第15編

北村透谷「思想の聖殿」


「インディビジュアル(分かたれぬもの)――個性という言葉の発生は日本国民一人一人の自我を目覚めさせた。反して、それ以前の人々は自我を本質的に理解していたかもしれないが、言語化し覚知することはできていなかった」
曖昧な記憶で文章を始めてしまう辺り、私はつくづく研究者に向かなかったなと感じる。上記は(少人数サロンの中で)源氏物語についての講演を聞いた時のとある先生の発言だ。細部は異なるが、概ねこのような意図のことを話しており、印象的だったことを覚えている。
封建時代が終わり、西洋文化がなだれこんだことは大きな進展であっただろう。そして、人々の心を自由にかつ複雑にしたのだろう。明治時代の文学者は突如発生した「近代的自我」と日本人の心の一致を図るために苦心した。その結果として「近代的自我」は明治文学の重要な主題となったと思える。そして、この主題へ心血を注いだ文学者の一人に北村透谷がある。今回は彼の残した評論「思想の聖殿」について書いていく上で、現在起こってしまっている戦争について私なりに書いていければと思う。

思想の聖殿」全文

本評論の発表は女學雜誌社刊「評論 十三號」(明治26年9月23日)。透谷が自ら死を選ぶ半年ほど前の作品だ。(北村透谷は明治27年5月16日に自宅の庭で縊死した)。僅か四段落ほどの小論である。
彼は厭世主義的傾向を持ちながら、同時に明治の文芸評論を扇動し、人々へ「近代的自我」に依る人間像を立体化・可視化させた時代の寵児であったとも言えるだろう。本評論は思想の広大さ・深さを説き、同時に無限とも思える思想の領域に礎石を建てることの意義を鼻息荒く語っている。

 思想の領地は栄光ある天門より暗濛たる深谷に広がれり。

冒頭から透谷は思想の領地は実質、境界を持たないことを語る。高くある天の国より深くある地獄までを包括し、自由意志が常に闘技場にあってせめぎ合っていることを語る。美醜や善悪が二項対立し、どちらかが完全勝利を収めることはない。歴史に名を遺す声高な咆哮もあれば、痛みを負って苦しむ名も知らぬ者どものうめく声の重なりもある。どちらの声にも連続性があり、声は響き続けている。

歴史の頁数は年毎に其厚さを加ふれど、思想界の領地は聊爾も減毀せらるゝを見ず。恰も是れ渡船に乗じて往来する人の面は常に異なれど、渡頭、船を呼ぶの声は尽くる時なきが如し。

歴史には分厚さがあるが、思想界の領地には果てがない。渡船を望む人は時々により異なるけれど船を要望する声はいつも尽きることがない。
思想の横糸――広大無辺を説いた後、透谷は思想の縦糸たる深さや重さを語る。透谷曰く「明治」という時代は思想の奔流によって成立している。そしてその思想は共同的でありながら、かつ自我の自由意志を尊重する。

 人間霊魂の第一の顧問は渠なり、渠の動くところに霊魂の自由なる運作あり。

二段落目で、思想はまるで「管理人」や「支配者」のようなイメージをもって、様々な任のあることを語られる。共同体とみえる国家も一個人の心の奥も、すべて霊魂を保有する人間の携わる場面や瞬間を取り囲み、より良き管理を行ない、統べ治め、鎮めようとする。

顧みて明治以後の歴史を見よ、

三段落目はこれまでの明治の歴史を振り返り、(現代の日本が抱えると同様に)様々な問題を抱えていることを読者へ伝える。個々人に近代的自我は芽生えても、そこに聖殿を築くまでには至っていない。これは透谷自身が抱えていた問題でもあろう。
これも曖昧な記憶を手繰り寄せるしかないが、たしか吉増剛造が自身の詩集『王国』(河出書房新社、昭和四十八年)は北村透谷論であるというような発言があった気がする。王国(OUKOKU)とは透谷(TOUKOKU)である、と。

