ
蛇の潰れた眼はいまどこにあって
光ろうとするか

水に甘言が溶けてわたしたちを毒する
わたしたちは溶接するはじける火です
わたしたちは綿毛軽やかな跳躍

息子が生まれて母が燃え
父の浮気に母が吠え
狂景の虹色失した光明滅

響くは交通情報
あああの交差点
楽の音

狂景色や音像の様々
消失できないとはとても納得できないまま
見えない速度で交通情報を聴きながら

見えない交通情報を聴き
聴こえない赤信号青信号の点滅を見る
traffic report顛末記 果てなき記述は続き


『”詩じゃないと思われる行為をどれだけ詩に昇華できるか”というのがありますよね』

3.好きなアーティスト、憧れのアーティストを教えて下さい

遠藤ヒツジ:朗読と現代詩に関しては先ほど話しに挙がった吉増剛造さんで、朗読と小説となると圧倒的に古川日出男さんが好きです。古川さんは今デビュー20年で20冊以上だしているのかな、24時間作家ですね。

彼はバックボーンに演劇があるので朗読がパワフルで、かつては東京についてリーディングしたり、都市的な作家、都市生活者としての視点があるイメージが強かったです。

「古川日出男の朗読 著書『おおきな森』より -消滅する海(抜粋)-」

遠藤ヒツジ:García Márquez とか、ラテンアメリカの膨大なそれこそ800ページあるような文学に対しての敬意が強かったと思うんです。福島の椎茸農家の息子さんで、大震災以降は福島とかそういったところに着目されている印象です。平家物語を翻訳されてもう4,5年経つのかな、福島の経験があって以降は日本の文学にも目を向けられています。オウム真理教の地下鉄サリン事件のことを用いた作品もありますね。

僕が卒論を書いていた時期は朗読も活発にやられていて、青山のブックセンターで月に1回やっていたり、朗読においても影響を受けましたね。ネットで新しい本を探していると「この作家の本は全部読めなきゃだめだ」と思う瞬間が生涯に3回ぐらいあるんですけど、その人が古川日出男さんで彼の小説を買い込んで半年ぐらいかけてダダッーと読む。

-その瞬間は大切な何かがありそうですね。

“予感みたいなもの”がたまに起きるんですよね。古川さんはずっと敬愛している作家で朗読のパフォーマーとしてもそうだし、宮沢賢治の語り直しをしたり、各活動を観ていても尊敬に値する人です。一番影響を受けているのかもしれません。文体が寄りすぎて「これはあまりいい傾向じゃない」と思った経験もあります。ただ、離れても影響の素地はあります。

-古川さんの活動で印象深いことはありますか?

遠藤ヒツジ:バンドセットと一緒に朗読をやっているので、「この人、小説家じゃなくてミュージシャンなの?」と言われたりするんですけど、そういう意見に対して古川さんはインタビューで「僕のやっている活動は全て小説に向いている」と答えていました。トークイベント、朗読、ダンサーとのコラボ、画廊で現代美術の人とやったり、あらゆることをやるんですよね。動物のことを考えるシンポジウム、大学でアカデミズムな場にでたりするのも小説に向かっている、この姿勢は本当にクリエイティブだなと。

「『雨ニモLOSER』at イーハトーブフェスティバル 後藤正文 × 古川日出男」

-ヒツジさんの作家性とどこかで共鳴しているのかもしれませんね。

遠藤ヒツジ:別のことをやっていても、生活のベクトルが全て小説に向いている。その話を聞いた時に反省するところがあって。

現状、詩で食っていると言われている人は谷川俊太郎さんや最果タヒさんぐらいだと思うんですけど、僕は「谷川俊太郎だってエッセイもあるし、色んなことをやっていて、詩だけで食えているわけじゃないだろ」と思っていて、ただその話を聞いた時にそれは間違いだったと気がついた。全て詩に向いているかどうか、方向性が集約している点として捉えられていない自分の考えは浅かったなという経験があります。古川さんの話を聞いた時に腑に落ちました。

-人から見るとよくわからない行動も本人にとっては筋が通っていることはありますよね。

遠藤ヒツジ:そうそう。無意味に思えるような行動も全然そういう意味じゃないし。生活のすべての時間、詩を書いているわけにもいかないじゃないですか。朝起きて、飯食わなきゃいけないし、あくびもしなきゃいけない。色んなことをしなきゃいけないけど、生活の中で折り合いをつけて詩を書くわけで、”詩じゃないと思われる行為をどれだけ詩に昇華できるか”というのがありますよね。

-それが創作に対する情熱だと思います。

遠藤ヒツジ:現代詩で”吊革に掴まること”を詩にした作品があって、普通はただ吊革に掴まっているだけで何もしなくていい。「吊革をテーマに詩にしましょう」と言われたら、みんな出来るかもしれないけど、観察眼ひいては感性できちっと掬い取って詩にする。そういうライト・ヴァース*10や生活の詩を書ける人は尊敬します。日記みたいになっちゃっている作品とはまた別で、奇異なことを書かずとも、きちんと詩として成り立たせている人は見習うところはすごくあります。