 願はくは「思想」の聖殿を政治と文学の舞台の中に置かん。

閑話休題して、最終段落では明治時代という大激変に浮かれ巻き込まれ、時代の作用によって人々の新しい生活様式と今までの日本を一致させる(足並みを揃えてゆく)ために、透谷が希求したのが揺らぐことのない「思想の聖殿」を築くことであったと思われる。

明治時代に自我がそれぞれの心に意識されだす――「近代的自我」は新しい日本国民の姿であり、当時の人々が個性を開かせる力をもたらしたと言えるだろう。自我を植え付けること――自我とはなにかを突き詰めて、新しい人間の目を開かせることを、透谷をはじめとして、当時の文学者は注力していた。

透谷の思い描く「思想の聖殿」とは一体どのようなものか。私の内側にはそのような聖殿が建てられる場所は存在するか。私は考える。
おそらく透谷は「思想の聖殿」をもって個々に芽生えたそれぞれの思想性が集える場所を目指したのではないだろうか。封建時代のごとく集権的でなく、多様性に富みながらもそれぞれの自我が自分のためだけに動き散り散りにならないように集い合える平等な場所。
「思想の聖殿」を一人一人の複雑な感情の中に置くことも困難な中で、政治や文学・哲学、そして国家にそれを求めることは単なる理想であるだろうか? 現実を見るべきだと。
しかし、自由とともに混迷を極めていった時代に楔を打ち立て、覚知することの難しかった自我を、そしてあらゆる混迷を、世を疎いながらも掴みとり、かつ一人で抱えることなく人々へ伝えようとした僅か25歳の才気ある若者の文心。その心を令和時代の小さな私がそっと受け取ることは近代的自我の重要性を考えたときには看過できないものになる。それは私にとってかけがえのない糧である。この糧を皆様へ分け与えることが私には必要だ。占有でなく共有すること。

令和時代から明治時代へ。
33歳の小さな詩人から25歳で没し(てしまっ)た若き詩人へ。
「思想の聖殿」を建てることは難しいことだ。君(時代を越えて、若い貴方を君と呼びたい。君主でなく親愛の君として)はそれに失敗した。あるいは憂えた。その憂いは連綿と続く。
令和になっても果たして礎石が置かれたのか――私には怪しく感じられる。私は思想の領地は「自ら我の覚知する」場所だと感じるよ。そしてそこから自らの経験や知識を隣人や先人から受け取り、時には与える。私は自我とは交換(トレード)だと感じる。無駄に肥大するのではなく交換により自らの内部を刷新していく。
一方的な搾取は空しい。
国家に「思想の聖殿」は絶対に必要だ。
明治を生きようとして、「時代」を駆け抜けようとして、聖殿を築こうとして、失敗した(失敗は悪ではない)貴方の透けるような精神の「純粋」を信じたい。自由民権運動が、君の憂えた闘争が続いている気がする。

君の13年後に生まれた詩人が「茶色い戦争」と詩を詠い、私の友人がそれを「錆びついた戦争」ではなく「白黒に分かれようとする戦争の予感」と読んだ。慧眼だろう。私の友人にして先輩詩人はすごいだろう。
第二次世界大戦に徴兵された男は片腕を失った。でも戦争が終わって漫画家になって目には見えない妖怪を描き出して、人々に面白おかしく、時には恐怖も携えて伝えたよ。見えないものを見えるようにしたんだ。出征前の日記には「時代が俺に作用する」と叫んでいた。そうだ、時代は神みたいに私たちを操作する。時代。見えざる手に家は抗う。
君の憂いていた事態はまだ解決を見ない。ただし日本は君たちの偉大なる功績をもって、ずいぶんと自由を手に入れた。持て余すこともあるけどね。誰か分かち合える人ができればいいんだけれど。