-ヒツジさん自身の日常の観察の仕方、その辺りの話をお伺いできればです。

遠藤ヒツジ:auly mosquito*11 でコラムをやっている伊藤竣泰*12君は人間観察がライフワークみたいなものだけど、彼は表現として現代詩に向いていないだけで、観察の効用がきちんと生きている。同じ人間観察をやっても彼が書くものと僕が書くものは全く違いますね。そういう違いが面白いと思うんですけど。

「本サイトにて連載中の伊藤竣泰氏のコラム『観察庁24時』」

-掬い取り方の違いですね。

遠藤ヒツジ:人間観察が好きな人は強いでしょうね。周りに人がいるとその人の話を聞きたくなる、そういう人間観察をライフワークとして出来ている人は危ない面もあるけど面白いですよね。他では手に入れられない他人の感性を手に入れられるわけですから。他人にどれだけ興味を持つか、接し方がインで入ってくるんじゃなくて、アウトから聞いているってのがまた(笑)

-傍から見ると、それこそ不気味なシーンかもしれませんね(笑)

遠藤ヒツジ:そうですね。観察している人の描写力はすごいですよね。

-ヒツジさんご自身は人間観察はされますか?

遠藤ヒツジ:僕はどっちかというとしないですね。あと、人と関わっている時に何かが生まれる感覚もそんなにない。ライブや映画を観ている時ってひとりじゃないですか。横に人はいたとしても基本はひとり。そういう時は感性が働きます。家に帰っている時とか、やっぱり”ひとり”で何かをしている時が一番記憶が刺激されます。美術館や映画館でノートとペンを出して、要素があると思う時は暗闇の中で書きだして、要素を抽出して組み立てたりします。観察の対象によって手癖が変わる。

-“観察の対象によって手癖が変わる”…大事な視点ですね。普段、生活をしている中ではどういったことを考えられていますか?

遠藤ヒツジ:普段はあんまり何も考えていないのかも。仕事をしている時は仕事のことだし、飯を食べている時は飯だし、テレビを見ている時はテレビに集中している。

-フレーズはどんな時に降りてきたりしますか?

ひとりの時に降りてくることが多いです。風呂に入ったり、散歩したり、ジョギングしたり、書けなくなるとか書く気力が起きない時は喫茶店や漫画喫茶に行ったりして、環境を変えます。自宅だと人がいたり娯楽が多くて書けない時もある。漫画喫茶で漫画を読む習慣がなくて、そこでは集中できますね。「お金を払っている分は書かないとな」とそういう気分になります(笑)

-しっかりと勘定されていますね(笑)

4.構成する9つの作品

1.萩尾望都『トーマの心臓』(小学館)
高校時代に友人から借りて衝撃を受けた一作。自己犠牲と行って帰ってくることが宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」に共通すると考えている。

2.志人/玉兎『Heaven’s恋文』(TempleATS)
インタビューの中で中原中也の詩を読むうちに幻の蝶が飛んできた、という経験を話した。この音楽アルバムの1~2曲目を聴くといつでも視界の端に雪が降りだす。

3.吉増剛造『熱風 a thousand steps』(中央公論社)
抒情と渇き、そして私性の呟き。吉増剛造40歳時に発表された、詩の臨界点。

4.古川日出男『TYOゴシック』(モンキーブックス)
彼の描くTYO(東京)はいつも歪だ。それでいて真っすぐだ。つまりは私たちの気づいていない東京の殻をすっかり剥がして、全容を見せようとする態度にある。

5.逆柱いみり『空の巻き貝』(青林工藝舎)
精神的兄弟どものクライムコミック――なんて言ってみるのがまるで無意味。意味を見出す必要がない表現の力が溢れている一作。

6.Pixies『Trompe le Monde』(4AD)
ブラック・フランシスのスポークンワード的歌唱部分と、サビ部分に急展開する動的シャウト。分厚いバンドサウンドが今なお耳を離さない。

7.斉藤倫『本当は記号になってしまいたい』(私家版)
かつての友人に貸したままどこかにいってしまったのだが、装丁・軽妙な・機知・零れるような詩情、すべてにおいて理想形としたい一冊。現在廃版で、入手困難であるのが悔やまれる。友人、返してくれ。

8.中原昌也『名もなき孤児たちの墓』(新潮社)
表題作の一節「何の目的もなく垂れ流される孤児のような言葉たちに、僕がしてやれる唯一の優しさは、彼らの持っている意味を、可能な限り軽くしてやることだけだ」。これを引いただけでもう言えることはない。

9.山村暮鳥『山村暮鳥全詩集』(弥生書房)
現代詩の始まり、とも言える山村暮鳥の存在はいまなお輝きを失わない。詩の静けさ・簡素さの奥は見えないほどに深い。針のような鋭さと雲のような気抜けが見事なまでに融合している始まりにして到達点。その点からどのように線を広げるかが私にとっての課題だと感じる。


*10 ライト・ヴァース…日常のありふれた事物を題材とする遊戯詩。
*11 auly mosquito…本サイトを指す。笹谷創が主宰する芸術コミュニティ。
*12 伊藤竣泰…朗読詩人。面白くない話収集家としても活動中。


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