2022年2月24日にロシア軍が(ロシアが、とは書きたくない。ここには戦争にNoを突き付ける民が含まれるから)プーチン大統領の命令によって隣国ウクライナに侵攻した。侵攻って嫌な言葉だ。君の時代にはそんな言葉あったか。
強権は無駄な脂肪だ。
国家が民の家とともにあり、思想を持ち、みなが集える聖殿が建立していたならば、君の言うとおりになる。
私たち一人一人が聖殿を持つことを目指す。集わせる場所ではなく、集える場所として。奪うだけでなく分け与える場所として。交換できる場所として。
だめだ、なんの力もないから、泣きそうだ。
明るい理想を語る人に憧れる。理想は祈りだからだ。

戦争は自我の暴走であると見る。
君の目指した、そして多くの人の望む自我の在り方は。
絶対にそうではないと確信する。


(今回はお返詩の前に以前に書いた「波が呑む」という見えざる津波の詩を)


詩「波が呑む」

 幾時代かがありまして
 茶色い戦争がありました(※1)

 幾時代かがありまして
 足元が波に呑まれました

 濁り水が 月に導かれて あらゆる樹々 塩気に枯れ 最早足元まで 波形の態様で 忍び寄っていた 水に 幾時代かの茶色い戦争溶け出して 足首ざらりと撫ぜ行き来する 茶けた戦争の 狂わされた波に 足を曳かれないよう 腰を落とし天を仰げば 青白い 肌 白衣纏いし 大いなる亡霊が 真暗の闇夜に 人をだらりと 干している ――「小さい俺に大きな時代が作用するからだ」(※2)と叫ぶ筆記音がどこからか響いて来て―― 耳を澄ませ 膝を震わせ 尻餅をつき 濁り水は 重い飛沫を上げる

 幾時代かがありまして
 茶色い戦争がありました

 幾時代かがありまして
 足元が波に呑まれました

 波は水位を増して 矮小なる身体を転がしてやろうと寄せては曳いてを続けている 気づけば波は あらゆる汚泥を呑み濁り 身体までも呑もうとし 番号で貨幣で管理される場所すら流そうというのか 水位は増す 身体は転がされ揉まれ 苦しみの内に開かれる眼には 天に人干す大いなる亡霊が見える

 幾時代かがありまして
 茶色い戦争がありました

 幾時代かがありまして
 足元が波に呑まれました

 人を干し終え 亡霊は転がる身体に 眼もくれず 満足したように つと消える 濁った波はいつ去るのか 身体はもう流されるばかり 溺れるばかり 亡霊は転がる身体を救うこともしないで 何処へ行ったのか

 幾時代かがありまして
 茶色い戦争がありました

 幾時代かがありまして
 足元が波に呑まれました

 せめて濁り水がせめて波がせめて大いなる亡霊がせめて矮小な身体が 虚実入り混じるサーカスであって 喉を鳴らして柏手打つ観客様がいるならば 星もない夜を笑えただろうに

※1 中原中也「サーカス」
※2 水木しげる「出征前日記」


返詩「国民の家」

ぎぃこ ぎぃこ
国と民
シーソー仲良く漕いだなら
影踏み遊び手々つなぎ
仲良くお家へ帰りましょう

シーソーっていいね
どうして?
お互いがお互いを思わなければ
遊べないから
そっか、そうだね。いいね

今日の砂場はおさない戦場
飛行機が山へ突っ込み
ダムは倒壊し水は地へ帰る
手は無暗に砂場を掻き乱し
おもちゃは砂まみれに重なる

民「最近どうぉ?」
国「大変だよ。いろいろ」
民「そっかいろいろか」
国「でも家があるから安心」
民「そうぉ?」
国「そうだよ。国家には君たちがいる」
民「そっか。国家は民の家」
国「僕は君たちと分かち合って活きている」
民「僕たちもそう。隣人と分かち合って君と生きている」
国「隣合う者とは」
民「こうしてシーソーできる」
国「せめぎ合う。合うのがいいんだなぁ」
民「いいんだねぇ」

ぎぃこ ぎぃこ
国と民
シーソー仲良く漕いだなら
語らい日のもと笑いましょう
陽だまりのほうへ行きましょう
明るいほうへ影伸ばそう


(文章:遠藤ヒツジ)

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『光よりおそい散歩』

 


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